「沙羅、立派にこの館の女あるじに成長したな。先程の口上も上手に出来ていた」

緋毛氈を歩いた先の、応接室の上座に腰を落ち着けたお祖父様は、右隣の沙羅に親しみを込めた笑顔を向けた。

「勿体のうございます。至らぬところばかりで、お恥ずかしゅうございますけれど、そのように仰せ下さり有り難う存じます」

祖父と孫という間柄なのに、この二人がフランクに話しをしている光景を、僕は見たことがない。
今でも旧華族の誇りとしきたりを大切にしている神崎家では、ごく当たり前の距離感だと沙羅は言う。
英国人のお祖母様とは親密に砕けた会話もしているし、亡き両親とは近しい距離感だったらしい。
けれどお祖父様は、厳格にしきたりと礼儀を重んじている。
僕と沙羅の仲を認めてくれた、進歩的な考え方とは真逆な行動や言動が、隠れたお祖父様の魅力なのではないかと僕は思う。


「はるかは無限学園に慣れたか」
「お陰様を持ちまして、楽しく過ごしております。海王みちるさんともすっかり打ち解けました」
「それは何より。学長から聞いたが、沙羅も高等部では有名だそうだな」
「お恥ずかしい限りでございます」
「来年度からは、はるかと海王家のみちる嬢も高等部だな」
「ええ。今から楽しみです」
「そうか」


それきりお祖父様は口を閉ざし、僕と沙羅の顔をゆっくりと見比べた。


「赤坂から無限学園までは通いにくいのではないか。この館には専属の運転手もいないのだろう」
「電車もタクシーもございますから、特別に不便とは思っておりません。はるかと二人、連れ立って歩くのも悪くないものでございます」
「実はな。沙羅、はるか、それから海王家のみちる嬢に、進級祝いを用意した」

お祖父様に促された秘書が、黒い鞄から書類を三通、テーブルの上に出した。

「拝見致します」

書類を開いた沙羅が、お祖父様を振り仰いだ。

「無限学園のほど近い三角洲に建設されている、コンドミニアムの契約書のようでございますけれど」
「折角無限学園に通うのであれば、通い易い環境が望ましいと思ってな。良い部屋を三つ買い取ったから、各自好きな部屋に住みなさい。沙羅につけた使用人はそのまま連れていって構わない」
「では、赤坂のこの館はいかがなさるのでしょう?」
「ここもこのままで構わない。沙羅が使いたい時に使えるようにしておこう」
「有り難うございます」
「もうすぐ春休みだろう。春休みの内に引っ越して、住みやすく整えておきなさい」
「みちるにも伝えておきます。きっと喜ぶでしょう。お祖父様のお心遣い、誠に忝く存じます」
「本当は高輪にいて欲しかったが、保護者と一緒に暮らすのは気詰まりなことも多かろう」
「頻繁に高輪にも寄せて頂きます。お祖母様のお茶会にも必ず出席致しますとお伝え下さいませ」

嬉しそうに口許を緩ませたお祖父様は、満足げに頷きおもむろに立ち上がった。

「お帰りでございますか」
「これから会議でな。沙羅、来月の取締役会には顔を出しなさい。秘書の高峰を迎えに寄越すから」
「はい、そのように致します」


秘書が付き従い、ばあやとルイーズが叩頭している廊下を、ゆったりと玄関へ向かって歩いていく。
僕と沙羅はその後ろから、足早にお祖父様の背中を追い掛ける。


車寄せで立ち止まり、もう一度僕たちの顔を見つめてから、車に乗り込んだ。
何も言わなかったけれど、慈愛を秘めた眼差しだった。



「近い内に高輪で会食をしよう。使用人たちもお前たちに会いたがっている」
「必ずうかがいます。お祖父様、ご機嫌よう」

沙羅の言葉に合わせて、僕も最敬礼をする。
お祖父様が、「うん」と大きく頷いたところで車のドアが閉まり、するすると動き出した。
車が敷地を出たのを確認してから、沙羅と僕はやっと顔を上げ、ほっとひと息つく。


「お祖父様がいらっしゃると緊張するわね」
「ああ。手に汗をかいたよ」
「私もよ。ダイニングで、ばあやとルイーズとお茶にしましょうか」




ダイニングに入ると、お祖父様が持ってきたコンドミニアムの書類を、ルイーズが恭しく差し出す。

「また引っ越しね」
「でも僕たちだけで暮らした方が、危険は少なくて済むかも知れない」
「そうね。ここの二人も、お祖母様に返すつもりよ」
「一人で大丈夫?」
「乳母日傘の身でもね、二人を危険に晒すくらいなら、自分でなんとかするわ」
「そうだな。危険のただ中に行くのは、僕たちだけで良い」
「ええ。決戦の時まで…」



その続きを、沙羅は紅茶と一緒に呑み込んだ。
僕には時々、沙羅が違う世界を生きている気がして怖くなることがある。
まだ、本格的には始まってすらいない、これから起こる闘いの顛末を、沙羅は知っているのだろうか。
だとしたら、沙羅はどれだけの恐怖と悲哀を抱えて生きているのか。



僕には見守ることしか、出来ないのに。





僕らのセンチュリー3




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