“見えない”ということ

 夜の暗闇に紛れ、ディオ・ブランドーを取り逃がしたと判明したのは翌日の朝であった。

 いいや、この表現は間違いであるべきだ。事実、義父に毒を運んでいたと推測していたのは実子のジョナサン(そして厳密には兄のディランも)だけであり、推測はしかるべき証拠を集められなければ受け入れられない。
 “当主の恩人”の息子であるディオを神聖な法律のもとに監視できた者は誰一人としておらず、つまり事件性の高いジョースター卿の衰弱、その重要参考人を二人の沈黙のもとに野放しにしてしまったのだ。





 そんな折に、弟のジョナサンが五体満足で屋敷に帰還したのは大きなニュースであった。
『ジョナサン?……ああ、ジョナサン!』
「兄さん」
 普段は情に揺れることのないディランの喉は歓喜でうち震え、涙は見せなかったがあまりの感動で思わず、人前でハグをしてしまった。ジョナサンは照れながらも嬉しそうに応える。

「いッ」
 不意に顔を歪ませるジョナサン。
『ジョナサン?ああ、怪我をしているのだったね。直ぐに医者を呼ぼう。客人の対応も任せておくれ』
「いいえ、大丈夫です兄さん。それよりディオは……」
 ディランは無言で首をふる。それだけで、どう猛な上昇志向の餌食となった兄弟は十分通じ合えた。
 しかし一人、展開についていけない者がいる。
 
「じょ、ジョースターさん、こいつは一体」
 太く垂れ気味の眉を困惑に下げた、きつい金の巻き毛に飾りのついた山高帽の青年。顔の傷と目付きの悪さは見るものを恐れおののかせるが──

『「うん?」』
 兄弟が彼を見る目は、とても穏やかだった。
「い、いやそちらの……もしかしてェーご兄弟で?」
『申し遅れた。私はジョナサンの兄、ディラン・J・ジョースター。君はスピードワゴンさんだね』
 思わず友人のジョースターをあっけにとられた顔で見つめるスピードワゴン。初対面で名前を当てられるなんて、ゴロツキの間での敵討ちでもあるまいに。
 しかしジョナサンは困惑していなかった。なので、貧民街から来た友人は彼が事前に連絡していたのだろうと無理に思い込むことにした。



『ジョナサンを守ってくれてありがとう、そして彼を心配してついてきてくれたことも。さて、そちらは東洋人だね。君が……

    そうか……』
 スピードワゴンに対しては物静かに接していた男は、シルクロードの先にある清の国の、鯰にも似た長い髭を視界に捉えた途端、殊更に周囲の雑音を凍りつかせた。表情は一切変わっていない、筈なのだが。
 食人鬼街で育った青年は思った。ジョナサンが義憤と家族に対する愛情に燃える性格の甘ちゃんならば、この男は何だろう。  
 
 最低限の礼節を持たないものに対する冷酷さ。余程親しいか、スピードワゴンのように様々な人間を見ていなければ分からない微妙な抑揚の変化。
 しかし家族を守るという覚悟を持った、こいつは……弟とはまた違ったタイプの大甘ちゃんだ。
 

「……ジョースターの旦那、そんな近くで睨み付けて頭突きでも食らっちゃあ大恥ですぜ。どきな」
 乱暴にディランと男の間に割り入るスピードワゴン。ディランは抵抗せず後ろに下がる。その瞳がゆっくりと温度を取り戻すのを確認してから、東洋人を縛った縄のはしを持つと、
「とりあえず、この屋敷にディオはいねーんだな。ジョースターさん、旦那!早いとこコイツの口を割っちまおうぜ!」
 意気揚々と絨毯を踏みしめ歩く彼を黙って見つめる兄の脇腹を、ジョナサンが小突いた。
 
『どうしたんだ?やはり簡単な手当てだけでもしておくのかい』
「スピードワゴンにやって貰いました、けど」
 もごもごと言いたいことを反芻し、一呼吸おいて、

「どうしてスピードワゴンのことを知っていたんです?それから、僕の傷の具合も」
『ジョナサン』

 ディランは幼い子にするように、今は自分より高くなってしまった弟の頭を撫でた。それでもう、彼はなにも言えなくなってしまった。






 ディオに薬を売った東洋の男は、あの大男の兄とかいう“ひょろいの”と対峙していた時から、人知れず恐怖を抱いていた。

 まるで蛇にでも睨まれたかのように、自分が死の危険に晒されていることを感じ取っていたのだ。呼吸も満足にできず、頭ごと男の視線から逃れようとしても“押さえつけられて”叶わない。そして男は不運にも占いに長けており、直感で目の前のその男が自分の体を操っているのだと確信した。
 そして更に男の思考。


 ……毒薬を買ったあの運の強そうな坊っちゃん。あの左耳の三つのホクロが仮に占いの通りの長命を意味していようが、
 
 今のままではあの男に敵う筈もなかろう。

 
 


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