夕暮れの帰り道。
私と佐伯さんは何もしていないのに気まずさが込み上げてきて顔を合わせられなかった。
こうなったのは十五分ほど前、かつての旧友であり腐れ縁の神尾アキラのあの言葉のせいだ。
ーーー『だーかーら!ずっと好きだったんだよ!』
確かに少し驚いた。けれどそれだけ。返事は待つからと言い残して逃げるように去った彼に逃げたいのはこっちだと言ってやりたかった。
あまりの気まずさに耐えきれなかったのか、佐伯さんがポツリと呟く。
『あの、人が告白される所って、初めて見たから……何て言えばいいのかな……その、』
『わたくしも、告白なんて生まれて初めてでした』
『えぇっ!?そんなに美人なのに!?』
『……声、大きいです』
また気まずくなってきた。これも神尾のせいだわ。神尾の馬鹿。
『さっきの人って……』
『神尾アキラですか?』
『なんか、彼に対しては壁が無いって感じだよね。敬語じゃないし、呼び捨てだし』
『……そう、ですか?』
ハッキリ頷かれた。
…確かに神尾とは同じ小学校だったし転校するまで毎年同じクラスだったから。
それを伝えると彼は私をじっと見つめて足を止めた。
『もしかして、なまえちゃん?』
『はい?』
不二さんがあんなことを言っていたのを見過ごしたのは失敗だったかもしれない。






『なまえー!まだ帰ってけぇへんのー!?』
『うっさいわ白石!』
パコン!謙也がスリッパで白石の頭を叩くがそれでも白石はなまえーなまえーと唸るように呟く。
『なまえなまえって、お前どこでどう知り合ったんや』
『いや、俺が一方的に知っとるだけやけど…』
『侑士!今すぐ通報したってな!』
『ちゃうちゃう!ちゃうんや!最後まで聞いてぇな!』
あとホンマに通報せんで!と白石が叫ぶと財前があーはいはいと関心なさ気に言えばこの場にいる面々が迷惑そうに顔を顰める。
『二年前にな、通天閣に行った時迷子になった子供がおったんや。それで声掛けようとしたらな、女の子が先に声掛けとったんや』
『……それがあの子やったん?』
『せやで!その子を泣き止ませようとしてな、歌でその子をあやしてあげたんや。綺麗な歌声でな、そこにいた全員聞き惚れとったで』
あの歌声は一生忘れへんわぁ…と恍惚の笑みを浮かべる白石に誰も何も言えずにいると、まだ続きあるで!と嬉しそうに言う隣でまだ終わらないのかと四天宝寺のメンバーは同じような表情をしていた。
『それを見ていた母親の所まで連れてったってな、大阪に天使が舞い降りた瞬間やったんやで!なまえホンマ天使や!』
『……先輩、まだ終わらないんすか?』
『……今の白石には何言うても無駄やろ』
殆どの面々が呆れながら部屋へ戻るながら、四天宝寺のメンバーはあからさまに嫌悪を表情に出すが白石はなお語り続ける。
『あっ、なまえ!おかえ……え?』
『やだ、佐伯さんたら』
『ごめんごめん。けど、なまえちゃんはやっぱり変わってなんかいないよ』
『そう見えますか?』
『うん、見える』
上品に笑みを浮かべるなまえと佐伯の姿を見て石化したかのように白石が硬直する。財前達のあっちゃあ…タイミングの悪い、小声の呟きは白石の耳にも届き負のオーラを纏い始めた。
床に座り込み膝を抱えながらぐずぐずといじける姿に二人が困惑の色を浮かべた。
『あの、白石さん?』
『ほっといてええで。拗ねるとか小学生かっちゅう話や』
謙也の言葉に困惑が拭えないなまえの肩にぽん、と佐伯が優しく触れる。
『なまえちゃん、跡部の所まで一緒に行こうか』
『ありがとうございます、佐伯さん』
佐伯と肩を並べながら去って行く姿に財前が小さく呟いた。
『あの女ある意味被害者やったんすね』
『……財前、それ本人に言うたれや』







『不二が言ってたのはなまえちゃんのことだったんだね、俺最初は全然気づかなかったよ』
『わたくしもですよ、お互い様ですね』
合宿が始まる前、不二さんは佐伯さんに私のことを聞いたらしい。
確か昔海の近くで頻繁に遊んでいたようないなかったような…。
最初は冷や汗が身体を伝ったが私の出身のことは知らなかったらしく安堵の溜息が零れた。
『あ、跡部さん、今戻りました』
『そうか、ご苦労』
頼まれたそれを渡して二人で廊下を歩く。話を切り出したのは私からだった。
『……後で、不二さんに謝っておきます』
『どうして?』
『……忘れてしまっていたので』
『大丈夫だよ、不二は怒ってなんかいないだろうし、俺も一緒に行くから』
にっこりと爽やかな笑みを浮かべる彼と重い足取りで不二さんの所へと向かった。



『不二さんはどちらですか?』
『さっきまでここにいたけど、英二は知らない?』
『ありゃ〜?ほんとだ、うーん知らないなぁ』
『不二知らない?』
『さっきグラウンドに行ったみたいっすわ』
『不二さんがこちらにいらっしゃると聞いたのですが』
『さっきまでいたよ。宿舎に戻った確率は89%』
『不二知らない?』
『部屋に戻ったみたいだよ?それよりみょうじさんと会えるなんてラッキーだなぁ。一緒にお茶でもし』
『しません』
聞き込みをすること数十分。時計を確認したわけではないがそれくらい施設を探し回ると、あることに気付いた。
『……もしかして、避けられているんでしょうか』
『ま、まさか!そんなことないと思うよ?ほら、部屋に行こうか!』
一抹の不安を抱きながら部屋へ向かう途中、ルドルフのユニフォームを来た男子がこちらに近付いてきた。
『あ、佐伯さんお疲れ様です』
『やあ、久しぶり。元気だった?』
勿論ですよ、はっきり答える彼に佐伯さんが説明をしてくれた。
『なまえちゃん、彼は不二裕太って言ってね』
『僕の弟だよ』
男性にしてはやや高めの、佐伯さんの言葉を遮った声に振り返ると、そこには探していた人物がにっこり微笑んでいた。
『あ、兄貴……』
『ご兄弟だったんですか?』
弟と思われる彼は兄を見るなりムッと不満そうな表情になる。
『裕太くん、彼女のこと覚えていない?昔よく遊んだ……』
腕を組みながら少し考え込み、やがて、あっ!思い出した!と声を上げた。
『みょうじなまえか?久しぶりだな!』
『ええ、あの……』
懐かしいな、と言う彼の隣にいる人物に、頭を下げて謝罪を述べた。
『不二さんごめんなさいっ!私、忘れてしまって……本当に……』
『ああ、いいよ気にしないで。君が思い出すのを待ってたんだけどね』
クスクスと品のある笑みを浮かべながら目を細めると、大きな手が伸びてきて私の髪に触れる。
『昔はもう少し長かったよね』
反射的に身体がビクつき、手を振り払った。
『あ、ごめん……』
『……いえ、あの、ごめんなさい。わたくし、明日の支度をして来ますので……』
彼の顔も見ずに逃げるように部屋に戻れば、扉を背に身体から力が抜けた。

ーーー『あんたには短い方がお似合いよ』
嫌な記憶が蘇ってきた。以前は胸の辺りまであった髪は今や肩の辺りまで。
流石に切られたのは、少なからずショックだった。
……後でまた、彼にきちんと謝ろう。
ノックの音に立ち上がり、扉を開く。


……この時部屋に戻ったのは、間違いだったかもしれない。





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