確固たる意志




夢を観た。

双子の姉、イーシャの夢だ。
カイルの夢の中のイーシャは、いつも泣いている。
忘れもしない、母ヒンティの葬儀の一切が片付いた頃の事だった。
父皇帝が、嫌がるイーシャの手を引いて王宮へ連れて行く。カイルの執り成しなど、訊く耳を持っては貰えなかった。
「助けて、カイル!」
涙に濡れたイーシャの大きな瞳が、カイルを見つめている。カイルは必死に腕を伸ばしたが、イーシャは皇帝と共に闇の中に姿を消した。
伸ばした腕が掴んだのは、闇と空だけだった。



「イーシャ!」
ぱちりと眼を開けると、見慣れた寝所の天井が見えた。
―夢だったのか。生々しい夢だ。
カイルは頭を掻き毟ると、溜め息をひとつ吐いた。
イーシャが連れ去られて、早一ヶ月。
王宮を訪ねても、会う事は叶わなかった。
そればかりでない。母の死の謎についても、探らなくてはいけない。15歳のカイルの両掌に重くのしかかる現実。
逃げてはいられない。母からも。イーシャからも。






皇帝との謁見が叶ったのは、ナキア妃が正式に立后し皇妃となった後の事であった。
カイルを迎えた皇帝は、姫君の寝所に出入りするカイルを一通り諌めた後、立ち上がり鷹揚に微笑んで見せた。
「カイル、イーシャに会わせよう」
唐突な皇帝の申し出に、カイルは息を呑んだ。


皇帝に先導されて訪れたのは、見慣れた後宮のその奥深くに、ひっそり佇む後宮付き神殿。カイルも母ヒンティに着いて、出入りをした神殿だ。
篝火で照らされた深い回廊を進むにつれ、カイルは堪らずに口を開いた。
「父上」
「この奥にイーシャがいる」
それきり皇帝は口を閉ざした。
カイルは押し黙って後ろを歩いた。
重厚な樫の扉の前で皇帝は立ち止まる。樫の扉には火の神を祀る彫り物がしてあった。
「カイル」
徐に振り向いた皇帝の表情は、厳しい。
「はい」
「この扉の向こうにいるのは、そなたの姉ではない」
「、は?」
「イーシャはこの国を支える娘になったのだ」
「父上、意味が判りません」
「会えば判る」
樫の扉を押し開くと、扉が軋む大きな音が長い回廊に響き渡った。
腹の底に響く音だった。
扉の向こうの控えの間には女官が二人、平伏して控えている。
「暫く席を外せ」
皇帝の声に、女官達が叩頭して扉の外へ消えて行ったのを見届け、控えの間の奥の帳の前に進んだ。
「イーシャよ」
帳の奥に、緋色の衣を纏った少女が緩慢な動作で立ち上がったのが、煌々と燃える篝火に照らされて、透けて見えた。
「お父様。それにカイル…」
消え入りそうな声が、近寄って来た。
「イーシャなのか」
たまらずカイルは声を上げた。
帳を摺り抜けて目の前に現れた少女は、間違いなくイーシャだった。
しかし、その愛らしい頬はげっそりと痩け、血色の良かった唇には生気がない。
―まるで別人ではないか。
「父上、イーシャに一体何をされたのですか」
無意識に語気が強くなる。が、皇帝は意に介さない様子で笑った。
「イーシャには、『緋神子』としての役割を果たして貰わねばならない」
『ひみこ』、初めて訊く単語だった。
「カイル、あなたは『緋神子』の伝説をご存知ですか?」
イーシャは穏やかに微笑んだ。
「昔、お母様から訊きました。ヒッタイト皇帝に代々伝わる伝説です。火の神子として未来を垣間見る事の出来る娘が皇帝の御許に舞い降りた時、その皇帝の治世に安寧が訪れるだろう、と」
「それがイーシャ、お前なのか?」
カイルの声が震える。
イーシャはカイルの両掌を握り締め、諭すような口調で続けた。
「わたくしが、『緋神子』としての力を手にしたのは、お母様が薨去なさったあの日の事です。お母様はご自分の命が尽きた時に、わたくしが『緋神子』として覚醒する様に、まじないをなさっておられたのです。お母様のお力で、わたくしは火の中に未来を看るようになりました。わたくしはお母様に成り代わってこの国を支えてゆくと決め、お父様に着いてこちらへ参りました」
イーシャの口調には慈愛に満ち溢れていた。
それだけに、カイルは胸が痛んだ。
傍観していた皇帝が、カイルの双肩を抱き締めた。
「カイルにもイーシャにも辛い思いをさせる。しかし、そなた達に誓う。余の私欲の為にイーシャを利用しないと。イーシャと云う犠牲を国の礎に、安寧な治世を必ず創り上げると」
深く、深く、頭を垂れて皇帝は涙を流した。
「カイル。誤解しないで下さい。お父様は娘たるわたくしを、愛しておられないのではないのですよ。そして、お父様。わたくしは犠牲になったなどとは、露ほども思ってはおりませぬ。皇女として、民を導く者として、そしてお父様とお母様の娘として、恥じぬ生き方をすると決めたまでの事にございます」
晴れやかな笑顔が、却って辛かった。けれど、母の胎内にいる時から共に生きて来たイーシャの性格なら、誰よりも判っている。
誇り高く、気が強く。何よりも自分で決めた事は貫き通す、堅固な意志を持った、カイルの片割れ。
「カイル。お父様を、この国をどうか支えて下さい。及ばずながらわたくしも、この国の為に生きて参ります」
イーシャはカイルの体を、抱きしめた。
「カイル。イルに心配しないで、と伝えて。わたくしは大丈夫、と」
皇帝に聞こえない様、そっと耳元に囁かれた密かな願い。
イル・バーニを大切に想うイーシャの心が辛くて。
イーシャの柔らかな温もりと、嗅ぎ慣れた甘い薫りが、カイルの胸を締め付けた。
「ああ、必ず伝える」


イーシャの安堵した笑顔が、泣きそうに歪んだ。












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