僕が、自分の性に違和感を持ったのは、いつだっただろうか。
女を押し付ける周りに嫌気がさして、男にもなりきれない自分に溜め息ついて。
男でも女でもない自分のままで、天王はるかという生き方を貫きたくて家を飛び出た。

そんな葛藤を抱える僕を知りながら、力になり助けとなってくれたのが陸上連盟の幹部だった沙羅のお祖父様。神崎且元(かつもと)、そのひとだった。
陸上部の寮がある学校へ編入させてくれ、学費も援助してくれた挙げ句、興味を持っていたモータースポーツをはじめる際のスポンサーをも買って出てくれた。
中学校に入った時に正式なパトロン契約を結び、家出同然だった僕の後見人になってくれた。

本当に大恩ある、ひと。

お祖父様に引き合わされて、沙羅にいつしか惹かれるようになった。
幸運なことに、沙羅も性別なんかどうでも良いと、天王はるかという人間を受け入れて、愛してくれた。
ふたりで共に生きると決めた時も、お祖父様は優しく笑ってくれた。
大きな組織を背負って立つ立場に在りながら、世間体なんか気にするな。ふたりが幸せならそれで良い。と、優しく笑ってくれた。

僕には沙羅を幸せにする、なんて胸を張って言うことは出来ない。
そこまで驕った人間にはなれないし、なりたくもない。
ただ、ふたりで幸せを創り上げていけたら良い、と思っているだけだ。
それでも、ひとつだけ譲れないことがある。

沙羅を泣かさない、ってこと。
涙を流す沙羅も綺麗だけど、沙羅は笑顔の方が似合うと思う。
根っからのお嬢様育ちで、この世の苦労というものを知らずに育てられた、沙羅。
今までずっと真綿にくるむように、沙羅を大切にしてきたお祖父様と同じやり方で、沙羅を愛することは不可能だ。
僕と生きる以上は、きっと苦労が付き纏うだろう。
世間の荒波に揉まれて、戸惑うこともあるだろう。
神崎グループ理事の沙羅と、現役レーサーの僕。
互いに有名人である以上、口さがない中傷に晒されて傷付くこともあるだろう。
そんな時、僕が沙羅の楯になれるように。
沙羅の安らげる場所が、僕で在るように。
そんな風に沙羅を愛して生けたら、良いと思う。
それが僕なりの、沙羅を愛するやり方だ。





「はるか」
「なんだい?」
「ばあやがお茶を淹れてくれたの。読書はお休みして、一緒にいかが?」
「スコーンがあるなら、そうしようかな」
「ええ。ばあや特製のスコーンと、あなたが好きなブルーベリーのジャムもあるわよ」
「それじゃあ、お茶にしようか」


僕の部屋の窓際のテーブルに、沙羅が手際よくお茶の支度をはじめた。
一緒に入ってきた侍女のルイーズが、甲斐甲斐しく沙羅の手伝いをしている。


「無限学園はどう?慣れた?」
「ああ。沙羅のファンに威嚇されることもなくなったよ」
「いじわる。はるかが悪いのよ。編入初日に交際宣言なんてするから…」
「お陰で沙羅についてた悪い虫がいなくなっただろ?」
「あなたって、実は過激なひとだったのね。知らなかったわ」
「仕方ないさ。なんせ君は高嶺の花だからな」

お茶をカップについでいた沙羅の手が止まり、表情が曇っていくのを見て、僕は自分の失言を恥じた。
もう取り返せない、いたわりのない言葉を、沙羅に浴びせてしまったことを、心から恥じた。


「…私、はるかの傍にいるわ」
「ああ」
「はるかと同じ場所で生きてるじゃない」
「ああ」
「高嶺の花なんて、言わないで」
「ごめん」
「私はどこにも行かないのよ」
「そうだね」
「今更、高いところに追いやったりしないで」
「僕が悪かったよ」

傷付けたくて、投げかけた言葉じゃない。
沙羅を突き放したかったんじゃない。
ただ僕にとって沙羅は、いつまでも住む世界の違う、高い塔に住むお姫様のような存在で。
隣にいてくれるのが奇跡のような、誰もが恋い焦がれる存在で。
だから、高嶺の花と言った。
高いところから、僕のいるところまで、降りてきてくれた、花。


「私はね、誰がなんと言っても、はるかの隣を明け渡すつもりはないの。私以外に誰が、あなたを幸せに出来るの?」
「誰もいない。僕を幸せに出来るのは、沙羅だけさ」
「それにね」
「うん?」
「私を幸せにしてくれるのも、はるかだけなのよ」
「ああ」
「はるかの存在が、私の幸せだって言ったら、あなた信じる?」
「信じるよ」
「よくできました」


目許を綻ばせて沙羅が笑う。
僕が一番好きな顔で、笑う。


「僕としたことが、自分の存在価値の認識が甘かったな」
「あら、今更気付いたの?普段は自信家のくせに、妙に臆病なんだから」

厳しい筈の言葉は、甘い響きを含んでいて。
見かねたように、すり寄って来た沙羅の細い腕が僕の体を包むように絡みつく。

「そんなあなただから、好きになったのよ」

首筋に触れる唇の感触が、確かな愛を伝えてくれる。

「参ったな」
「なあに?」
「僕は三国一の果報者かも知れない」
「そうね。私も、よ」

湧き上がる愛おしさに任せて、沙羅を抱き寄せる。
このまま、ベッドに誘い込んでしまおうか、なんてヨコシマな考えが脳裏をよぎる僕の視界に、メイド服が現れた。

『あのう。お取り込み中のところ失礼致しますが、お茶が冷めてしまいますわ』

お茶の準備を手伝っていたルイーズが、真っ赤な顔で立っている。
呆気に取られた沙羅と僕は、顔を見合わせ声を上げて笑った。


『ルイーズ』
『お嬢様、申し訳ございません』
『良いのよ。みんなでお茶にしましょう』


尚も愉快そうに笑い声を立てて、沙羅の細い指がルイーズの背中をバシバシと叩いた。


『お、お嬢様…』
『ふふふ、ごめんなさい。だって可笑しくって』
『あんまり大笑いなさると、お祖母様に叱られますわよ』
『あら。ルイーズがいけないのよ。本当に私、お腹がよじれるかと思ってよ』


けらけらと笑いが止まらない沙羅を横目に、僕はこの穏やかな日が永く続けば良いと願わずにはいられない。
沙羅が安心して、大笑い出来る、平穏な日々。




闘いの先に、沙羅の穏やかで愉快な日々が在るのなら。
僕は、命を懸けたって良い。
必ず守り抜いて見せると、沙羅の笑い声にそっと誓った。







CONTRADICTION




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