爺ちゃんはなかなか口を割ってくれなかった。
爺ちゃんにとっては俺も大切な家族であると同時に凛も大切な家族で。凛は爺ちゃんに俺には絶対に行き先を教えないようにと釘を刺しているようでその事実が悲しくて仕方がない。
だけど、俺は爺ちゃんに全ての気持ちを打ち明けた。まさか当の本人よりも先に爺ちゃんに。
俺の想いを聞いて爺ちゃんはついに折れてくれ、一つの手紙を俺に差し出してきた。

「善逸。凛に思ったままの気持ちを伝えて来い。そして、凛が何を言っても受け入れるんじゃぞ」

もし凛が拒否をしたら諦めろと、爺ちゃんは真剣な顔で言った。
拒否されても何でもいい。俺はもう一度凛に会いたいんだ。

俺は簡単な身支度を終え、爺ちゃんが渡してくれた手紙を手にして家を飛び出す。

「……いってこい、善逸」

爺ちゃんのとても優しい声が聞こえた気がした。


***


私が新境地に訪れて最初にしたことは髪を切ることだった。
手入れを怠らなかった私の長い髪。伸ばしていたのは善逸が好きと言ってくれたから。鏡に写る自分の姿を見る度に善逸を思い出してしまうのなら切ってしまおうと私は今までの長い髪にお別れをして頸が見えるほど髪を短く切った。

「とてもお似合いですよ」

美容師さんにそう声をかけられ、軽くなった頭と共に少しだけ気持ちが軽くなった気さえする。
こうやってどんどん、私は善逸を忘れていくのだろう。今はまだ、何をするにも彼の姿がチラつくけれど大丈夫。きっと時間が解決してくれる。
そう信じて私は独りでの生活を始めるのだった。


新しい生活が始まってもやっていることは高校3年の後半とあまり変わらず、私はとりあえずバイトをしながら生活費を稼いでいた。
あの頃善逸と顔を合わせたくなくて、そして一人暮らしを始めるために馬鹿みたいに働いていたこともあり貯金はまだある。今年一年はゆっくりバイトで繋いでいってもいいかもしれない。

そんなことを考えているとピンポン、とチャイムが鳴った。
女の子の一人暮らしは気をつけなきゃ駄目だよ、とバイト先の先輩にも口を酸っぱくするほど言われているので私は覗き穴から誰がチャイムを鳴らしたのかを必ず確認するようにしていて──

「………は?」

そこに立っている人物にそんな声しか出ない。
なんで?どうして彼がここに?お爺ちゃんがバラしたの?どうして…?
扉の前で立ち尽くしていると「凛」と聞き間違えるはずのない、忘れたくて仕方がなかった相手の声がする。嘘、

「凛、いるんでしょ?」

私の住んでいるところはそんなに扉が分厚くないから彼の声が聞こえてしまう。やめて、帰って。そう願いを込めても彼は言葉を続ける。

「お願い、もう一度だけでいい。話がしたいんだ」

寂しそうな声。彼──善逸が不安がったり寂しがったりする時の声だ。大きくなっても変わらないその寂しげな声に私はどうするか散々悩んだ後、扉を開くことを決めた。
私の姿を見て少しだけ善逸が目を見開く。だけどすぐに嬉しそうに頬を緩ませて、

「…久し振り。髪、切ったんだね」

忘れようとした記憶のままの善逸がそこに立っていた。


***


凛は俺を家に上げてくれてお茶を出してくれる。久し振り、と盛り上がるはずもなく気まずい雰囲気が流れている。先に口を開いたのは凛だった。

「お爺ちゃんから聞いたの?」
「え?」
「私、お爺ちゃんにしかここの場所教えてないから」

凛は明らかに不機嫌なような、困ったような表情をしている。爺ちゃんの渋り方からしてかなり強く口止めをしていたことは分かっていた。

「うん。全然教えてくれなかったけど、最後は俺の意を汲んでくれたよ」
「……そう」

私の意は汲んでくれなかったんだね。凛の顔は明らかにそう語っている。だけど諦めたように溜息をついた後、凛は俺の目を真っ直ぐと見た。

「善逸、最後にしよう」
「何が?」
「私と会うのも話をするのも。今日で終わりにしよ?」
「絶対に嫌だ。俺は凛と会うのも話すのも毎日したくてここに来たんだ」
「私はもう二度と善逸に会いたくなかったし、会う気もなかった」

凛の言葉に息をするのが苦しくなるほど胸が締め付けられる。
今の言葉は本心なのだろう。だから凛は俺に…いや、俺だけじゃない。俺に繋がりのある炭治郎や伊之助にも何も言わずに姿を消したんだ。そしてそれは突発的に決めたことでもなくて、バイトを沢山するようになったあの時から凛はもう俺と二度と会わない覚悟を決めていた。

「凛」
「呼ばないで。もう…忘れさせて」
「……凛がそれを本当に望むなら、俺は受け入れるよ」

震えそうになる声をなんとか絞り出す。心は嫌だ、やめろと叫び続けているのに俺は凛に自分が傷付くような言葉を投げかけた。
だって、結局は俺の我儘なんだ。
凛と毎日過ごしたいと思うのも、戻ってきてほしいと思うのも、全部俺の都合。凛が俺のことを忘れたいと願うのなら、俺は……

「……善逸。善逸にとって私は、家族で、姉で…妹だったよね」
「……どういう意味?」
「そのままの意味だよ。善逸は私やお爺ちゃんのことを本当の家族だと認識してくれてた。でもね、私はある日から善逸のことを家族でも弟でも兄でも…そういう風に見ることが出来なくなった」

凛がはぁ、と天井を仰ぐ。
何かを諦めたように一度目を閉じて…再び目を開けて哀しげに小首を傾げた。

「私は善逸が好きだった。笑っちゃうよね。善逸は私を家族として好きでいてくれてるって分かってたのに、私は善逸を一人の男の子として好きになっちゃってさ。……言うつもりなんてなかった。私がそれを口にしたら、折角手に入れた善逸の家族を壊してしまうことになるから」

凛は俺に語りかけているのか、自分に語りかけているのか…きっと本人もよく分かっていないのだろう。これはきっと、凛がずっと誰にも言えずに秘めていた思いだから…

「だけど、いざ善逸に彼女が出来たら全然駄目で。取らないで、返して。そんな子供みたいな気持ちしか抱けなくて、彼女が出来たことに喜ぶ善逸を見るのが苦しくて仕方がなくて。もう、一緒にいられないと思った」
「…俺のことが、嫌いになるから?」
「違うよ、逆。今まで蓋をしてた好きだったって気持ちが溢れて止まらなくなったの。善逸と一緒にいるとぼろが出る。絶対に言ってはいけないのに、好きだよ。帰ってきてって。善逸のことを何も考えてない独りよがりの言葉が出るのも時間の問題だった。だから、手放したのに──」

もう十分だった。
俺は凛のことを思い切り抱きしめた。一瞬何が起こったのか分からなかったのだろう。抱きしめられていると理解した凛はすぐにやめて、と俺を押し返そうとしたけれど離すつもりはない。

俺は、大馬鹿野郎だ。
凛はいつも一緒にいてくれて、それが当たり前で。…そしていつの日か凛がいなくなるのが怖かった。
凛はモテたから、いつか彼氏が出来て結婚して俺を置いて行ってしまう。それが嫌で、受け入れられなくて。だったら俺が先に彼女を作って結婚したら寂しくないのかな。そんな馬鹿な考えが俺のあの「誰彼構わず告白する」悪癖を生み出していた。

何をするにも俺の気持ちは爺ちゃんの幸せと、凛と一緒にいたいという思いが全てだった。彼女が出来た時も、結局考えるのは凛のことばかり。その時点で既に答えが出ていたはずなのに、俺はその感情を伝えることで凛が「家族」として俺を見なくなるのが怖かったんだ。
だからその感情に蓋をした。…なんて滑稽なんだ。
俺も凛も。似たもの同士で、どうしようもなく──愛おしい。

「離して…!」
「凛、聞いてほしい」

俺の声に凛の抵抗が止まる。
きっと、真剣な声が出ていたんだと思う。こんなにも心の底から言葉が溢れてくるなんて初めてだ。

「凛、好きだ。俺は凛が好きなんだ。ずっと好きだった。だけどそれを伝えたら凛は俺の前からいなくなってしまうんじゃないかって怖かった。凛が俺の側からいなくなるなんて考えるだけでも怖くて、この気持ちに蓋をしたんだ。凛が俺の前から消えてしまって、どれだけ凛のことが好きだったか思い知らされたよ。俺は凛がいなきゃ駄目なんだ」

これが俺の嘘偽りのない気持ち。
凛が好きだ。誰よりも、一緒にいてほしいと思っているし、凛が側にいない毎日なんて考えられない。

「……それは、勘違いだよ。善逸は私のことを家族だと思ってくれてて、ずっと一緒にいた家族がいなくなったから寂しくて好きだって勘違いしてるだけなんだよ、きっと」

凛は俺の目を見てくれない。
それは、思ってもないことを言ってるからだよな?
だって俺も凛も、結局は同じように自分の気持ちに蓋をしていたんだから。この気持ちが勘違いじゃないってことはきっと、お互いが一番分かってる。

「俺は凛が家族だったから好きなんじゃない。好きだから、家族になってほしいんだ」

その言葉に凛が目を見開いて、数秒後に涙を流すのと共に吹き出した。

「あっはは!なにそれ、プロポーズ…?」
「……プロポーズでいいの!」
「ふふっ…蓄えもないのに?」
「しょ、将来有望だから、俺!」

はー…、と涙を流しながら凛が俺のことを真っ直ぐ見据える。好きだ、大好きだ。

「一生俺と一緒にいてください」

そう言うと凛は綺麗に笑ってくれた。
その笑顔は俺が今まで見てきた中で1番綺麗な笑顔で、きっと俺はこの笑顔を生涯忘れることはないだろう。



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