初日は何事もなく夜まで忙しなく働いた。
まだ動くには早かったから丁度良かった。逆に早く動き過ぎると勘付かれるかもしれないし、何よりあの兄にばれたらそこで復讐のチャンスは無くなる。
部屋で明日の支度をしていた時。ノックの音が鳴った。







パラパラと懐かしむ暇もなく昔のアルバムを次々と捲っていく。俺が探しているのは妹が写っている写真。
十年近く経っているとはいえ、ないよりマシだ。樺地に取り寄せさせた昔のアルバムを片っ端から調べているが、なかなか見つからない。
最初はテニスにだけ集中しようとも思った。だが、妙な予感がして直ぐに探さなければならない、どこかでそう感じた。
『…チッ、樺地、次だ』
『ウス』
妹は目立ったりすることを許されなかったし、何より本人もそれが嫌がったからか、写真も殆どない。そのせいか顔はぼんやりとしか覚えていない。
だが、少しでも写っているのはないのか。一枚でいい。思い出すには一枚で充分だ。一枚くらいあるだろうと探しているがどうしても見つからない。
樺地が次々に持って来る膨大な量のアルバムに頭を抱えたくなったが、一息つこうとしたその時。
控えめなノックの音が鳴った。
『誰だ?』
『あの、みょうじですが…明日のことで報告を…』
『…入れ』
扉越しに女特有の高くよく通る声の主を部屋に招いた。
『…アルバム、ですか?』
『あぁ、昔のだがな』
『ごめんなさい、お邪魔だったでしょう?』
『いや、一息つこうと思っていた所だ』
…やはり、こいつは妹に似た何かを感じる。会話の内容は業務的で、五分もかからなかった。
『では、失礼致します。あまり無理をなさらないようにして下さいね』
『…ああ、』
『どうかしましたか?顔色が優れないようですが…』
…よほど顔に出ていたのだろうか。この時俺は相当余裕が無かったのだろう。

気がついたら、色々と話していた。
『…お話して下さってありがとうございます。他の人には言いませんので』
『ああ、お前も早く寝ろよ』
妹さん、見つかるといいですね。そう言って深々と頭を下げて去る姿に、よく働くなと素直に思った。
欠けた一枚の写真にも気づかないほどに。





『よぉ、邪魔するぜよ』
何故この男が目の前に居るのだろう。あからさまに表情を歪める私を無視してズカズカと部屋に入って来る。
『…何ですかいきなり来るなんて』
一人用のソファで向かい合うように座れば、単刀直入に言うぜよ、初めて真剣な顔を見た。
『お前さん…跡部の妹じゃろう』
『な、何で…!?どこでそれを…あっ!!』
慌てて口を紡ぐが、彼はしてやったりと言わんばかりにニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。
『目、瞑ってみぃ』
動揺を隠せないまま、言われるがままに瞼を閉じた。
なまえ、私を呼ぶ声に目を見開く。
『し、らいし…さん!?えっ!?仁王さんは!?』
『イリュージョン、俺は他人に成りすますことができるんじゃ』
目の前にいたのは確かに仁王だった筈だ。だが、白石と同じ姿に目を丸くする。
『跡部の奴をちとからかおうと思ったんじゃがのう、以外なことを聞いたからな』
『…何を、聞いたの?』
元の姿に戻った目の前の男を睨みつける。だが彼は不敵な笑みを浮かべたまま、語り出した。
『自分には母親違いの妹がおって、妾の子だと母子共に嫌がらせを受けとった。そんな環境に耐えられなくなったのか、母子揃ってある日家を出て行ったとな』
『…そう、言ってたのね…』
『妹を探しとるって言っとったぜよ。もう一度一緒に暮らしたいとな』
『…今更…何よ』
探している?もう一度一緒に暮らしたい?ふざけないでよ。私はあの家に全てを奪われたのに。
爪が食い込むのも構わず拳を握り締める。
『…誰かに、言うの?』
漸く紡がれた声は震えていた。まずい、ばれたら復讐のチャンスは二度と来ないだろう。
『…協力、しちゃろうか?』
彼の口から出た言葉は予想外の一言だった。







無機質な電子音が鼓膜を震わせた。ゆっくりと瞼を開き身体を起こすと眩い自然の光で目がチカチカする。
隣の男の肩を揺さぶって短く言った。
『雅治、朝よ』
『……まだ六時ぜよ』
『早く起きて。誰かに見られたらどうするの』
そう言って起こせば、渋りながらも衣服を整え欠伸を噛み締めて目を擦った。

−−−『見返りは何にすればいいですか?金ならありますが…』
−−−『金?そんなもんいらんぜよ。寧ろ協力しちゃる。
そうじゃのう…強いて言うなら、お前さんかのう』
−−−『…いいですよ』
−−−『…随分あっさりしとるのう』
−−−『それが条件なら、私に選択肢なんて無いので』
ふと昨日の会話を思い出した。見返りの内容は想像と違ったが、まるで親しい仲の男女のように、一夜を共にした。
と言っても同じベッドで寝ただけだ。先に眠りに落ちたのは私で、目を覚ますと彼の腕の中にいたのだ。
敬語は止めて名前で呼び合う、というのは二人の時のみにする。普段は関係を知られないように最低限しか接しない。この二つは二人で決めた約束だった。
『上手く誤魔化してよ?』
『俺は大丈夫じゃが、お前さんの方が心配じゃのう。うっかり口を滑らしたりするんじゃないぞ』
『…そんなヘマしないわ』
ワイシャツのボタンを全て留めた彼が思い出したように一枚の写真を差し出してきた。
『跡部が昔の写真探しとったみたいでのう。パクってきたぜよ』
『ありがとう。これが見つかったらばれてたかもしれないわ』
私が母の一歩前にいる写真。これにはばっちり私が子供の頃の姿が写っていた。
『お前さん、昨日の夜跡部に会ったことになっとるからな』
『ええ、上手く話を合わせるわ。
それじゃあ、よろしくお願いしますね。仁王さん』
わざとらしく呼んでやったら、またあのニヤニヤした表情を浮かべていた。






『おはようございます』
私が食堂に入った途端、その場にいた全員の視線が一気に集まる。今まで決して注がれることが少なくなかった嫉妬や蔑みの類のそれではない視線に戸惑うが、表には出さずに小さく笑みを浮かべた。
『お嬢さん、早いなぁ』
『マネージャーですから。選手の皆さまより遅く起きるわけにはいきません』
忍足さんに諂うような笑みを浮かべれば、離れた所で立海の人達と話していた雅治と視線が重なる。相変わらず不敵な笑みを浮かべる彼を一瞬だけ見て視線をわざと逸らした。
直後、少し機嫌が悪そうなあの人が食堂に入って来た。
『おはようございます。跡部さん』
『…ああ、おはよう』
『体調が優れないように見えますが…大丈夫ですか?』
『練習には支障ない。気にするな』
『…そうですか、何かあれば仰って下さい』
心配になりますから。付け足すように言えば短く返事をして近くの席に座った。
『紅茶、淹れましょうか』
『それくらいここの奴にさせる。お前がする必要は…』
『いえ、わたくしがしたいんです。…迷惑ですか?』
彼は少しだけ黙り込むと、それなら…とそっと呟いた。
『アールグレイを頼む』
『畏まりましたわ』
キッチンからティーセットを拝借して紅茶を淹れる。ふわりと鼻を擽る香りに彼は少しだけ表情を和らげた。
『…いかがでしょうか?』
『…なかなか美味い。淹れ方がいいからだな』
『ありがとうございます』
『お嬢さん、俺にも淹れてくれや』
『はい、少々お待ち下さい』
お湯をキッチンから持って来ようとしたまさにその時。
『なまえおはよう!』
『…おはようございます、白石さん』
…はぁ、また来たわ。白石蔵ノ介が。
彼は朝から気分が良いようで、昨日以上に私に話し掛けて来る。
…こんな女の何がいいのかしら?
『なまえめっちゃ早起きやんなぁ。よう働くし、ホンマ(俺の)ええお嫁さんなれるで!』
『…昨日から思ったのですが…からかっているんですか?』
ぴし。食堂全体の空気が凍るのがわかる。私の手を握る(この上なくうっとおしい)彼も一瞬固まったと思ったら直ぐに真剣な顔になる。
『…なまえ、俺は本気やで。生まれて初めて一目惚れしたわ。せやから…結婚して下さい!』
ぴし。又もや空気が凍った。直後に阿呆ーーー!と大きな声と同時にスパン!と白石さんの頭を叩かれていた。
『白石!お前正気か!?それともアホなん?なぁアホなん?』
『部長ホンマにアホなんすか?いきなり結婚とか順番色々飛ばし過ぎっすわ』
金髪の男が白石さんの頭を思いっきり叩いたらしく、胸ぐらを掴むと黒髪にピアスを沢山つけた男も半ば呆れながら言い放った。
『大体、この女のどこにそんな惚れるんすか。俺、部長の好み理解できないっす』
ピアスを沢山つけた男がじろじろと私を凝視する。そんなのこっちが聞きたいわよ。
いきなり嫁だの結婚だの、こっちはいい迷惑。
『財前、お前こそ正気か?確かにけっこう可愛痛っ!』
『謙也、お前まで何ゆうてんねん』
エスカレートしていく目の前の人達に思わず溜息が零れそうになった。
ちらりと雅治を見れば何が面白いのか肩を震わせ笑いを堪えている…つもりなのだろうがしっかり笑っていた。確かに普段は必要以上に関わらないとは言ったけど…見てるだけって何よ。
『みょうじ、今日の練習の詳細だが…』
『はい』
気を遣ったつもりなのか、跡部と少し離れた所で確認をした。緊急用に持ち歩いていたメモ帳に簡潔に書き留めていく。
『では、本日はこれでよろしいでしょうか?』
『ああ、任せたぞ』
制服のポケットにねじ込み、ここにいる人達に紅茶を淹れれば雅治がこっちこっち、と手招きをしていた。
『どうしましたか?仁王さん』
『これ、お前さんのじゃろ』
他の人と同じように接すれば紙切れに文字の羅列が並んでいた。話を合わせろということか。
『あ、これ…』
『跡部の部屋の前で落としたみたいぜよ』
勿論嘘。周りに人が居る時で急ぐ場合は筆談にしろという内容だ。端のほうにメールアドレスと電話番号が書いていた。
『わたくしとしたことが…お手数かけましたわ』
軽く頭を下げる私を横目に雅治は書き殴った簡潔な文字の羅列を指差して気にするなとだけ言った。
今夜十一時、部屋に行く。
これ以上ないくらいシンプルな内容だった。
それじゃあ準備しておく。走り書きで書いた文字に彼は軽く頷いた。

『なまえ、ホンマゴメン!反省するからまずは彼氏彼女から…!』
『…丁重にお断り致します』
雅治、笑ってないで助けてよ、もう。





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