空気を切り裂くように、内線電話のベルが鋭く鳴った。
仕方なく受話器をとった沙羅が、流暢なクイーンズイングリッシュで、一言だけ返事をする。


「…お祖父様がこれからいらっしゃるそうよ」

内線電話の受話器を置いたまま握りしめた沙羅が、低く厳かに告げた。

「え?お祖父様が赤坂に来るのは、初めてじゃないか?」
「ええ。大切なお話しがあるから、はるかも同席するようにって」
「ああ、判った」

お祖父様は忙しいひとだ。
孫は可愛いけれど、孫の顔を見るためだけに、わざわざ赤坂まで出向いたりする時間はない。
用があれば秘書を通して、僕たちを高輪の屋敷に呼び寄せるのが慣例だった。






「一体どんなお話しなのかしら」
「ちょっと怖いな」
「ええ。あのお祖父様がお忙しい中、わざわざ出向いて見えるんですもの。ただごとじゃないわ」


沙羅は真っ青な顔のまま、握っていた内線電話の受話器を持ち上げ、階下に内線を繋ぐ。

『ばあや、すぐに応接室をお祖父様の為に整えておいて。それから、お茶は紅茶じゃなく玉露にするよう、ルイーズに伝えて頂戴』

色を失った唇が矢継ぎ早に用件を告げ、震える手が受話器を置いた。

「沙羅、大丈夫だよ」
「そうね」
「お祖父様が、沙羅を泣かせるようなことをする筈がないさ」
「ええ、判ってる」
「折角だから、去年沙羅の誕生日にお祖父様が贈って下さった、正絹のドレスに着替えたらどうだい?化粧も直してさ。ルイーズを寄越そうか?」
「ええ、出来るわ。ルイーズを寄越さなくても大丈夫よ」
「じゃあ、僕はお祖父様をお迎えする支度を手伝ってくるよ。ルイーズとばあやだけじゃ、大変だろうから」
「ありがとう、はるか」


幾分落ち着いた様子の沙羅を、ドレッシングルームに押し込め、僕は階下へ降りた。






階下は当たり前だが、騒然としていた。
混乱しているばあやを手伝って、この洋館で一番豪華な応接室を設えていく。
お祖父様の為に、真鍮の灰皿と金の蒔絵があしらわれた煙草入れを、上座のテーブルに用意する。
上座のソファの足元から戸口までは、鮮やかな緋毛氈が敷かれた。
当主の来訪時にだけ禁色の緋毛氈を敷くのは、旧公家である神崎家代々のしきたりだ。
イギリス人のばあやと侍女しか使用人がいないこの館では、神崎家のしきたりを踏襲するのもひと苦労だろう。



『旦那様のお車が到着されました!』

ルイーズの上擦った声が館中に響き渡ると、階上からドレスに着替えた沙羅がゆったりと微笑みながら階段を降りて来た。

『ルイーズ、ばあや、ありがとう。下がってお持て成しの支度をなさい』

叩頭し、キッチンに下がっていく二人を尻目に、沙羅の眼は車寄せに入って来た黒い車に向けられていた。
顔馴染みの秘書が後部座席のドアを開けると、フロックコートを身に纏ったお祖父様が、僕たちの目の前に厳めしい表情で現れた。

「お祖父様。赤坂へわざわざのお運び、有り難く忝く存じます。お祖父様におかれましては、益々ご健勝との御事、心よりお慶び申し上げます。幾久しくご健勝でおいで遊ばし、幾久しくわたくし共をお導き下さいますよう、お願い申し上げます」

西洋の礼儀ではないから、ドレスの裾は持たない。
たたんだ扇をお腹の前で祈るように両手に持ち、深くお辞儀をする。
古式ゆかしく、美しい口上。
僕はその隣で最敬礼をして、お祖父様の返事をひたすらに待つ。

口上に対して、すぐには返事をしない。
だからと言って、返事を急かしてもいけない。
お祖父様の威厳を確かめるような沈黙の中、僕たちは叩頭したまま待たなければならない。
ゆっくりと玄関ホールと僕たちを見渡したお祖父様は、満足げに一言。
「よく出来た」
と、言って微笑んだ。






僕らのセンチュリー2




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