唯一の存在
※付き合い始めた頃のお話 ※モブの名前は適当です
最近炭治郎によく懐いている隊士がいる。 炭治郎は良き先輩でありあの性格だ。多くの者に慕われ好かれているのは今に始まったことではない。だけど今回に限ってはどうしても目についてしまう。
「炭治郎さぁん、もっとお話しましょうよぉ」
その隊士は鬼殺隊士の中でも小柄でとても女性らしい振る舞いをしている。流れるように炭治郎の腕に抱きつこうとしてそれを炭治郎が笑いながら躱す。そうすれば頬を膨らまして拗ねるような素振りを見せる彼女はとても可愛らしかった。
「………」
ふと。姿見に写る自分を見れば彼女のように可愛らしくもなく体も貧相だ。 もやっ、と胸の辺りが苦しくなる。それに気付かない振りをして頭をぶんぶんと左右に振って私はその場を後にした。
「あ」 「?」
買い出しのため町へでていた私を見つけて声をかけてきたのは先ほど炭治郎と仲睦まじく絡んでいた女性隊士だ。目がばちっと合う。彼女は明らかに私に視線を向けている。
「斎藤さん、ですよね。こんにちは」 「…こんにちは」
挨拶をされたので一先ず返すが…何故彼女は私に声をかけてきたのだろう。そんな私の考えが伝わったのか彼女は口を開く。
「私は階級丁、安元です。斎藤さんにお尋ねしたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
丁寧な口調で、だけど拒否することは許さないような圧を感じる。
「どうぞ」 「斎藤さんは炭治郎さんと恋仲なんですよね」 「…そうですが」
何を藪から棒に。 私が肯定すれば安元さんは嫌そうな表情を隠そうともしない。
「私、炭治郎さんが好きなんです。お慕いしています」
…そうでしょうね。 いくら鈍いと言われる私でも自分の恋人に想いを寄せる女性に気付かないほど鈍くはない。だけど、安元さんの想いをどうにかすることも出来ずずるずると見送ってきた結果何故か今のような状況に陥ってしまっている。
「斎藤さんは炭治郎さんをお慕いしているのですか?」 「…ええ」 「…嘘!斎藤さんはいつも炭治郎さんに冷たいじゃありませんか!」
激昂したように安元さんは私に口を挟む隙を与えないように言葉を続ける。
「私、いつも炭治郎さんが斎藤さんの機嫌を伺うようにしているのが本当に嫌です。恋仲って、どちらかが我慢してなるものではないと思います。斎藤さん、炭治郎さんが優しいからそこにつけ込んで、ずるいです!」 「──」
この子は何を言っているんだろう。 炭治郎が私の顔色を伺ってる?…そんな器用なこと炭治郎は出来たっけ。それに私がいつも炭治郎に冷たい?…あれ、私炭治郎にどんな態度取っていたっけ。
「ほら!否定出来ないじゃないですか!そんな斎藤さんが恋仲じゃ炭治郎さんは幸せになれません!」
それは遠い昔。私がずっと思っていた言葉だった。
「……」
彼女の言葉が私を抉る。炭治郎と恋仲になってから大分経つけど私は本当に炭治郎に何かしてあげれているのだろうか。私ばかりが幸せにしてもらって、彼女の言う通り炭治郎に我慢させてしまっていたのではないだろうか。それこそやっぱり炭治郎にはもっと可愛らしくて優しい子が──
「…失礼します!」
安元さんが私を残してその場を後にする。 私は暫くその場から動くことすら出来なかった。
***
「今日は音が荒れてるねぇ」
何かあったの?と同じ稽古が終わった後に親友である善逸が尋ねてきた。 炭治郎は鼻がよく効くがこの善逸という男は耳がよく効くらしく何も言わずともその日の調子や機嫌が筒抜けになってしまう。
「……別に」 「うわっ、嘘ついてらっしゃる!そんな音させて別にってことはないでしょ」 「知らない。私には音なんて聞こえないし」
ああ、善逸は何も悪くないのに強く当たってしまったことにすぐに後悔する。
「ごめん、八つ当たりです。ごめんね」
そう言うと善逸は気にも止めずにははっと笑った。
「相変わらず素直だよねぇ、凛。炭治郎もそうだけどさ」
炭治郎、という名前に反応してしまい私はすぐに俯いた。え、と驚いたり声が聞こえる。
「何、炭治郎と何かあったの?」
善逸は炭治郎の親友でもある。私達二人に何かあればいつも助言してくれたり時には怒ってくれたりする本当に良い友人もとい理解者なのだ。 でも今回は炭治郎は何も悪くない。むしろ悪いのは安元さんの言葉に何も返せなかった私だ。 自信がない。自信を持って私は炭治郎に相応しいと言える行いを何もしていないのだ。
「…善逸、あのさ」 「うん?」 「私って…炭治郎に相応しくないのかなぁ…」
ばたばたばたばたっ
……?善逸が慌てたように道場の周辺を見渡す。え、何。誰か来たのかな。一通り辺りを見渡すと善逸は安心したように溜息をついて私のすぐ側へと再び腰を下ろした。
「いや、何言っちゃってるの!?炭治郎が近くにいなかったから良かったけどそんなこと言ってるのが見つかったら数日寝かせてもらえんくなるよ!?」
凄まじい勢いでそう言う善逸に圧倒される。目を丸くして驚いている私に対して善逸は少し落ち着いたように口を開く。
「なんでそんなこと思ったわけ?理由があるんでしょ」
人の気持ちに敏感な善逸はすぐに状況を察してくれる。そんな善逸に甘え安元さんの名前は伏せながら言われたことを伝えると成る程ね、と呟いた。
「それで不安になっちゃったと」 「…その通りだなって思って」 「! …その通り?何が?」
少し間を置いた後善逸が私に尋ねてくる。
「私、炭治郎に甘えてたなって。炭治郎にどんな態度をとっていたかも思い出せない。…私といても炭治郎は幸せになれないんじゃないかなっ…て…」
自分で言った言葉に傷ついていくのが分かる。 それでも炭治郎を手放したくない。手放すくらいなら最初からその手を取らなければ良かったのに。手を取ってしまった今、放し方はもう分からない。
「……だってさ?幸せになれないんですかね。たんじろーさん」
善逸がそう言うと道場の戸が開き、そこには話題の張本人である炭治郎の姿があった。
「ありがとう善逸。凛は貰っていくけどいいな?」 「どーぞどーぞ。凛は明日は休みって伝えておくな。その代わり今度甘味奢れよな!」
何がなんだか分からない。どうして炭治郎がここに?…聞かれていた? 訳がわからず困惑している私に善逸が耳打ちしてくる。
「あのね、凛。きっと凛の価値を一番分かってないのは凛だよ」
炭治郎に怒られておいで。と善逸は優しく笑うのだった。
***
混乱したまま炭治郎に手を引かれ部屋へと連れて行かれる。一度もこちらを見ず強く手を引いていく炭治郎は明らかに怒っている。いよいよ愛想を尽かされてしまったかなと思えば胸のあたりが締め付けられるように痛かった。
「それで、凛」
部屋に着くなり炭治郎が私の方を振り返り私の両肩に手を置く。真っ直ぐと目を見て、決して逸らすことは許さないとその目は雄弁に語っていた。
「どうして俺が幸せになれないと思うんだ?」
怒っている。炭治郎は明らかに怒っていた。どうして怒っているのか。何を言うのが正解なのかも分からない。だけど炭治郎に嘘は通用しない。私は意を決して本音を炭治郎に投げかけた。
「だって、私は炭治郎を幸せに出来ないから」 「どうしてそう思うんだ」 「私、炭治郎に何も出来てない。優しくもないし、冷たいって言われるし、女の子らしくもないし、か、体だって貧相だし…」
言いながらぼろぼろと涙が落ちる。なんて惨め。 私は自分のことが好きじゃない。そんな私を炭治郎は好きだと言ってくれる。もしかしたら炭治郎が好きだと言ってくれる自分のことを少しは好きになれるかもしれないと思ったけれど全然そんなことはなくて。少し指摘されただけでこうも脆くそれは顔を出す。自分のことを好きになることなんてきっとない。
「凛、俺を見て」
俯いてしまった私に優しい声が聞こえる。炭治郎の方を見れば少し困ったように笑っていた。
「凛は色んなものが見えるのに自分のことだけは見えないんだよな」
そう言って炭治郎は私のことを優しく抱きしめる。暖かい、大好きな炭治郎のぬくもりだ…
「俺はな、凛。凛と恋仲になれたあの日からずっと幸せだよ。毎日毎日幸せで、こんなに幸せで本当にいいのかと思ってばかりだ」 「…なんで、」 「凛が好きだから。側にいてくれるだけで俺はこんなにも幸せなんだ。それにな?凛は優しいし冷たくなんてないし女性らしいし体は俺好みだ。凛の嫌なところなんて俺はないんだよ」 「…うそ」 「嘘じゃないぞ?好きだと言えば顔を赤面させたり二人きりになると甘やかしてくれたり無意識なのか稽古場が同じ時はちらちら俺を見ていたり俺を見つけると嬉しそうに少し顔を綻ばせたりそれから─」 「も、もういい、もういいから…」 「…だから、そう言うところも全部堪らなく愛おしいんだ」
そう言って炭治郎は私の唇を奪う。いつもよりも激しく深く。
「ふっ……ぅ、ぁっ…」
舌を割り込ませては口の中で暴れさせ歯列を丁寧になぞるように舐め回した後、上顎をぞろりと舐め最後に私の舌をじゅっ、と吸い出す。息も絶え絶えになりずるずるとへたり込むと炭治郎もそれに合わせるように座り込む。 すっかり惚け切った私の顔を満足そうな笑みを浮かべながら炭治郎が見てくる。頬に手を添えられればびくりと体が反応してしまう。
「凛は自分は俺を幸せに出来ないと言ったが逆だよ。凛じゃなきゃ俺を幸せに出来ないんだ」
それは私が炭治郎の想いを受け入れた時と全く同じ言葉。あの時と何も変わっていない想いが嬉しくて止まっていた涙がぽろ、とまた溢れた。
「甘えっぱなしだよ、凛には」
そう言って炭治郎は私に覆い被さってくる。拒む理由はない。炭治郎が欲しい。炭治郎のものにしてほしい。
「絶対に手放してなんかやるものか」
そう言って炭治郎は優しく、けれども激しく私を抱いた。
***
「仲直り出来たみたいだね」 「元々喧嘩したわけではないんだけどな」 「あんなに凛を不安にさせてよく言うよ」
翌日、炭治郎は世話になったと言って俺に甘味を奢ってくれた。それはもう艶々とした表情でやってくるものだから察しますよ。
「凛はさ、自分に自信がないんだよね。だから炭治郎くらい度直球な奴なら不安にさせないと思ったのに何やってるのさ」 「…弁明の余地もない」 「あんまり不安にさせると他の奴に取られても知らんよ」 「それは許せないな」
そう言って炭治郎は笑顔でそれはもう不穏な音を立てる。 全く。いつもはあんなにも優しい音を出しているお前も凛のこととなるとこれだもんな。 凛、お前は炭治郎の音を乱せる唯一の存在なんだよ。
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