ボクが部室でデータをまとめているとき、何の前触れもなくその人はやってくる。
「失礼しまーす」
控え目なノックと共に入ってきたのは名字さん。
ボクはデータの詰まったノートを広げたまま対応する。
「今日は、どうしたのですか」
彼女が訪ねてきたのは今回が初めてではない。
「あのね、観月くん、今日の数学の課題で分からないところがあるんだけどいいかな」
名字さんの言葉には、いつだって疑問符は付いていない。
いいかな、とは聞くが断られるなんて思っていないだろう。
「構いません。が、ボクがデータをまとめている最中ということは頭の片隅にでも留めておいてください」
「わかってるよ、すぐ済むから。多分。」
名字さんが分からないと出してきた問題は実に簡単で、ボクを悩ませることはなかった。
「なんだ、悩む前に観月くんに質問に来たほうが早かったや」
「何を言ってるんですか、自分で考えることが大切だというのに」
「だって観月くんは何でも教えてくれるから」
ああ、きっとばれている。それはもう、色々と。
ボクがこの人の頼みなら断らないこと、なんだかんだでこの人にはいつも甘くしてしまうということ。
そして、ボクの好意を。
この人は分からないことを聞きにくる割に、ボクの心の奥底はきっと分かり切っているんだろう。
…なんて意地の悪い人なんだ。
「ほら、もう分からないところは無くなったでしょう。そろそろ帰る準備をするべきではないですか」
少し気恥ずかしくなって、帰ることを勧めてみる。
「え、やだよ、今日は観月くんと帰るって決めてたから」
「あきれた、ボクの意見も聞かず勝手に決めたんですか。それに帰るといっても寮に戻るだけでしょう」
「え?一緒に帰ってくれないの?」
「誰もそんなこと言ってないじゃないですか」
「じゃあ、データまとめに戻ってください。私は課題終わったから読書してるね」
「…遅くなっても知りませんよ」
今はまだ、この人に気持ちを告げるのは早すぎる。
名字さんの横顔をちらりと盗み見て、データをまとめることに専念する。
あなたが隣にいるなら、もう少し時間をかけようか。