「俺の言葉を、伝えてほしい女性がいる」

煉獄さんが最後の力を振り絞って声を出す。自分の嗚咽がうるさい。集中しろ、煉獄さんの言葉を聞き逃すな…!

「場所は、…俺の鎹鴉が知っている」

優しい、なんて優しい顔をするんだろう。煉獄さんは死んでしまう、きっと、もうすぐに。
それだというのに煉獄さんは脳裏に浮かんだ彼女のことを思い出して優しく笑った。

「貴女を愛おしく思っていた、と」

俺はしっかりと煉獄さんの言葉を胸に刻んだ。



***



煉獄さんの鎹鴉に案内をされ町外れの小さな家の前へと辿り着く。ここに煉獄さんが言葉を残した女性がいるのだろう。俺は戸を軽く叩いて声をかけた。

「すみません、誰かいませんか」

返事がない。もう一度戸を叩こうとしてある異変に気付いた。──血の匂いがする。
すぐに辺りを見渡すとここは町からも離れているため人の目が全くと言っていいほどにない。ならば、鬼に襲われても誰も気付かないのではないのだろうか。いや、鬼だけでなく野盗だっているんだ。もし、煉獄さんが言葉を残すほど大切な女性が襲われて血を流しているのだとしたら─!

「誰か!誰かいませんか!?」

戸をドンドン、と大きく叩いて再び声をかける。すると中から人の気配を感じた。その事実に胸を撫で下ろし戸の前で待っているとそれは綺麗な音と共にゆっくりと開かれ……俺は思わず言葉を失った。

「……誰、ですか?」

中から出てきた女性に息を呑んでしまう。
痩せ細った体、蒼白い顔、そして──

(父さんと、同じ匂いがする…)

父さんの今際の際に嗅いだ忘れることのない匂い。
……命の火が消えかけてる匂いだ。

煉獄さんからお言葉を預かってきました、と言えば彼女は家の中へと案内をしてくれる。
家の中は酷く寂しい匂いで満たされていた。



***




彼女は立っているのも辛そうだったのでどうか無理をなさらず、床に入られますかと問えばありがとうと言って床につき、上体を起こした状態で俺に向き直る。正直に言えば、本当に伝えて良いのか迷ってしまった。
彼女はもう、長くないと思う。
父さんを最後の時までずっと側で見てきた俺にはなんとなくだけど、分かってしまう。命の終わりの匂いが…。

(だけど……)

煉獄さんは伝えてほしいと。最後の力を振り絞って、あんなにも優しい笑顔を浮かべて言葉を残した。それを伝えないなんてことは、やはり出来ない。

「煉獄さんの…、遺言を預かってきました」

そう口に出すと悲しい匂いがした。

「そうですか…杏寿郎さんは、亡くなったんですね」

彼女の言葉にはい、と頷く。杏寿郎さんと彼女は煉獄さんのことを呼んだ。もしかしたら煉獄さんとこの人は深い仲だったのかもしれない。
こんなにも弱っている人にこれ以上言葉を聞かせるのはあまりにも酷だと思う。だけど、ごめんなさい。俺は…煉獄さんの意思を尊重します。

「煉獄さんは最後、貴方を愛おしく思っていたと言っていました」

俺の言葉に彼女は少しだけ沈黙して

「…そうですか。それは、知りませんでした」

と俺が思っていた答えとは違う答えを返してきた。
思わずえ、と声が漏れてしまう。煉獄さんは確かに彼女のことを愛おしいと。慈しむような笑顔を浮かべて言葉を残していた。
そして彼女からもまた、煉獄さんを想う匂いと、悲しい匂いがする。

「…煉獄さんとは、一体どういうお知り合いで…?」

俺がそう聞くと彼女ますます表情を曇らせてしまう。聞いてはいけないことだったかもしれない。踏み込みすぎだと、俺は自分を苛めるように言葉を続ける。

「すみません、無理に聞こうとは思っていませんので…」
「私と杏寿郎さんは、ただ偶然知り合った知人です」

懐かしそうに、目を細めて女性が言う。
その表情は彼女にとって煉獄さんはただの「知人」でないことを物語っている。
…悲しい匂いに隠れて、とても優しい匂いがする。彼女が煉獄さんに向けている匂いだ。

「でも……、そうですね…、彼はいつも……」

何かを言いかけて女性はごほっ、と咳をする。それはだんだん酷くなっていき咽せるように咳き込み──大量の血を吐き出した。

「大丈夫ですか!?」

すぐに彼女の近くに駆け寄り倒れ込みそうになる体を支えるが咳も吐血も治らず、酸素が足りなくなったのかひゅーひゅーと音を立てて彼女はそのまま意識を手放した。
最悪の状況を予感して脈を確認すれば弱々しいがまだ脈はあり、俺は昏倒してしまった彼女を抱えて近くの町へと走っていくのだった。



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