キスしたかったから





「あ、打たれた」

空を飛ぶボールを見上げて、思わず遥香が立ち上がる。
両手を固く組んで、まるで祈るようにその行方を追う。


外野手のグローブがしっかりとボールをキャッチする。
と、その瞬間球場全体が地響きのような歓声に包まれた。



祈るようだった遥香の手は、控え目なガッツポーズに変わった。



「熱いな」
「あなたのホームだって暑いでしょう」
「違う、熱気が」
「翼の試合の時のスタンドも、きっとこんな感じよ?」



ビールを呑み干した遥香が、俺を見遣る。



「ここにいるのは様々なひとだけど、みんなあの白いボールに一喜一憂するの。国や競技が違っても応援するひと達ってね、きっとどこでも同じよ」



ほろ酔いなのか、熱に浮されたのか、遥香の白い頬が紅潮していく。

まるで子供のように真剣で、俺もこんな風に観られているのかと思いあぐねれば、厭が応でも心が引き締まる。








「わ、勝ったよ!サヨナラ勝ち!!」



試合終了のサイレンが鳴る中、ふにゃりと笑う遥香が俺を抱きしめた。



「にんげんって綺麗だねぇ」



遥香の腕が触れた背中が熱い。




「俺もそう見えるかな」
「見えるよ、絶対」



離れていく体が名残惜しくて、まだ熱い温もりを感じていたくて。



勝利の喜びを言葉にしてはしゃぐ遥香の腕を引っ張って、沸き上がるスタンドで自分の唇を強く重ね合わせた。







「酔ってないからな」
「うん、判ってる」
「謝らないからな」
「それで良いよ」



平手打ちを覚悟していたが、遥香は平然と俺の唇を受け入れた。



「怒らないのか?」
「怒られたいの?」



質問に質問を重ねるあたり、ひとが悪い。



「悪戯なら怒るけどね」




レプリカユニフォームを着た集団がちらほらと見える通りを、遥香と並んで緩やかな歩調で駅に向かう。





「だって、悪戯じゃないんでしょう?」
「悪戯ならもっと面白くしてやるよ」
「そうね、だから怒らないわ」
それがあなたの心の表し方なら。



遥香の目が真っ直ぐ俺を見据える。




「首筋が、綺麗だったんだ」
「ありがとう」
「噛み付きたくなったけど、流石にやめた」
「そう」
「キスした理由は、聞かないんだな」
「確固たる理由なんてあるの?」




唇の端が意地悪く持ち上がった。




「いや、キスしたかったから」
「単純明解で気に入ったわ」




最寄りの駅まで送ろうか、と提案してみれば。
それは固辞された。
その代わり「次はサシで呑みましょう」と、プライベートの名刺を差し出す。


俺が受け取った事に満足し、遥香は一人、夜の街に溶けていった。




(たった数行のメール作成に苦労したのは、初めてだ)






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -