無限学園の弓道場には中等部以上の学生が一堂に会し、弓道部員たちの鋭い弦音が響き渡る。
勇ましくも凛々しい袴姿が評判を呼び、気付けば放課後の弓道場にはどこからともなくギャラリーが押し寄せ、今ではちょっとしたイベント風景ともなっているらしい。
その中心に必ずいるのが、長く艶めく髪を一つに束ね直向きに弓を引く、ひとつ年上の僕の恋人。
その姿はいつしか学園中の羨望の的になっていた。
どれだけギャラリーが増え、アイドルさながらの黄色い声援が飛ぼうとも、誰も彼女の集中を切らせることは出来ない。
例えば恋人でさえ、的を見据え弓を射る彼女の意識に介入し干渉することは許されない。
如何に僕が、彼女だけを見ていようとも。的に向かう彼女の眼差しが、僕だけを捉えてくれることは決してないのだ。
それは望んではいけないことで、嫉妬するのも馬鹿げたことだと判っていながら、僕は彼女の心を掴んで離さない弓道にすら、嫉妬してしまう。


「流石よね、高等部の神崎先輩」
「無限学園が天才の集まりでも、神崎先輩ほどの方はなかなかいらっしゃらないわ」
「いつもの制服姿も楚々とした風情が可憐ですけど、あの袴姿も凛々しくてまた一段と素敵ですわね」
「亡くなられたお母様は日舞藤花流のお家元だとか」
「立ち居振る舞いが美しいのはその所為かしら」
「まるでお伽話に出てくるお姫様のようだわ」
「大和撫子って言うのは、神崎さんみたいなひとのことを言うんだよ」
「そういえば彼女、天王はるかって中学生と付き合ってるらしいな」
「陸上で記録を出した、天王はるかかい?それなら諦めるしかないよ」
「なんでも彼女を追って、無限学園に来るらしい。本気みたいだな、勝ち目がない」




聞いての通りだ。
僕の年上の恋人は、男女を問わずモテている。
いや、今なおモテ続けている。





「あら、はるか。来てたの」
僕を見付けると弓具を持ったまま、眼差しを和ませて駆け寄って来た。
「外部の制服だとやっぱり目立つわね」
「邪魔したかな」
「大丈夫。今日はなんだか騒がしくて集中出来ないから、早めに切り上げて帰ろうと思ってたところよ」
僕が差し出したタオルで首筋の汗を拭いながら、弓具を片付け始める。
普段なら部員がいなくなっても弓を引いているのに、今日は本当に早く帰りたいようだ。
「なにか手伝えることは?」
「ありがとう。すぐに帰り支度を済ませるから、ロビーで待っていてくれる?」
「オーライ。判ったよ、僕のお姫様」
「ふふ、はるかったら相変わらず気障な台詞が似合うのね。そうだ、十番街にケーキと紅茶が美味しいカフェを見つけたのよ」
「そんなに美味しいなら、帰りに寄って行こうか」
「良いの?ありがとう」
パッと華やいだ笑顔を振り撒き袴を翻して、更衣室へ走って行った。
弓を引いた後で汗だくにも関わらず、彼女を纏う空気はいつも爽やかだ。
僕もギャラリーもすっかり魂を抜かれて、ただ彼女の走っていく後ろ姿を見詰めた。







「はるか、お待たせ」
制服に着替えた彼女が、ほどいた黒髪を風になびかせながらロビーに現れた。
「急がなくて良かったのに」
「早くはるかに会いたかったのよ」
「可愛いことを言ってくれるね」
「本当のことだもの」
「君には適わないな」
「それより行きましょ。ここは空気が悪いわ」
するりと僕の手に指を絡ませて甘えて来る彼女に、僕はそっと湧き上がる笑みを噛み殺した。
「君はどれだけ僕を夢中にさせれば気が済むのかな」
「いくらでも。終わりなんて来ないわ」
「え、」
「私がはるかを好きになる気持ちに際限がないように、はるかにもずっと私を好きになり続けていて欲しいのよ」
はにかみながら僕の目を見詰める彼女に、僕の心は掻き乱される。
そんな余裕のない僕を、彼女は知っているのだろうか。
僕から余裕を奪うのが彼女だけだということを、彼女は知っているのだろうか。
鼓動が高なり、頬が紅潮する。
僕を好きだと言ってくれる子は沢山いるのに、こんな風にときめきをくれるのは、彼女の他には誰もいない。
好きだと言って貰えるのは、勿論有り難い。
でも、彼女が僕に囁く『好き』という言葉だけが、僕の心に甘く特別な響きを持つ。


「ねえ、はるか」
「なんだい?」
「私、幸せよ」
「藪から棒にどうしたんだい」
「あなたが私を好きでいてくれて、私もあなたを大好きでいられる。こんな幸せって、なかなかないものよ」
僕の手を握る細い指先に力がこもった。
彼女の細い指先から愛情が伝わってくるような錯覚にすら陥る。
「僕も幸せだよ。今、君の視線を独り占め出来ている奇跡が、僕を有り得ないほどの幸福に導くんだ」
「それなら私たち、似た者同士でお似合いだわ」
表情を緩ませて、くすくすと彼女が笑う。
自然に繋がれた手が、幸せそうな彼女の笑顔が、僕の大切な宝物。


「私たち、ずっと同じ世界を生きていけるかしら」
「僕は信じるよ、沙羅が夢みる未来を」
「はるか。どんな運命にも負けないで、私の掌を離さないでいてくれる?」
「急にどうしたんだい?良く判んないけど、君を離すつもりはないよ」
一瞬にして恐怖の色に染まってしまった沙羅を安心させたくて、冷たい指先をしっかりと握った。
「そう、祈ってる。あなたと未来を信じるわ」
表情は固いままだったけど、沙羅が僕を見て笑った。



可能な限り、沙羅と同じ世界を、同じ時間を生きていきたいと願う。
もし運命なんかが、僕と沙羅の仲を引き裂こうとしても構うものか。
僕の世界の中心には、いつだって沙羅しかいない。
それだけで良い。どんな運命だって、沙羅の為ならはねつけて見せるから。




十年後も沙羅を幸せに出来るのが、僕で在ればそれで良い。

未完のラブソング




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -