その日まで私には家族なんていなくて。物心ついた時からこの施設で規則正しい生活を送っていた。

「君は笑わないんじゃな」

初めて見るお爺さんに声をかけられ首を傾げる。誰だろうこの人。なんで私に話をかけるんだろう。よく分からずお爺さんから目線を外して再びお絵描きに戻るとお爺さんは私の前にしゃがみ込んで目を細めて微笑んだ。

「良ければ、儂と一緒に暮らさないか?」

これが私と桑島慈悟郎との出会いだった。


***


「お爺ちゃーん!ご飯できたよぉ」
「おおっ、美味そうじゃな」

2人で机を挟んでいただきます、と手を合わせる。桑島慈悟郎…お爺ちゃんに引き取られて3年が経った。出会った時私はまだ6歳で何も分からず何も手伝うことが出来なかった私にお爺ちゃんは叱るわけでもなく、やってみるかの?と色々なことを教えてくれた。今は2人分の家事くらいはなんなくこなせる。最初の頃はフライパンを握れば火傷をするし、洗濯機に洗剤を入れすぎて大変なことになるしと前途多難であったが今となっては良い思い出だ。

「凛、小学校は楽しいか?」
「楽しいよ!お友達も沢山いるし、勉強も面白いもん!」
「そうかそうか。楽しいなら何より」

ご馳走様、と手を合わせ私は食器を流し台でささっと洗った後、ランドセルを背負ってお爺ちゃんに元気良く手を振る。

「じゃあ、行ってくるね!」
「おお、気をつけてな」

お爺ちゃんも手を振り返し私は家を出る。
お爺ちゃんの家は昔ながらの和風の家で2人に住むには広すぎるくらいの家だ。私が来るまでは掃除が大変じゃった。なんて言うくらいには広いしちょっと古い。だけど私はこの家が大好きで、いってきます、とただいまが言える家が出来たことも嬉しかった。


***


私には最近楽しみがある。
学校が終わった後、家の近くの空き地を覗くとやっぱりその子はいた。

「善逸」

私に名前を呼ばれるとその男の子は嬉しそうに顔を綻ばせる。

「凛!会いに来てくれたの?」
「うん!今日もうちにおいでよ!」

善逸と名乗ったその男の子と出会ったのはつい最近のことだ。雨の日にこの空き地で傘もささずに立っていた善逸に話をかけたのが始まりで。どうしてこんなところにいるの?傘は?と聞いても善逸は何も言わずに黙ったままだった。
このまま放っておくのもなんだかなぁ、と思い「うちにおいで!」と無理矢理手を引っ張ってお風呂場に突っ込んで暖かいシャワーを浴びせると泣かれてしまったのは今でも忘れられない。
そんなに嫌だったのかな、と思いごめんと謝ればなんで謝るんだよぉ……と暫く泣き止んでくれなかったのだから。

善逸は自分の名前以外は何も教えてくれなかった。家族のことも、家の場所も、どこの学校なのかも。聞くと言いたくなさそうにするから聞くのはやめて一緒に遊ぼう!と双六やお手玉で遊ぶとそれはそれはもう楽しそうにしてくれたのが嬉しくて、また遊ぼうねと言えば「あの空き地で待ってる」と善逸は言ってくれた。そしてその日から私達は毎日のように遊ぶようになったのだ。

「凛、俺あれが食べたい!」
「どれ?」
「凛が作った、卵ぐちゃぐちゃのやつ!」
「スクランブルエッグ?言い方が悪い!」

あははと笑いながら私達はお爺ちゃんのいる家へと向かう。お爺ちゃんも善逸のことを嫌な顔一つせずに受け入れてくれて最近ではまず善逸に何かを食べさせてから遊ぶようになった。
それほどに善逸は小さくて痩せていて。お爺ちゃんは初めて善逸を見た時、少しだけ眉を顰めて善逸の頭をくしゃ、と撫でてあげていた。


そんな日々が続いたある日。その日は空き地に善逸がいなかった。まだ来てないのかな、と思って夕暮れまで待っていたけれど善逸が現れることはなかったので「つまんないの」とちょっと拗ねて家に帰った。
その日の夜は大雨で風も強く、早く寝てしまおうとお爺ちゃんと布団を敷いている時にバンバンッと戸を叩く音がした。チャイムを鳴らせば良いのにね。そんな軽口を叩きながら戸を開けるとずぶ濡れの善逸がそこに立っていた。

「善逸!?か、傘は!?」

今思えば傘よりもどうしたのと聞くべきだったと思うのだけど、あまりにもずぶ濡れのその姿に私は動揺していたのだ。お爺ちゃん、お爺ちゃん!と大声でお爺ちゃんを呼んですぐに善逸をタオルで包み込んで家に招き入れた。
善逸の体は驚くほど冷え切っていて、何も喋らない。氷のような手をぎゅうっと握りしめて寒い?と聞けば善逸はぽつりと呟いた。

「俺、母さんに捨てられた」

その言葉にひゅ、と息を飲んだのは今でも覚えている。だって私も捨て子だったから。
善逸は母子家庭で、お母さんは善逸の面倒を見ていなかったらしい。家にいる時間もほとんどなく、ご飯も満足に与えられていなかったそうだ。そんな生活が苦しくて仕方がなかった善逸は家を飛び出し空き地で立ち往生していた時に私と出会ったのだという。
そして今日「もうここには帰ってこない」と言って母親は消えてしまったらしい。どうしたらいいか分からず、呆然としていた善逸が助けを求めたのが私達だった。
後日善逸の住んでいた家に足を運んでも誰かが帰ってきた形跡はなく、善逸の母親が本当に彼を捨てたのだと理解するのは辛かった。

「お爺ちゃん、善逸も一緒にここに住めないかなぁ」

私がそう言うと驚くほどお爺ちゃんはあっさりとそれを承諾してくれた。
それから少しの間お爺ちゃんは忙しそうだった。善逸を引き取るには色々な手続きが必要だったらしく、何回も大人の人が家に訪れては難しそうな顔で話をしていて。
だけど善逸の「爺ちゃんと一緒に暮らしたい」という思いが受け入れられ、私達は一緒に暮らすことを認められたのだった。

「善逸、これからは一緒に暮らせるね」

そう言うと善逸は目にいっぱい涙を浮かべて私とお爺ちゃんに抱きついてくれた。
それが、7年前の話。


***


「お爺ちゃん、善逸。朝ご飯ですよー」
「おお、美味そうじゃの」
「だし巻き卵じゃん!やったー!」

ご飯をよそいお爺ちゃんと善逸にそれを渡して3人で机を囲んでいただきます、と手を合わせる。
美味い美味い、と幸せそうにご飯を頬張る善逸に作り甲斐があるなぁと頬を緩ませる。
お爺ちゃんもそんな私達を交互に見てはにこにこと幸せそうに微笑んでいて、暖かくて幸せで堪らない。

「じゃあ爺ちゃん、行ってくるね!」
「お爺ちゃん、いってきまーす!」
「二人とも気をつけるんじゃぞ」

2人でお爺ちゃんに挨拶をして、学校へと向かう。
これが私達の日常で、幸せな毎日だった。





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