焦がれる



「次はいつ来はるんやろ、春斉先生」
「来週来はるて言うてはったんとちゃいますの」

着物を持って現れた男衆がくすりと笑った。
春斉を名乗る絵師に出会ってからの響野太夫はどこかいつも上の空で、彼女を包んでいた張り詰めた空気もない。

「三味線のお師匠さんも、最近のこったいはなんや変やって心配したはりましたで」
「菊駒姐さんにも気付かれてたやなんて、恥ずかしいわ」
「こったいの遅い初恋どすなァ」
「からかわんといて」

男衆に言われるまでもなく、響野は気付いていた。
沢山のお馴染みさんがいたからこそ、誰かを好きになる事なんてなかった。男達を平等に客として扱う術には長けたが、その分色恋沙汰には滅法弱い。

「ごてくさ言うたら気分が暗なった」
「へぇ、すんまへん」
「口直しに三味線でも弾こか」

窓際に床机を寄せて軒下の路地を行き交う人の流れを眺め、三味線を膝に抱える。
ほろりと爪弾く度に、三味線が悲しげに鳴いた。

「こったい。折角やし、都々逸なんかどうどす」
「ええなァ、謡ってみよか」

ゆるやかな調子で鳴く三味線の音色は、今の響野の気持ちそのものだった。


 諦めましたよ
 どう諦めた
 諦められぬと諦めた


「こったい…」
「なんも言わんでええ。あんたは仕事あるんやろ、お母さんに怒られる前に去んどきや」
「へぇ、ほな仕事に戻ります」


無意識に紡ぎ出した言葉が、頬を伝う冷たい涙が、響野の気持ちをこれ以上ない程、表していた。

「島原傾城がひとりの男に惚れて泣くやなんて、無様なだけや」


涙を拭きながら唇を噛み締めた。泣き声が禿に聴こえては示しがつかない。
比古清十郎という男に出会って、初めて誰かを手に入れたいと思った。
必死に掴み取った太夫という地位をかなぐり捨てて、一人の平凡な女になりたいとすら思う。

「好いたひとがでけたわては、おなごとしては幸せもんやけど。島原一の太夫としては失格や」

響野太夫としての矜持が、男に狂う事を許さない。

「いっそのこと、連れて逃げてくれはったらええのに」

それは秘めなければいけない想い。
血を吐く思いで身につけた芸や太夫としての誇りよりも、重きを置いて良いものではなかった。



「こったい」

障子から遠慮がちに声を掛けたのは、響野が可愛がっている禿の琴鈴だった。

「なんやの」

涙の跡を隠して、微笑みを向けた。

「蓬莱屋さんから逢状きたはりますけど」
「今夜はどなたさんやろ」
「それが絵師の先生やそうどす。春斉はんてご存じどすか」
「琴鈴、ほんまに蓬莱屋さんが春斉はんて言うたんやな」
「へえ」
「判ったから、あんたも支度しいや」
「あ、春斉はんからお手紙どす」
「おおきに」


微かに震えた声に、琴鈴は気付かなかっただろうか。
顔色が変わった事を、気取られなかっただろうか。

手渡された手紙を開けるとそこには、流行りの都々逸の文句が書き付けてあるだけだった。

 色じゃないぞえ
 ただ何となく
 逢ってみたいは
 惚れたのか


響野は泣いた。
この世に生まれて十八年。胸が苦しくなる程、ひとを愛しいと想う事はなかった。
たった一度きり会っただけの男が、響野の心に棲み着いて離れない。


「わても会いたい。清はん、あんたの事が好きや」


自覚してしまえば辛いだけだ。
大きく膨らむ気持ちを押し殺して、それでも微笑まなければいけない。
響野は莫迦ではない。自分の立場を良く理解している。
理性が強い方だとも思っていた。けれど、今はその理性が負けそうに揺らぐ。


「ただのおなごやったら、一も二もなく喜べるんやろうな」


黒々と書き付けられた文句を、胸に掻き抱いて泣いた。











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