第1章 04
17歳。
2年と言う時間が長かったのか、短かったのか、黒守にはわからなかった。
この門を一つ隔てて全く違う世界が広がっていたとしても、黒守にとって何の意味も持たない。誰かが迎えに来る訳でもなく、帰れる当てもない。正直、ここに居てることが楽だと感じていた。
弱肉強食の世界で、15歳。多少の不安はあったが、ただの危惧に終わった。綺麗な顔と言って襲ってきた男をボロボロにし、むき出しになった上半身一面の極悪な刺青が、黒守を危険だと周りに知らしめた。
それからの2年は、奇妙にも快適な時間だった。身長もそれなりに伸び、綺麗と形容された容姿も精悍さがまず表に現れるように成長し、幼さはいつの間にかこそげおちた。
門を出るまでの間付き添ってくれた教官に、
「ありがとうございます」
と頭を下げた。
「蓮城、戻ってくんなよ」
「……わかんねぇよ」
黒守にはそんな先のこと、わからなかった。今すぐのことだってわからないのだから。
「蓮城、迎えが来てるはずや、良かったな」
「迎え?」
有り得ないだろうと苦笑する黒守を
「出ればわかる」
と、言葉とともに追い出し、無情にも冷たい音を立てて扉は閉められた。
これで、帰る場所が無くなった。
いや、ここが帰る場所であるわけがないのだが。
ため息吐いた黒守に、不意に
「黒守」
と、懐かしい声が聞こえた。
一瞬空耳かと訝しく思った黒守の目に、何年ぶりかに会う兄、翔が飛び込んできた。
「翔?」
「おう」
片手を上げる久しぶりに見る翔は、嫌に暑苦しい黒いスーツを纏い、胸元だけは涼しげに広げられていた。遠目にもわかる重そうなシルバーのネックレス。相変わらず強面とは言い難い綺麗な顔立ち。
「何してんの、こんなとこで」
思わず出た間抜けな問いかけもこの際気にすまい、と言うように黒守は呆れた顔をする。
「お前迎えに来たに決まってるやろ。 まぁ、ええわ。 話は車の中でや」
顎で、くいっと指し示された車は、いかにもな黒いベンツ。
こんな場所で言い争う訳にもいかないし、かと言って久々に感じたこの温もりを蹴散らせることができる程も大人ではない黒守は、黙って車に近づいた。翔は自ら左側の運転席に座ったので、黒守は空いている助手席へとその身を沈めた。
さすがは高級車である。広々とした車内は黒守の縮こまった体をゆったりとほぐした。
滑り出した車内は、お互いに聞きたいこと、言いたいことが多すぎて、静寂に包まれていた。
最後に顔を会わせてから5年。
お互いがかろうじて噂で相手のことを知る程度の、まるで付き合いのない長い時間だった。
「とりあえず、メシ食うか?」
話は車の中でと言った翔が発した意外にのんびりした言葉に、黒守は異存があるわけでもなく、小さく頷いた。
「何食いたい?」
「別に、なんでも」
可愛くない黒守のセリフに、翔は苦笑して、ベンツに似つかわしくない目についたファミレスへと車を進めた。
なんでファミレス? と言う黒守の疑問も、中に入ってメニューを見た途端に納得した。ありふれた定番メニューがずらりと並び、なんだかどれもこれも懐かしい。
「お前が食べたいもん頼んだらええよ。 俺は余ったん食べるから」
意外にも兄らしいことを言う翔の言葉に甘えて頼んだ物が、とんかつと肉じゃがをメインにした日替わり定食と鶏の唐揚げ、そしてなんとなくいちごのショートケーキだった。
注文してから一息ついた黒守は、なんとも妙な組み合わせに苦笑いしたが、翔はそこは何も突っ込まず
「よく食うな、やっぱり若いな」
などと言う。黒守は気にせず食事中は、ただただ目の前の食べ物に集中した。
「なぁ、黒守……」
余りに一心不乱な弟に、翔は聞いていいのか、と自問しながら、言葉を続けた。
「やっぱり、中は大変やったか?」
言葉を選んだんだろう兄に、黒守は箸を口に運びながら見上げた。
「……、あぁ、これ、癖。 別に中はそれなりに快適やったけど?」
「快適、ね……」
「……衣食住、揃ってるやん」
もういいかと上目遣いに兄を見て、また食事に戻る黒守を、翔は掛ける言葉もなく眺めていた。
あの時、本当に救いがいったのは、黒守だったのではないか、と今更ながらなことを考えてしまうのは何故だろう。目の前の黒守は、ふてぶてしく、どんなところでも生きて行けそうな生命力に溢れているのに、手を伸ばせば、儚く消えてしまいそうに脆く見える。
人を信じない、手負いの獣。
だけど、今度こそ黒守に手を差し伸べなければいけない。もう二度と、行方がわからないなんて、兄弟にあるまじき状態に陥らないように。無心に食事する弟を見て、翔は密かに誓った。
翼が、にっこりと微笑んだような気が、した……
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