『真の戦士として目覚めなさい』

その女神の託宣はいつも夢の中で、だった。
妙に現実感のある、夢。
僕の心に直接呼びかけるような不思議な声。
日溜まりのように暖かく穏やかで、それでいで芯の強い響きを秘めた声だった。
どこかで聴いたことのあるその声を、僕はずっと思い出せずにいる。











「はるか、起きて」
僕を揺する、か細い指先が夢から僕を引きずり出す。
「沙羅…」
「うなされていたようだけど、怖い夢でも視たの?」
柔らかい笑みを称えたままの唇が、僕の頬に押し付けられる。
アイボリーのガウンをラフに着て、長い髪を掻き上げている沙羅の横顔は、文句なしに佳い女だと思う。
「怖くはないけど、不思議な夢だった」
「ふうん。案外予知夢だったりして、ね」
意味ありげな語尾と、楽しげに僕を見やる視線。
「おいおい、沙羅。脅かすなよ」
「心配しないで?どんな夢を視たのかは判らないけれど、何があってもはるかは私が護るわ」
白くたおやかな腕が、僕の裸の背中をぎゅっと抱き締めた。
「沙羅から見たら、僕は子供で頼りないのかな」
「バカねぇ。そうじゃないわ。とっても大切ってことよ」
くつくつと低く笑う沙羅の声が心地いい。
バカ、と囁く沙羅の声に、僕への甘い響きが隠されているのを知っているから、僕はいちいち沙羅にときめいてしまう。
「大切ってこと?なんだよ、沙羅。判らないよ」
「だとしたら、まだはるかは子供なのかも知れないわね」
そろそろ朝ご飯にしましょう、と僕の唇に重なった薄い朱唇が囁いた。
僕なんか、すっかり形無し。
適う筈もない、余裕綽々の年上の恋人。








沙羅の白い手が勢いよくカーテンが左右に開け放つ。
燦々と輝く陽射しが寝室に降り注いだ。
僕は仕方なく一糸纏わぬ体のまま、ベッドから這い出た。
「そろそろルイーズが私たちを起こしに来るんだから、ガウンくらい羽織ってちょうだい」
ガウンを無造作に僕に放りながら、沙羅は苦笑する。
諦めにも似た鼻から抜ける、溜め息混じりの吐息には微かな艶が含まれていた。





『お嬢様、はるか様。ご起床下さいませ。ご朝食の支度が整いましたが、お摂りになられますか』

ノックの軽い音と共に沙羅の侍女ルイーズが、ドア越しに流暢なクイーンズイングリッシュで朝食を報せる。
ルイーズのクイーンズイングリッシュは、単に沙羅という女主人に仕える使用人のものではなく、まるで主君たる女王に仕える侍女のようだと錯覚してしまうくらい、丁寧で優雅で格調の高さを感じさせる。
沙羅によれば、英国の貴族だったお祖母様のクイーンズイングリッシュと、その気高さ、誇り高さが、沙羅の振る舞いの原点なのだそうだ。
ルイーズもわざわざ沙羅の為に、お祖母様が英国の実家から呼び寄せたのだと訊いた。
英国王室に並ぶ程の家柄と格式を備えたミッドフォード公爵家こそが、お祖母様の実家。
かしずく侍女たちに囲まれ、衆人環視の中で常に正しく美しく振る舞う事を求められてきた、とお茶会でお祖母様から訊かされた。
人々の上に立つ者としてのし掛かる重責に耐え、羨望の的で在り続ける努力を怠らない。
沙羅はお祖母様のような、誇り高く高貴な人間になりたいと、自ら望んでお祖母様の厳しい教育を受けて育ってきた。
子供の頃から密かに沙羅に憧れを抱いてきた僕の手が届く範囲に、今沙羅がいることこそ奇跡なのだと思わずにはいられない。
そんな感慨に耽っていた僕に、ガウンを着るよう沙羅が目で合図する。
僕は仕方なくガウンを身に纏い、ルイーズを迎えるべく沙羅の隣に腰を下ろした。



『お入りなさい、ルイーズ』
沙羅もルイーズに、流暢なクイーンズイングリッシュで応える。
但し、沙羅の唇が紡ぐクイーンズイングリッシュは、尊大にして優美。
それこそ、正に女王の風格を備えていると形容するに相応しい。
お祖母様の教育の賜物、なのだろう。
『おはようございます。お嬢様、はるか様』
そっとドアを開けて室内に一歩踏み込み、その場で叩頭する。
『おはよう、ルイーズ。朝食の給仕をあなたに任せたいのだけれど』
『有り難く存じます、お嬢様。畏れながら階下のサンルームにご用意してよろしゅうございますか。素晴らしく良い日和でございますから、暖かな陽射しの下でご朝食をお摂り頂きたく存じます』
『あなたの思うようにおやりなさい』
『御意。それではわたくしはサンルームにて、お二人をお待ち申し上げます』
『すぐに参ります。ルイーズ、楽しみにしているわ』
艶冶な微笑を浮かべる沙羅に、ルイーズはうっすらと頬を赤らめながら退室の礼をとって叩頭し、僕たちの寝室を出て行った。




「相変わらずルイーズは有能だな」
「そりゃあそうよ。わたしがお祖母様に頼んで寄越して頂いたんだもの」
ぱさり、ぱさり、と沙羅がガウンから夕暮れ色のワンピースに着替えはじめる。
「そういえばお祖父様はお元気なのかい。お祖母様には先週のお茶会でお会いしたけど、お祖父様には最近お会いする機会がないんだ」
「とってもお元気よ。はるかに会いたがっていたわ」
「僕も会いたいな。沙羅とのことを認めて貰って以来、一度も会ってないから」


僕の脳裏に、厳めしい顔をした沙羅のお祖父様が浮かぶ。
情に厚く、懐が広く、僕のパトロンになってくれた。
そして、この僕に沙羅を任せてくれた。
返しても返しきれぬほどの、大恩あるひと。
沙羅と一生を添い遂げたいのだ、と直訴したのは一年前のことだ。
柄にもなく緊張して、掌に汗をかきながら頭を下げた。
反対されると思っていた。
僕はまだ未熟な子供で、戸籍上の性別は沙羅と同じ。
歓迎して貰えるなんて、夢にも思わなかった。
沙羅の両親が亡くなって以来、殊更沙羅を大切にしてきたお祖父様だから、簡単に手放してくれるとは想像もしなかった。
なのに、僕と沙羅が好き合っていると、ずっと一緒にいたいのだと、言葉を飾る余裕も失せて、ただただ愚直に伝えれば。
お祖父様は愉快そうに、声をたてて豪快に笑った。
「こんなに早く孫を手放すことになるとは思わなかった」と、目をすがめて僕の頭を撫で回した。
沙羅のお目付役と侍女を一人ずつ連れていくことと引き換えに、お祖父様は神崎家が所有している赤坂の洋館に二人で住むことを許してくれた。
その時、沙羅がお祖父様に強請ったのが、ばあやのアンナ・マリー。
それから、沙羅のお祖母さまから譲り受け、以来一際信頼を寄せ重用してきた侍女のルイーズ。
穏やかで笑えるくらい、幸せな日々。
僕と沙羅だけでは手に入れられなかった、確かな幸せが今ここに在る。
沢山の優しい大人たちに守られて、助けられて、未熟な部分をそっと支えられて。
その上で僕たち二人は、危うくも穏やかに今を生きることを赦されている。



「沙羅」
「ん?」
「キス、しない?」
「良いわ。いっぱいして」




僕の首筋に沙羅の細い腕が絡みつき、その甘やかな香りごと抱きしめた時。
窓辺の日溜まりの中に僕の女神が現れて、微笑んだ気がした。






Dの純情




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