旧友



助けてと手を伸ばしてもその手を取る者は現れなかった。
殺さないでと叫び逃げた子供は目の前で射殺された。
昨日まで、自分は平和な世界で家族や祖父と楽しく暮らしいたはずなのにとそこにいる誰もが現状を受け入れられなかった。
祖父は。祖父はどうなったのだろう。自分を庇い胸を貫かれた祖父。駆け寄ることも出来ず呆然としている間にいつの間にか意識を失い、気付けば両手は拘束され、怖い大人達に吟味されていた。それが近界に攫われた最初の記憶。
最初の頃はまだ。きっと助けが来ると、そんな馬鹿げた理想を抱いていた時もあった。
良い子にしてれば。逆らわなければ。生きてさえいれば。そう信じ、奪われ続け、何かが自分の中で壊れた。

レヴォンのボスは三番目の飼い主だった。
畜生のような男ではあったが実力主義であり、凛はボスの元で奪う側に回ることを決めた。人としての良心なんてクソみたいなものを捨てれば存外、その生き方は楽だった。

最初の飼い主の元で月日を数えることをやめた。
二番目の飼い主の元で助けを期待することをやめた。
三番目の飼い主の元で深く考えることをやめた。
死にたくないのなら殺すしかない。
奪われたくないのなら奪うしかない。

大好きだった祖父と遊びのように学んでいた剣術は基礎となっており、驚くほど役に立った。
祖父はなんと言うだろうか。
自分の教えた剣術で孫が人を殺していると知ったら。





出水と当真に凛を任せた太刀川は遠征艇へと足を向ける。中に入れば起きているのは国近と冬島と真木だけであり、風間隊と数人のエンジニアは眠っている。昼にはこの国を発つ予定であったため、とくにエンジニアには休息が必要だろうということを太刀川も一応は理解している。しかし状況が変わったのだ。太刀川はエンジニアのリーダーにおーい、と声をかけるとリーダーは眉を顰めてその声に反応する。

「……?もう朝ですか…?」
「いや、深夜」
「…緊急事態ですか?」
「遠からずってとこ」

太刀川の言葉にリーダーは大きな欠伸をして起き上がり、頭を左右に振る。近界遠征は何が起こるか分からないため、このように起こされることも多々ある。そのため遠征に同行するエンジニアは帰還時に目の下に酷い隈を作るのは毎度のことであった。
太刀川の行動に国近と真木はモニター越しに、冬島は太刀川の顔を見て口々に疑問を投げかける。

「どういうつもりだ、太刀川」
「まあ聞けって、真木」
「エンジニアさん眠そうだよ~?」
「なんか気になることでもあったのか?」
「いや。今すぐ出発出来ねーかなって」

太刀川の言葉には?という声を上げたのは冬島だけであったが、現在起きている全員の総意である。即座に真木が疑問を口にした。

「何故今すぐ出発する必要が?」
「俺達の国から誘拐されてた奴を偶然見つけた。だが、朝までに飼い主の元に戻らないと殺されるんだとよ。一般市民の救出は最重要項目の一つだろ?」

太刀川の言葉に全員が驚いたような反応をする。近界に攫われた人間がいるということはボーダーでは周知の事実ではあったが、遠征先で見つかったことは一度もなかったためである。
幾度目かになる遠征ではあったが行き先は近くの軌道にある惑星というだけで自ら選択することは出来ない。そもそも。どの国に誰が攫われたかなど今のボーダーでは特定することは無理であった。
太刀川の言うように遠征の名目は未知のトリガーの取得。そして一般市民の救出は確かに最重要項目に認定されている。適応されたことはなかったが無視できる事案ではないだろう。

「あ、それと。腕輪が付けられてるんだけど毒が仕込まれてるらしい。でも俺、あの腕輪見たことあるんだよな~たしか…前の…」
「リージェス遠征の時の拘束具ですか?」
「そうそう。それ。解除出来そう?」
「解析済みなので出来ると思いますけど、毒が仕込まれてるのは初めてなので慎重にやらないと…」
「朝までに頼むぜ。な?」

太刀川の言葉にリーダーは苦笑いを浮かべる。
やることは決まったと言わんばかりに他のエンジニア、そして風間隊も起こし事情を説明する。最初こそ怪訝な表情を浮かべる風間であったが行方不明者の発見となれば決断は早く、太刀川が行方不明者を連れ戻し次第帰還することを決め準備に取り掛かる。

「太刀川、念を押すがそいつは本当に行方不明者なんだな?」
「本当ですよ。俺の幼馴染みですから」

信じられない言葉に風間は菊地原に視線を移す。いつもはのらりくらりと適当なことを言う太刀川の言葉に対して菊地原は無言で頷く。太刀川の心音がその言葉が本当であることを証明したのだ。
それを確認した風間はもう疑うことも迷うこともなく、なるべく早く戻れと言うのだった。





深夜のうちに無事レヴォンを発つことが出来た太刀川達ではあったが遠征艇内の空気は微妙である。確かに太刀川は行方不明者であった女を連れ帰って来たが、まさか気絶をさせて無理矢理連れてくるとは夢にも思ってなかったのだ。
エンジニアは凛を連れて帰ってきてからずっと端末と彼女の手首に嵌った腕輪と睨めっこをしている。凛は未だに意識を取り戻さず、気絶させたのは太刀川なのだからという理由で太刀川と出水で基本使用していた部屋のベッドに寝かせている状態であった。

「お前が気絶させたのか」
「時間がなかったんで、つい」

風間の質問に太刀川は隠さずに答える。共に帰還した出水と当真の証言で彼女は間違いなく自分達を襲って来た刺客の一人であることが分かった。腕前もかなりのもので、何をしたかは分からないが一手目は太刀川隊、冬島隊の誰もが気付けなかったというのは見過ごせない。
太刀川が真っ二つにした大きめのフードは出水によって回収済みであり、これに何らかの作用があるのではないかという結論に至った。

「どう気配を消したのかは彼女に聞けば分かるかもしれませんね」
「正直に話しますかね。帰りたくないって言ったんでしょ」

歌川と菊地原の意見に太刀川はそうなんだよなぁ、と緊迫した様子もなく相槌を打つ。
黙っていても仕方がない。しかも無理矢理連れて来たのだ。起きれば間違いなく凛は自ら「帰りたくなかった」と言うのは分かりきっていたため太刀川は彼女を気絶させた理由は帰りたくないとごねたからと正直に報告していた。そもそも。菊地原がいる時点で嘘をついても無駄であるのだが。

「どうして帰りたくないんでしょう…?」
「想定はいくらでも出来るが、考えても仕方がないことだ。俺達は誘拐された一般市民を救出した。後のことは彼女自身に決めさせればいい」
「…そうですね。せめて、ご家族と再会出来るといいんですけど」

三上と風間の言葉に太刀川は苦い記憶を思い出し眉を寄せる。凛の祖父は亡くなり、家族は引っ越してしまい太刀川も今の所在地は知らなかった。
凛は祖父ととても仲が良かったから。現実を受け入れるのは酷なことかもしれない。

「太刀川、何か思い当たることでもあるのか」
「あー…まあ、少し」
「そうか。お前の幼馴染みだったな。この一件の責任はお前に持ってもらうぞ、いいな」
「…太刀川りょーかい」

太刀川と風間がそんな会話をしているとエンジニアのリーダーがふぅ~と大きな伸びをしながらメインルームへと姿を現す。手には先程まで凛の手に嵌められていた腕輪があり、無事解除に成功したことが見てとれた。

「お!外せたのか」
「ええ。やっぱりリージェスの時のものと同じでした。中の毒は帰還してから調べます。危険なので触らないでくださいね」
「鬼怒田さん喜ぶぜ。近界の情報はいくらでも欲しいからな。出水の持ってるフードもお宝かもしんねーぞ」
「まじすか。ボーナス出ますかね?」

さあどうかな、と冬島は楽しそうに笑う。行きではあんなに船酔いをして苦しがっていたが今のところまだダウンはしていないようだ。時間の問題な気もしなくはないが。
さてと。と太刀川は立ち上がり、メインルームの入り口付近で報告をしていたリーダに流石、と声をかけて軽く頭を下げる。満更でもなさそうなリーダーの横を通り過ぎてこの場を後にしようとするので風間は確認のために声をかけた。

「彼女のとこに行くのか」
「起きた時に怒られなきゃいけないんで」
「分かった。何かあれば報告しろ」
「りょーかい」

ひらひらと手を振って今度こそ太刀川はメインルームを後にした。
今回の成果は未知のトリガー八本という滞在期間からするとかなりのものとなった。ほぼ毎晩のように襲われていたのだから楽であったか、と問われれば微妙ではあるが。
そしてよく分からないフードと、真意の読めない行方不明者…太刀川の幼馴染み。
報告することが山のようにあるなと風間は少しだけ痛む頭を抑えて菊地原に視線を向ける。

「菊地原」
「分かってます。隣の部屋にいるんで何かあったら端末に送ってください」

故意に隠すつもりはないだろうとは思うが相手はあの太刀川だ。菊地原のサイドエフェクトを持ってしても明確なウソでない時は太刀川の言動は見破りにくいらしい。要するに彼は適当なのだ。そのせいで心音に変化が少ないという。困った男だ。
そんな太刀川の報告よりも自分のチームメイトのほうが信頼出来るため太刀川と行方不明者の会話をバレないように聞いてくるよう促すのだった。





部屋に入ると凛は目を覚ましていて、ベッドの上で膝を立てて座り込んでいた。太刀川が入ってきたことには気付いているのだろうが、視線は左手首に向けられている。
記憶の中の凛とは違い、随分と成長した凛は立派な女だった。面影があるとはいえかなりの年月が経っているのだから当然である。静かな空気に太刀川は珍しく少しだけ緊張をして、だが口を開いた。

「やっぱり腕輪してないほうがいいな」

その言葉に凛はやっと目線を太刀川へと向ける。ふ、と笑って穏やかな口調で返事をする。

「似合ってなかった?」
「ああ。もうあんなもん付けんなよ」
「どうかな」

口調はどこまでも穏やかだが太刀川にはなんとなく分かった。怒っていると。空気が痛いのだ。穏やかな口調だから尚更タチが悪い。
これはあれだ。かなり怒ってる。

「そんな怒んなって」
「呆れてるんだよ」
「なんだ。怒ってねーのか」
「怒ってるよ」
「どっちだよ」

言葉とは裏腹に凛は空気を緩めて困ったように笑う。思ったよりは怒っていないようだが無理矢理連れてきたことに文句はありそうだ。しかし敵意は感じない。
太刀川はよいしょとベッドの近くに腰を下ろして凛の顔を見上げるように覗き込めば凛と目が合う。

「慶ちゃん大きくなったね」
「餅食ったからな」
「まだお餅好きなんだ」
「今度美味いとこ連れてってやるよ」

まるで旧友に会ったように会話が弾む。いや、ある意味それは間違いなかった。凛と再会したのはそれこそ数年ぶりであり、元々二人は仲が良かったのだ。嬉しくないはずはない。だがただ歓喜しているわけでもないという、なんともいえない空気感ではあるものの太刀川はあまり気にしていなかった。
どちらかと言えば居心地が悪そうなのは凛のほうであり、少しの沈黙の後。太刀川から目を逸らして呟くように尋ねた。

「おじいちゃん、死んじゃった?」

それは凛がずっと気にしていたことであり、ほぼ諦めていたことであった。

「ああ。その日からおまえとも会えなくなった」
「そっか」

太刀川が隠すことなく答えてくれたことに感謝しつつ、その言葉に驚くことはなかった。
ただ、確定しただけ。
今の自分を知らずに亡くなってくれて良かったという安堵と、もう二度と祖父には会えないという現実に言葉を詰まらせる。
大好きだった祖父。あの傷では助からなかったのだろう。どうせなら祖父の代わりに自分が死んでいたほうが良かったかもしれない、なんて。
自嘲的な笑いが漏れると、太刀川は少し気まずそうにしてがしがしと頭を掻く。

「あー、凛の父さんと母さんは──」
「あ、それはいい。聞いてない」

太刀川の言葉を一刀両断すれば、太刀川は首を傾げるだけで理由を尋ねてくることはなかった。尋ねられたとしても答えるつもりはなかったが、言いたくなさそうにしていることを無理に聞くような男でないことは知っていた。
太刀川は体こそ大きくなってはいたが性格は凛の知っているままの太刀川であり、それが嬉しく、そして虚しかった。
感傷に浸っていても仕方がない。凛はごろんとベッドに寝っ転がって座り込んでいる太刀川と目線を合わせながら次の疑問を口にした。

「どうしてレヴォンに来たの?」
「別にあの国に用があったわけじゃねーよ。たまたま俺達の国の近くに来てた国があの国だったってわけ」
「ふーん。近界にはよく来るんだ」
「まあ、ぼちぼちってことだな」

太刀川の言葉に凛は一つの希望を抱く。無理矢理連れて来られてしまったものの、近界に戻る方法があると知れたのはいいことだ。もしかしたら外部の人間である凛に漏らして良い情報ではなかったのかもしれない。しかし太刀川は何も隠すことなく凛の質問に答える。その素直さは御し易く、そして己の底意地の悪さを実感させる。何を今更、と凛は心の中で自嘲した。自分と太刀川は確かに幼馴染みではあるが昔のままという訳にはいかない。主に変わってしまったのは自分のほうだということも凛は痛いほど理解しているが。
あー…と太刀川が少しバツが悪そうな声を上げる。今になって情報漏洩してしまったことに気付いたのだろうか。だとすれば口止めをしてくるはずであり、それは交渉の材料になる。そんな考えを巡らせている凛に対して太刀川は真っ直ぐな言葉を紡ぐ。

「すぐ見つけてやれなくてごめんな」

そのあまりにも綺麗な言葉に凛は面食らってしまった。自分は目の前の男を、自分のことを一応は助けてくれた幼馴染みを利用することしか考えていなかったというのに、太刀川は違う。太刀川は凛のことを本当に幼馴染みの斎藤凛としか見ていない。
そんな太刀川を前にすると凛は自分の惨めさを見せつけられているようで、つい鼻で笑ってしまった。

「いいよ別に。全然期待してなかったし。というか帰るつもりもなかったんですけどね~」
「俺は帰って来てくれて嬉しいぞ」
「勝手だね。望んでないっての」
「まあ、文句ならいくらでも聞いてやる。諦めて俺のとこに帰って来い」

太刀川慶はここまで傍若無人であっただろうか、と記憶を辿るものの結構そういうところはあった気がする。相手が真剣に悩んでいようと、本気で怒っていようと太刀川が感情を露わにすることはなかった。ずっと昔から達観しているその性格はどうやら今も健在のようだ。
相手によっては太刀川は凄まじく「合わない」男になるだろう。しかし悔しいことに凛は太刀川の深く考えたりしないところが昔から好きだった。自分の中にも変わってないところは確かにあるんだなと思い知らされ、諦めを含んだ大きな溜息を吐いた。太刀川が変わってないことはもう諦めよう。ただ、凛にも譲れないことがある。

「慶ちゃん。私が生きてること、私のこと知ってる人には絶対にバラさないでね」
「そりゃ別に良いけど、おまえの両親にもか?」
「むしろ両親には死んでもバラさないで。ね?おねがい」

敢えて媚びるような声を出して、甘えるように目を細めれば太刀川は僅かに反応した。どうやら太刀川にこれは「効く」らしい。何も変わっていないとは思っていたが、流石に太刀川も男であったということだ。
そして自分は嫌なくらい女というものを理解し利用している事実に凛は反吐が出る思いを笑顔で隠すのだった。



遠征艇は予定通りの帰還を果たす。
先に太刀川と凛以外の隊員が遠征艇を降り、二人はエンジニアを残して最後に遠征艇を降りることになった。行方不明者という名目はあるものの、凛は太刀川達を襲った身であり念の為、とのこと。
遠征艇を降りようとすれば凛はある男が目に入り、出口ではなくその男の元へ小走りで駆け寄り顔を下から覗き込むようにすればその男──エンジニアのリーダーは面白いくらい想像通りの反応をした。

「な、なにか?」
「貴方がバングルを外してくれたの?」
「はい。そうですけど…」
「凄いね。ありがとう」

そう言って誘うようにふわりと笑えばエンジニアのリーダーは少しだけ頬を高潮させて嬉しそうに頭を掻く。使えそうだと凛は笑う。そんな凛の後ろから少し面白くなさそうな声が聞こえてきた。

「おまえ、やっぱり少し変わったな」
「だから変わったって。慶ちゃんの知ってる凛はもういないの」
「いや、凛は凛だけど。なんていうかさぁ…」

顎髭に手を添えながら太刀川がう~んと首を傾げる。

「えろくなったな?」

そして、そんな風に凛を評する太刀川に思わず笑いが漏れてしまった。
太刀川の凛に対する評価はあながち間違ってはいないだろう。彼の知っている凛は純粋で、無垢で、無知だった。今目の前にいる凛は姑息で、汚れてて、男を知っているから。







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