強行


その少女と少年が出会ったのは、少女の祖父が趣味で剣道を教えていたためだった。
近所ということもあり、少年──太刀川慶は少女の祖父に遊びの延長のように剣道を教えてもらっていた。剣道、と言ってもその祖父は結構滅茶苦茶で。どちらかといえば竹刀を使ったヒーローごっこのような遊びを太刀川としていたと言っても間違いではなかっただろう。
太刀川が小学四年生の時、その祖父が子供心にとても格好良いと思える技を太刀川に披露した。すげー!なんだよ今の!と興奮する太刀川に祖父は満足そうに笑いその技を伝授したが、決して人には使うんじゃないぞ。とよく分からない釘を刺されたのである。
そんな技を太刀川以外にもう一人伝授していたのが祖父の孫である斎藤凛だ。
太刀川より二つ歳下の凛は祖父にとても懐いていて、小さい頃から祖父や太刀川と稽古という名の遊びに励んでいた。
慶ちゃん、と人懐っこいくせに負けず嫌いなところもあって凛とはよく稽古を受けながら遊んだものである。祖父の言葉に疑問を抱けば凛が得意げに説明をしてくることもよくあり、楽しそうに話す凛を太刀川は素直に可愛いと思っていた。説明は支離滅裂だったけど。

「ばいばい、また来週ね」

凛と祖父が笑顔で手を振るので太刀川も笑顔で手を振り返した。
太刀川の学年が上がるにつれて、その遊びは週五から週三になり、小学四年になる頃には週に二度、土曜日と日曜日に通うようになっていた。
頻度は減ったが太刀川は祖父も凛もあの場も好きであり、大切な場所だった。そう、大切だったのだ。

「あれ?」

土曜日になりいつものように祖父が竹刀を振っていた小さな道場へと足を向けると閉め切られてしまっていて、中からはなんの気配もしなかった。休みって言ってたっけ。と疑問に思った太刀川は道場横の一軒家のインターホンを鳴らす。少しして、凛の父が対応してくれた。

「慶ちゃん、ごめんね。剣道道場は終わりなんだ。爺さんが、亡くなってね」

突然の報せに太刀川は子供ながらに頭が真っ白になった。先週まで、まるで子供である自分と同じように遊んでいた祖父が亡くなったと言われて太刀川はショックだったのだ。
そして、気になることがあった。

「凛は大丈夫ですか?落ち込んでませんか?」

太刀川がそう尋ねると凛の父は何故か口籠もってしまい、インターホンを通して女の人の絶叫が聞こえてきた。何が何だか分からない太刀川に、凛の父は涙声混じりにごめん、ごめんね。と壊れたように謝罪を繰り返すので太刀川はそれ以上何も聞くことは出来なかった。最悪を想像するには十分過ぎたから。

結局、凛とは会えないまま一月が経ち、気付けば凛の家は空き家になっていた。母に聞けば引っ越しをしたと言われ納得するしかなかった。
母にもう少し詳しく聞けば分かったかもしれない。それでも太刀川は聞けなかった。凛も死んだの?と。
聞けば答えが返ってきてしまうから太刀川は聞かなかったのだ。


これは太刀川慶が忍田真史に会う前の、ちょっと苦い思い出である。





「は?なんで帰らねーの?」

太刀川は目の前の現実に歓喜した後、困惑した。奇跡と言っても良い再会を果たした幼馴染みの斎藤凛。生存は厳しいと思っていた相手を見つけられたことに太刀川は喜んだが相手はどうやらそうではないらしい。
明日の昼にはこの国を発つ予定だったため、一緒に帰ろうと提案すれば凛はそれを断固として拒否した。

「帰りたくないから」
「なんで?」
「理由言ったでしょ」
「帰りたくない理由を聞いてるんだが?」

太刀川の問答にはぁ、と凛は大きな溜息を吐く。慶ちゃんと自分の後ろをついて回っていた頃の幼さはないが、面影はちゃんとある。まさか近界に攫われているとは考えていなかったが、よく考えれば全然有り得たことだ。
生きていて良かったと安堵したものの、どうしてこうも頑なに帰還を拒むのか太刀川には全く理解が出来ない。

「あのね。私、ボスの所有物なの」
「ボス?」
「そんなのも知らないでこの国に来たの?」

そう言って凛は指を三本上げて簡易的に説明をしてくれる。この国には三人のトップがいて、その中の一人が凛がボスと呼ぶ人物だという。この国でその三人のうち誰か一人にでも逆らえばまず命はなく、それは所有物である凛も同じとのこと。
そう説明する凛をにやにやと眺めていると凛はあからさまに嫌そうな表情を作る。

「なにその顔」
「いや?昔から変わんねーのな。そういうとこ」

太刀川が疑問に思ったことを凛は丁寧に教えてくれることがよくあった。あの頃はまだお互い幼かったためその知識が合っていたのかは分からないが、面倒見のいいところは相変わらずだなと頬を緩ませていると凛は悲しそうな表情を浮かべて太刀川の言葉を鼻で笑う。

「変わったよ。慶ちゃんの知ってる私はもう死んだの。そういうことにしてくれない?」
「え、嫌だけど」
「……慶ちゃんはほんっと、変わらないね」
「褒めんなよ」

恨みがましい表情で太刀川を睨むもののどうやら効果は薄い、というよりほぼないようだ。
凛の記憶にある太刀川慶は確かにこういう男だった。飄々としていて空気なんて読まずに自分の考えを口にする。自分とは違い、きっと太刀川は綺麗なまま育ったのだろう。
その事実になんとも言えない気持ちになり、凛は自分の左手首に付いてるバングルを太刀川に見せつけた。

「帰れない理由なんだけど。これ」
「ごつい腕輪だな」
「ボスからの贈り物。逃げ出したなんてバレたらこのバングルに仕込まれた毒で殺されて終わりだよ。明日の朝までに報告しなきゃ同じ運命だけど。慶ちゃん、私を殺したいの?」

どうせ帰っても殺されるだろうと凛は分かっていたがそれは敢えて口にしなかった。
凛が羽織っていたフードは値段にして人間が二人買えるほど高価なものであり、それをお釈迦にしてしまっただけでも凛は終わったと思っていた。それに加え客に負けたのだ。間違いなく処分されるだろう。
それならば自分を負かした相手であり、なんの因果か再会を果たせた幼馴染みである太刀川に殺されたほうが幾分マシだったのだがどうやら様子がおかしい。

凛は帰るつもりなんてなかった。帰れない理由が彼女にはあるからだ。
帰りたいという気持ちはこちらに攫われてきて数ヶ月後には封じ込めてしまうほど、近界で生きていくのは辛く厳しいものであったのだ。
叶いもしない願望を持ち続けるよりも、現実を見据えて全てを諦め捨てるほうが楽だった。そう生きてきた。今更、どうして。

「朝までに報告しないと殺されるのか?」
「うん。ボス、時間に厳しいの」
「その腕輪の毒で?」
「そうだね。腕輪っていうか、首輪みたいなもんだよ」

飼い犬のね、と言えば太刀川はなるほどなるほど。と顎髭に手を当てて何度か頷く。やっと分かってもらえただろうか。
太刀川は耳に手を当てるとここにはいない誰かに呼びかけた。

「出水、こっち戻って来れるか?」
『はい。すぐ戻ります』
「国近。一応周りはこのまま警戒しててくれ。出水と合流次第、俺は一度遠征艇に戻る」
『およ~?何か忘れ物でもしたかね』
「いや、提案」

太刀川は誰かと連絡をとっているようだが相手の声は凛には届かない。太刀川とは偶然知り合いではあったものの、凛は太刀川達を客として殺害しようとしていたのだ。駆け付けた彼の仲間に殺される理由としては十分である。
殺すなら殺すで構わないし、その気が無いのならさっさと解放してほしいというのが凛の本音だった。しかし目の前の男はそのどちらも選択してくれず、だからと言って逃すつもりもないらしい。それは合流した仲間に言い放った言葉で嫌というほど理解出来た。

「出水。こいつのこと見張っててくれ。逃すなよ」
「それはいいですけど…トリガー獲ったら終わりじゃないんすか?」
「こいつは別。当真、聞こえるか?」
『聞こえてますよ』
「もしこいつが逃げようとしたら撃っていい。装置が付いてるから死ぬほど痛むが死ぬことはないだろ」
『うへ~逃す気0ですね。当真、了解』

頼んだぜ~と言って太刀川はこの場を後にした。
残されたのは太刀川よりは幾分若い男と敵である自分。それに自分のことを撃ち落とした狙撃手も見張っているのだろう。逃げる素振りを見せれば狙撃手に撃ってもいいとわざわざ口に出して言うあたり、太刀川も随分と良い性格に育ったものだと溜息が漏れる。
残された若い男は気にしない素振りをしているがこちらのことを意識しているのが気配で丸分かりである。この男だけならば欺くことも可能だったかもしれないが、狙撃手がいる限り逃げることは無理だろう。
なんだか色々と考えるのも面倒臭く馬鹿らしい。凛は暇を潰すように口を開いた。

「慶ちゃんのお友達?」
「えっ、」

声をかけられるとは思っていなかったのだろう。若い男は少し上擦った声を出した。初心な反応に少しだけ本心から笑いが漏れる。ああ、この子もきっと太刀川と同じく幸せに生きてきたのだろうと容易に想像が出来たから。

「たち……、あの人と知り合いなんすか?」
「元恋人」
「え!?」
「かと思いきや、生き別れの兄妹かも?」

揶揄うように女は適当なことを口にする。
そんな凛に若い男──出水は呆れたように少しだけ笑いを漏らした。

「似てますね、そういうとこ」
「誰と?」
「さあ、誰でしょうね」
「あ、いじわる。ねえ、君名前なんて言うの?私はリリィっていうんだけど」
「それ本名っすか?」
「あは、やるじゃんいずみくん」

そう言うと出水は苦笑いを浮かべて何も答えなかった。太刀川が何度も出水、と呼んでいたのだ。彼の名前なんてとっくに割れている。尋ねる仕草は会話のきっかけに使わせてもらったに過ぎない。
その場限りの適当な会話など腐るほどしてきた。いつからか初対面の相手に本名なんて名乗ることもなくなった。太刀川との関係を語るつもりもない。語りたいとも思わない。
女として生まれたことを呪ったこともあったが、身の振り方を覚えれば存外女の身は色々勝手が効くこともある。出水の様子を見るに、やはりこの男一人ならどうとでもなったなと凛は太刀川の采配を恨んだ。
そんな恨み先の当本人は相変わらず飄々とした態度で再び凛達の前に姿を現す。

「出水、当真。俺達が戻り次第帰還することになった。撤収すんぞ」
「了解。この人はどうするんすか?」
「連れて帰る」
「はぁ?だから嫌だって言ってるでしょ」
「ああ、違ったな。悪い」

そう言って太刀川は女に目線を合わせるようにしゃがみ込む。何を言われようと帰るつもりはない。というか、このバングルがある限りは無理だと伝えたはずなのに何を言ってるのか。
どうにか諦めてもらおうと口を開きかけた瞬間、首に衝撃が走る。

「! っ、あ……ッ」
「俺がこの国から攫い返す。文句はまあ、あとで聞いてやるよ」
「……っ、さ、いぁ、く……」

トリオン体でない凛の首に太刀川の手刀は見事に決まり、凛はそのまま意識を手放した。
よっ、と換装体のままである太刀川は軽々と意識を失っている凛を抱き上げる。体格差からして、太刀川が生身であったとしても彼女が太刀川の腕から逃れるのは不可能だということは想像に軽い。そんな二人の様子を見て出水は困惑したように太刀川に尋ねた。

「太刀川さん、その近界民と知り合いなんすか?」
「近界民じゃねーよ。俺達の国から攫われたの、こいつ」
「え!?行方不明者ってことですか」
「そっ。俺も生きてると思ってなかったからびびったけどな~」

生きてると思ってなかった、ということはやはり太刀川とこの人は知り合いだったのだろう。
太刀川とはそこそこ長い付き合いにはなるものの、知り合いが近界民に攫われたという話は聞いたことがなかったので正直出水は驚いていた。ずっと探していた…という感じでもないように見える。ということは本当に偶然、彼女とは再会出来たということなのだろう。
それは純粋に喜ばしいことだと思ったが様子はおかしかった。攫われたのなら、太刀川に再会出来たら帰れると喜ぶのが普通ではないのだろうか。何故彼女は帰還を拒み…、いや。何故彼女は自分達を襲ってきたのだろう。

考えても分からないことを出水は考えることを一先ずやめた。
分からないことより分かるかもしれない疑問を太刀川に投げかけることで自分の意識を逸らそうと口を開く。

「この人、太刀川さんのこと慶ちゃんって呼んでましたよ。どんな関係なんですか?」
「元恋人」
「……はい?」
「と思わせて生き別れの兄妹かもしれないぞ」
「……俺達の会話聞いてました?」

出水の言葉に太刀川はなはは、と緩く笑うだけで答えない。食えない人だ、本当に。
のらりくらりと追求を交わすその姿は確かに太刀川の腕の中で意識を失っている彼女と通ずるものがあるな、と出水は一人納得してしまう。

「良かったですね、再会できて」

そう言うと太刀川は何も言わず、ただ嬉しそうに目を細めた。







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