お祖父様から渡された契約書には、無限洲に隣接した三つの洲にそれぞれ建っているコンドミニアムから、各棟一室ずつ神崎グループの名前で購入したと明記されていた。
添えられた写真を見ると、海王洲、天王洲、冥王洲に建てられた三棟のコンドミニアムは、まるで三つ子のようによく似ていた。
名字にちなんで僕とみちるはそれぞれの洲のコンドミニアムから部屋を選んだが、沙羅を残った冥王洲のコンドミニアムに一人で住まわせるのは、なんだか少し躊躇われた。



「沙羅、天王洲で一緒に暮らさないか?」

みちると三人でするお茶会は、ほぼ日課になっていた。
沙羅の引っ越しに伴い、年度末で高輪の屋敷に戻されることが正式に決まったばあやとルイーズは、過ぎゆく時を惜しむように赤坂の館で沙羅の世話を焼いている。
沙羅も思うところがあるのだろう。
学校に行く以外の外出は激減した。
みちると会う時も喫茶店やカフェではなく、赤坂の館に呼ぶようになり、ばあやとルイーズと過ごす時間を増やすようにしている。



「私は冥王洲に住むのよ、当分はね」
「当分?何か先の予定でもあるのかい?」
「その内判ることだから、時が来たら話すわ。それから、私のことなら大丈夫よ。心配しないで」
「沙羅姉様。お節介ですが、誰か使用人をお入れになってはいかがですか?ばあやもルイーズも本家に戻してしまわれるのでしょう?」
「二人とも心配過ぎだわ。高輪にいたころ、お祖母様から家事一切は教わっているし、コンドミニアムにはコンシェルジュもいるのだから、セキュリティーだってしっかりしているのよ。困ったことがあれば二人に頼るし、はるかの部屋にだって泊まりに行くわ。完全に独りになるわけじゃないんだから、大袈裟に心配しないで頂戴」


頑なだった。
今まで一人で行動することを赦されなかった沙羅が、いきなり使用人すらいない部屋で一人暮らしをする。
庭のない家にさえ住んだことがい正真正銘のお嬢様の沙羅が、いきなり高層マンションで暮らすだけでも僕は心配だ。
けれど、沙羅は僕や周りの心配なんかどこ吹く風とばかりに、一人暮らしを楽しみにしていた。


「あのね、はるか。私だってもう子供じゃないのよ。自分が育った環境が特殊だってことくらい、判っているわ。それでも、人並みの苦労はしているつもりよ。一時的にでも、その苦労から逃げてはいけないのかしら」
「今の暮らしが辛いのかい?」
「辛くはないの。苦労のない生活なんて、どこにもないことくらい判っているわ。ただ、何も言わなくても食事が出て来て、着替えや移動には使用人がついてくる。そんな当たり前の生活を、与えられて当然だとは思いたくないのよ。私は与えられる生活を死ぬまで続けるでしょうね、神崎家にいる限り。だから、少しだけ息抜きをしたいだけ。物理的には苦労するだろうけど、与える側に立ちたいと思ったの」
「僕もみちるも、沙羅からたくさんの気持ちを貰っているよ。君はもう与える側にいるんだよ」
「そうですわ、沙羅姉様。ご立派なお考えですけれど、わたしたちは姉様から抱えきれないほど、たくさんのものを頂いていますのよ」


僕とみちるの言葉のひとつひとつを、頷きながら聞いていた沙羅は強い眼差しで、僕たちを見据えた。


「二人とも、反対しないで。もう、決めたことなのよ」


こうなれば、もうお手上げ。
沙羅の意志は、鋼よりも固い。
それに沙羅の決断に逆らえるほど、僕は沙羅に対して強くない。


「沙羅には負けたよ。でも、条件をつけさせてくれ」
「条件?」
「食事は必ず、僕と二人で摂ること」
「毎食?」
「そう。毎日、毎食。僕が作っても良いし、沙羅が作っても良い。デリバリーでも外食でも構わないけど、必ず一緒に食べよう」
「ええ」
「週末には、みちると三人で食事をしよう。それから月に一度は高輪の屋敷に行って、お祖母様のお茶会に出席すること」
「ええ、約束するわ」
「それだけ約束してくれるなら、僕はもう反対しないよ。沙羅がやりたいようにしたら良いさ」
「ありがとう、はるか」
「姉様、学校には三人で行きましょうね」
「ええ、みちるとも約束するわ」


冥王洲のコンドミニアムの契約書を、沙羅の前に差し出せば。
沙羅はやっと柔らかい微笑みを、口許に浮かべた。


「ホントに沙羅には負けるよ。見た目に似合わず頑固なんだから」
「粘り勝ち、かしら」
「そうだな。僕の全面降伏で落着ってとこかな」
「こんなに我を通したの、はじめてなのよ。春が楽しみ、どんな生活になるのかしら」


ばあやもルイーズも、僕さえも沙羅と一緒には暮らせない。
理由をつけて頑なに、沙羅が周囲の人々を遠ざけたがるのを、僕ははじめて見た。


沙羅がそこまでして独りになりたがる理由を、僕は知らない。
知りたいのか、知りたくないのか、そんなことも見失うくらいに、嫌な予感だけが僕の胸を締め付けた。


沙羅が遠く霞んでいく。
そんなイメージが、僕の脳裏から離れてくれない。




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