あれから半月。青学でマネージャーを続けているが、私の正体を知る者は誰も居なかった。それもそうだろう。私を気にかける人間などいるわけがない。
けれどそろは私の思い過ごしだった。
『ちょっとあんた!』
『…何か、ご用でしょうか?』
三年生だろうか。校舎の一番隅の階段前で五人ほどの女子が私を取り囲んでいた。いずれも人工的な香水の香りがいやに鼻につく。
『何であんたがテニス部のマネージャーなわけ!?』
『いかにも鈍臭そうだし!』
『正直レギュラー達も迷惑がってるわ!』
『…何故、あなた方にそれがわかるのですか?』
正直こんなこと言われても時間の無駄よ。寧ろ迷惑と思っているのは私の方だわ。嫉妬の対象になるなんて、本当に面倒。肩から提げているスクールバッグがいやに重く感じる。
『わかるわよ!あんたみたいな女!どうせレギュラーの誰かに無理矢理取り入ったんでしょう!』
『そうよ!私達はどんなにマネージャーを立候補しても断られたのに!』
『…レギュラー達の表面上しか見てないからではないですか?』
『なっ…!?』
面倒だわ。さっさと終わらせて部活に行きたいのに…。
『そのくせ平部員のことはどうでもいいとでも?それなら断られて当然で…っ!』
ばちんっ!
すぐ近くで音がした瞬間、頬が異常なほどの熱を帯びる。どうやらぶたれたらしい。ずっと言いがかりをつけてきた女子の手が赤くなっていた。
『何よ!馬鹿にするのもいい加減にして!不二くんから離れてよ!あんたなんかさっさと消えればいいのに!』
突き飛ばされたとわかった瞬間。
私の身体は重力に従ってみるみる落下していく。いくら数段しかない階段とはいえ、まずい。咄嗟に受け身を取ろうとしたが、それよりも早く柔らかい何かが私の身体を支え、包み込まれた。バラバラと教科書が鞄から落ちていくが、それを視線で追うしかできなかった。
『みょうじさん!大丈夫!?』
声には聞き覚えがあった。栗色の髪に普段は閉じられた瞳は大きく見開かれ眉を寄せて顔を覗き込まれる。
不二周助だ。
『怪我は!?どこも痛くない?何をされたの!?』
『…だ、大丈夫です。ありがとう、ございました』
スッと距離を取れば、先輩達はそそくさと逃げていく。
『…追いかけたほうが、いいかな』
『いえ、逆効果だと思います』
早く部活に行きましょう。言い終える前に熱が引かない頬に手を近づけられ、反射的に身体が跳ねる。
『腫れてる…叩かれたの?』
やり場がないとでも言わんばかりの手を下ろしながら申し訳なさそうな顔をされた。すみません、短く謝罪をすれば無事で良かった、といつもの微笑みを浮かべた。
『…反感を買うのは慣れていますから』
散らばった教科書を戻しながら気に留める必要はありません、そっと告げてからさっさと部活に行こうとしたが、腕を掴まれて保健室へと引き摺り込まれた。
『はい、これで終了』
『ありがとうございますわ』
ひやりと冷たく感じる湿布が顔の左半分を覆う。ゆっくりと立ち上がる私をじっと見つめられる。
『…何か?』
『…あ、ううん。ちょっと知り合いに似てるなって初めて会った時から思ってたんだけど…』
『人違いだと思いますわ』
少しだけ間を置いてから言えば、残念とでも言いたげにそうか、と短く告げた。
そう言われても昔の記憶など殆ど曖昧だ。兄のことも先日思い出したばかりだというのに。
『部活、行けるかな?』
『はい、何とか誤魔化してみます』
『そうか、じゃあ行こう』
彼の隣を歩きながら部室に向かう。その間もやはり女子からの視線やひそひそとわざと聞こえるような陰口が囁かれる。
『あの子って、あれでしょ?色仕掛けでマネージャーになったって…』
『嘘〜!?さいってー』
『不二くん可哀想ー』
『きっと無理矢理付き合わされているのよ』
『一年のくせにさぁ…』
聞き流しながら足を止めることなく部室へ向かう。すると、隣の不二先輩がふいに尋ねてきた。
『ねぇみょうじさん、大丈夫かい?』
『はい、慣れていますから』
前の学校でも同じだった。母親が水商売をしているからだの、片親だから不良になるだの、子が子なら親も親だの。何も知らない人の戯言だと聞き流していた。
『流石に階段から突き落とされたのは初めてでしたけど』
『…本当に、びっくりしたよ』
『でも、何故あんな所に居たのですか?』
『たまたま通りかかったんだ。そしたら、君が上級生に絡まれているじゃないか』
『…すみません、わたくしの不注意でしたわ』
『いや、責めているわけじゃないんだ。ただ心配で…』
『それでしたら無用ですわ。下手に庇われて怪我でもしたら…』
『…優しいね』
ありがとう、なんて言いながら視線が私を突くように、じっと凝視される。
『優しくなんか、ありません』
いつの間にか部室の目の前まで来ていた私は、駆け込むように部室へと入った。
『優しさなんて…捨てたわよ…』
独りの呟きは誰もいない空間に静かに反響した。
『……嘘つきだね、なまえ』
初めて会った時から…いや、再会したあの日から、間違いなく彼女だと本能で悟った。
幼い頃と違って人の醜さを全て知っているかのような暗い双眸。悪寒に似た、けれど快感に近いそれを感じた。
いっそのこと、僕に泣きながら縋りつけばいいのに。
けれど彼女はそんなに脆くない。傷つけたくないけれど壊したい。
伸ばしかけた手を止めて気付いたら携帯を片手に誰かへ電話をしていた。
『…久しぶり。ちょっと聞きたいことがあるんだ。
…今、いいかな?佐伯』
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