祖父



太刀川に連れられて訪れた部屋の中に入ると、中には見覚えのある人物の姿があった。

「冬島さん、おまたせ~」
「おー、感謝しろよ~」

冬島、と呼ばれた太刀川よりも結構歳上に見える男は太刀川の挨拶に緩く返事をする。少し太刀川と雰囲気が似ている男だと思った。
レヴォンから連れ去られた…否、救出された時。この男の姿は確認していた。記憶力は悪いほうではない。物覚えが悪いと折檻が酷かったため良くならざるおえなかったというのもあるが、凛はあの船に乗っていた全員の顔は覚えている。
しかし、それは可愛げがなく隙がないように見えることも知っているため、凛は敢えて彼を覚えていないような素振りで顔を覗き込んだ。

「こんばんは。慶ちゃんの…上司さん?」
「ははっ、そんなんじゃないよ。俺は冬島慎次。太刀川とはまあ…麻雀仲間ってとこだな」
「慶ちゃん麻雀できるの?意外」
「結構強いんだぜ?俺」
「いや、弱いだろお前」

冬島の言葉に太刀川はひでー、と反論するがその表情は楽しそうなものであり、冬島と名乗った男と太刀川の仲が良好なのが伺える。
二人の様子に絆されながら、凛はいつもの様に冬島に目を合わせると冬島に若干の強張りが見える。どうやらこの人は太刀川よりももっと、ちゃんとした男らしい。

「私、斎藤凛っていいます。凛って呼んでください。慎次さん?」
「うお……」

凛のわざとらしい媚びがどの様な効果をもたらしたかは定かではないが、幾分効いたらしい冬島は辿々しくよろしく…と言うと太刀川に目配せをする。

「……なんていうか、その。たいへん大人っぽいというか、なんというか」
「甘えたがりなんだよ」
「あぁ~…」
「むっ。子供扱いしてない?」

冬島と太刀川の言葉に反応すると、太刀川はなんの悪びれもなくなははと笑う。どうやら凛の処世術を太刀川は甘えていると見ていたようだ。確かに、甘えるように媚びているのだからその表現は間違っていないのかもしれないが。
何も考えてなさそうに笑う太刀川とは対照的に冬島は困ったように頭をがしがしと掻く。

「ちなみにえーっと、凛ちゃん?は何歳だったっけ?」
「十七です」
「だよね!未成年だよね!?俺が真木ちゃんに殺されるので、どうか俺のことは冬島と呼んでください…」
「あはは、分かりました。冬島さん」

冬島の言葉は素直に面白く笑みが溢れてしまう。真木ちゃん、とやらが冬島の彼女なのか何なのかは凛には分からないが、下の名前で親しく呼んでいるのを善しとしない真柄なのだろう。
確かに凛は未成年であり、そんな凛と親密になるのは宜しくないという倫理性を持つ冬島はちゃんとした大人なのだろうと凛は感心する。
城戸達と会話をした時も思ったが、このボーダーという組織は大人がしっかりとした信念を持っているため凛にとっては御しにくく、そして安心出来る場所でもある。近界では大人子供などの前に男と女として見られることのほうが多かったから。

「そんで?仮想戦闘やるんだろ」
「そうそう。凛、今から俺とランク戦しようぜ」
「ランク戦?」
「あー、トリオン体を使った打ち稽古みたいなもん」

どうやらこの国では仮想の体を使って模擬戦闘を行うことにより戦闘経験を積んでいるらしい。トリオン体を破壊されても仮想モードであるうちは何度でも換装を繰り返せるという優れもの。
太刀川は体が動かしたいと言った凛の頼みを聞き、忍田に相談したもののトリガーを持たせる許可はまだ降りず、だからと言って生身で稽古をさせるのも躊躇われたため、仮想戦闘モードでのみトリガーを使用して換装することを許可されたとのこと。

「へぇ。面白そう。慶ちゃんとやるの、久々だね」
「また負けて泣くなよ」
「泣きませーん」
「じゃ、俺はこっちで簡単な設定してやるから後は好きにやれよ」
「サンキュ~冬島さん」

へらへらといつも通り笑いながら太刀川と凛が仮想戦闘モードに設定された部屋へと入っていく。
凛が仮想空間で使用することを許可されているのは弧月とシールドというシンプルなものだ。仮想空間も市街地などではなく、本当にノーマルなものを使用しているためバッグワームの必要もない。隠れる場所などないのだから。

(あの太刀川と正面から打ち合いねぇ…)

あまりにも無理難題過ぎる申し出に冬島は苦笑いを浮かべる。
昼間、冬島を見つけた太刀川にいたいた。冬島さん、今夜ひま~?と聞かれ特に予定の無かった冬島は麻雀の誘いかと思い暇だと答えた。蓋を開けてみれば以前遠征先から帰還させた女と仮想戦闘モードで打ち合いをしたいからと部屋の設定を頼まれたのだ。仮想戦闘モードの設定はオペレーターなら出来るため国近に頼まないのかと聞けば夜遅くになるから国近には頼みにくいと言われ、理由に納得が出来たため冬島は了承した。
遠征先で見つけた行方不明者には少し事情があるらしい。あまり大っぴらには知らされていなかったが家族の元に返して終わりというわけにはいかないそうだ。鬼怒田の元で何か会話をしているところを見かけたことがあったが、至って普通の女の子というのが冬島の印象だった。早く家族の元に返してやればいいのに、と思ったが首を突っ込むのも得策ではないと思ったため特に口を出さずに今に至る。

「まあ、太刀川相手じゃなぁ」

瞬殺というほどではないが、面白いほど戦闘は太刀川の圧勝である。
突然だ。凛が相手にしている太刀川慶は攻撃手No.1の実績を持つ実力者なのだから。むしろそんな太刀川が簡単にやられてしまっては困るのだ。

太刀川慶は分かりやすい男である。強い相手を面白いと認め、相手の都合などお構いなしにランク戦へと誘う。彼が目を輝かせてランク戦に誘う相手もまた、ボーダーには欠かせない実力者であるかその素質を秘めている者であることには違いなかった。そんな太刀川は勝ち星を増やしながらも凛との戦闘をやめない。その表情は少年のように楽しそうであり、それは凛も似たようなものだった。あれだけ負け越しているというのに凛も楽しそうに、たまに何かを太刀川に言って、二人で笑っている。音声は敢えて切ってあるが、どうやら二人とも楽しそうにしているため冬島は残業をして良かったなと頬を緩める。

「十七ねぇ…」

冬島隊のオペレーターである真木の二つ上である凛。真木も年齢相応に見えるかと言われればいえ全く。と即答出来るが凛に対してもそれは適応される言葉だった。
先程、凛は明らかに女を出して冬島を慎次さん。と呼んだ。あんな目を、あんな空気を醸し出すことを十七やそこらの女が出来ることに冬島は驚いた。自分を買い被るつもりはないが、冬島でなければ引っかかる男は間違いなくいるだろう。近界では生き残る術だったのかもしれないが、その姿を危ういと感じたのだ。あんな目をするよりも、太刀川と打ち合いをしている今のほうが歳相応に生き生きとしていて安心する。折角こちらの国に戻ってこれたのだ。もうあんな風に男を誘惑することなく太刀川くらい何も考えずに生きれればいいのにな。と冬島は頬杖をついて暫く二人のランク戦をモニター越しに眺めていた。

と。そんなことを考えていると凛が弧月を下ろす。結局凛の勝ち星は二十三戦のうち一つ。太刀川から一勝でも取れるのは相当の腕前であるが、そういえば奇襲を仕掛けたといえど凛は近界で太刀川と出水と当真を相手に結構長く生き延びていたことを思い出す。もし彼女が望むのならボーダーに入ってすぐにB級の地位は与えられるだろう。この先凛の処遇がどうなるかは分からないが。

もう終わるか?と聞けば太刀川も凛も頷いたため、本日の仮想戦闘はお開きとなるのだった。
それにしても珍しい。あれだけ乗っていたのなら太刀川はもう一戦!とごねるかと思ったのに。





九年振りに再会した幼馴染みは凛の記憶の中の太刀川と何も変わっていなかった。ただしそれは性格面の話であり、見た目は身長も伸び、逞しくなり、立派に男として成長を遂げていた。
そして何より。奇襲を仕掛けた時も思ったが戦闘面に関しては育ち過ぎであるほど太刀川は強くなっていた。大体、あのフードを使用した奇襲を止めたのも、凛の必殺である技を止めたのも九年間。いや、実際剣を握っていたのは六年だったため、六年間で一人もいなかったのだ。その時点で太刀川が近界でも通用するどころか、近界で傭兵としても十分やっていけるほど腕を上げていたことは明白であった。

『凛、ダウン』

何回目かになる機械音が響き、凛の損傷が自動修復される。どうやら本来ならトリオン体を破壊されるほどの深手を負うとダウンと見做され、体が勝手に自動修復されるらしい。つまり、太刀川は既に何回も凛を殺しているということ。全く容赦のない太刀筋に思わず笑みが溢れてしまう。

「ね~強いんですけどー」
「はっはっはっ。やるだろ?」

負け越しているというのに凛は太刀川との打ち合いが楽しかった。多分、それは太刀川も同じだったのだろう。二人とも顔に笑みを浮かべながら、飽きずに打ち合う。
凛も太刀川も、始まりはここだったのだ。祖父の道場に太刀川が現れて、歳が近い孫がいると祖父に連れ出されて。遊び程度ではあったが、凛のほうが早くから祖父に稽古をつけてもらっていたというのに太刀川はあっさりと凛に追いつき、それが悔しくて凛も真面目に稽古を受けるようになって。飽きもせず、太刀川が道場に来れば凛は他の用事なんて二の次で道場へと顔を出していた。
凛の一撃が太刀川に届く。その一撃を食らわせるまでに随分時間がかかってしまった。『太刀川ダウン』という音声と共に太刀川が楽しそうに笑う。凛もきっと同じ顔をしていた。

──凛の勝ちだ!よーし!よくやった!良い動きだったぞ、凛!

遠い日の思い出が蘇り、凛は目を見開く。その隙を見逃さず太刀川の一撃が凛に入り『凛ダウン』という音声が響いた。
まだまだ楽しそうにしている太刀川とは打って変わって、凛は構えていた弧月を下ろしてしまう。そんな凛の変化に気付かないほど太刀川は鈍くはなかった。二人の様子をモニターで見ていた冬島がもう終わるか?と尋ねてきたので太刀川も凛もそれに頷き、本日の仮想戦闘はお開きになるのだった。



「冬島さん、ありがとな~」
「おー、またいつでも言えよ。凛も遠慮しなくていいからな」
「冬島さん、優しいんだね。ありがと」
「あーもー!俺を誘惑するのだけは禁止!未成年に手出したら真木ちゃんに殺されるからな!?」
「忍田さんにも殺されそ~」

お、おまえ…!と冬島は冷や汗を流しながら太刀川に苦笑いを向け、太刀川はそんな冬島を見てなはは、といつものように緩く笑っている。
冬島には世話になったというのに困らせてしまうのは申し訳なかった。というか、今は媚びたつもりはなかったのだがどうやら無意識にやってしまうほど身に付いてしまっているらしい。
習慣というのは直すまでにどれだけ時間がかかるのだろうか。しかし、近界に戻るのならこの癖を直すのも勿体無い気がする。
凛は出来る限りは気をつけようと思い冬島にごめんね、冬島さん。気をつけるね。と言えば冬島は少し沈黙した後、ゼヒオネガイシマス…と片言のように返事を返すのだった。



「やー、楽しかったなー」
「うん、楽しかった。慶ちゃんありがと」
「どういたしまして。またやろーぜ」
「慶ちゃん強すぎるからなぁ…」
「手、抜いてやろうか?」
「えっまさか。怒るよ!」

冬島を残し部屋を後にして、凛の部屋へと二人で歩きながらそんなことを太刀川が言うものだから即答で返せば、太刀川は凛がそう返事をするのが分かっていたかのように楽しそうに笑う。
太刀川との打ち合いは楽しかった。仮想空間とは言え体を動かすことは楽しかったのと、生死を気にせずに剣を振れたのは本当に久々だったのだ。

凛が近界で剣を初めて握ることが出来たのは十二歳の時、二人目の飼い主の元へと買われた時だった。一人目の飼い主とは違い、二人目の飼い主は最初は傭兵として凛達を買ったのだ。何の覚えもない者達は命を落とすこともあったが、凛には遊び程度とは言え祖父からの教えがあったため戦力に数えられた。
それから二年間。一人目の飼い主の元で行われたように乱暴をされることもなく、凛は祖父の教えを元に剣の腕を磨き続けた。今思えば、あの時期は近界では唯一安らいだ時間だったかもしれない。
三年目に差し掛かった時、飼い主の護衛を任され、そんな安らぎも終わりを迎えてしまったのだが。

「おまえの剣筋、懐かしいんだよ」
「え?」
「ちゃんと凛の中で生きてんだな、爺さん」

その言葉に、部屋へと向かっていた足がぴたりと止まる。太刀川は、解って言っているのだろうか。凛が弧月を下げたあの時、祖父のことを思い出していたことを。
年々太刀川に勝てなくなっていた凛を祖父はいつも応援してくれていた。爺さん、俺の応援は?わしはいつでも孫の応援だ。次におまえ。贔屓だ贔屓~!そんな会話を太刀川と祖父はいつも楽しそうに繰り広げていた。
凛が太刀川から一本取った時は凛よりも祖父のほうが喜ぶことも多かった。凛は太刀川に勝てたことと、そんな祖父の様子に満足気に踏ん反り返って、太刀川はもう一回!と飽きることなく凛に再戦を挑む。

そんな。きらきらした。もう戻らない日々。

「───っ、…」

凛はいつからか、感傷的に泣くことはなくなった。生理的に泣かされることはあっても、近界では泣いても誰も助けてくれなかったから。むしろ泣けば飼い主を怒らせるか、興奮させるか。そして取引相手をつけ上がらせるか、舐められるか。そんな用途しかなかったため、凛は泣くことをやめ、泣き方すら忘れてしまったと思っていたのだ。
そんな凛に、久し振りに吐き気を催すような痛みが胸を襲う。この国の人間が皆優しいからか、太刀川があの頃と何も変わらないからか。理由は定かではないが、間違いなく凛は自分が弱くなってしまったと恥じた。泣きたくない。そんな思いとは裏腹に、ぽろっと涙が溢れる。

「……、おじいちゃん……」

凛は祖父が大好きだった。
物心ついた時から、初孫の凛を祖父はそれはもう可愛がってくれたのだ。女の子が剣道なんて、と母には止められたけれど、竹刀を振るう祖父の姿は格好良く、好きだった。憧れていた。
あの日。凛を庇って胸を貫かれた祖父。今なら分かる。トリオン兵がトリオン器官を祖父から奪ったことが。でも、あの頃の凛は何も分からず、逃げることも、助けを呼ぶことも出来なかった。祖父は身を挺して自分を守ってくれたのに、結局誘拐され、人として堕ちてしまった孫。合わす顔なんてあるはずがない。
それでも、叶わないと分かっていても、凛は祖父にもう一度会いたかった。

「うわっ…!?」

突然視界が暗転する。それと同時に頭から何かを被せられ、その何かからは太刀川の匂いがする。
被されたものを手に取ると、それは太刀川が着ていた上着だった。

「な、なに…」
「それで拭いていーぞ」
「は?服で拭くの…?」
「えっ、親父ギャグ?」

あまりにも太刀川らしい言葉に凛は目を丸くし、少しの沈黙の後、吹き出してしまう。

「…ふっ、ははっ、あははっ!もーやだ、慶ちゃんほんと…」

涙はまだ止まっていなかった。ぽろぽろ、と溢しながらも凛は笑う。
太刀川は何も聞かない。寄り添わない。勝手に分かったような素振りも見せない。だというのに、側にはいてくれる。
要するに優しいのだ、太刀川慶という男は。気の利いた言葉などかけるつもりはなく。慰める素振りもない。けれど凛を一人にすることも、放っておくこともしない。ただ、太刀川はいつも通りだった。そんな太刀川の姿に凛はこの国に来てから何度も救われていた。

「ねえ、こういう時はハンカチとかじゃないの?なんで上着?」
「残念。ハンカチは持ってない」
「あはは、誇らしげに言うことじゃないよ」

鼻かんじゃお~と言えば太刀川はおいおい、洗って返せよ。と咎めもせずに返事をしてくれる。
そんな太刀川の姿に、凛の涙も徐々に引っ込んでいった。太刀川は敢えて凛の方を見ずに呟くように言葉を紡ぐ。

「いつか会いに行こうな」

誰に。と察せれないほど凛は疎くはなかった。
両親には会う気はなかった。合わせる顔がなかったからだ。こんなに身も心も汚れてしまった娘の姿を見せたくなかったのだ。祖父に対してもその思いは同じであった。
それは建前であり。凛の本音は。

「つーか。爺さんには多分もうバレてんぞ。こっち帰ってきてんの」

早く会いに行ってやらないとなんで連れて来ないんだ!って俺が怒られる。そんなことを大真面目な顔で太刀川が言うものだから、凛はまたしても吹き出してしまうのだった。







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