初恋


太刀川の初体験は凛に話したようにいいものではなかったが、初恋もまたいいものではなかった。
初恋だと自覚した途端、失恋をしたのだから。

いつでも会える。それがどれだけ幸せなものであり、どれだけ甘い考えだったのか。当時十歳だった太刀川には分かるはずがなかった。
ただ。失くしてからは否応にも分からされてしまう。太刀川はあの時間が心から好きだったのだと。
週末になっても、爺さんにも凛にももう会うことは出来ない。学年が上がる度、道場に通う頻度は減ってしまっていたが、こんなことになるのなら毎日通えば良かった。太刀川はそんなことを日々思い、子供ながらに喪失感に苦しんだ。

その年のバレンタインデーに初めて太刀川は女子から告白をされた。可愛らしいラッピングに包まれたチョコを差し出され、好きです。と飾り気のない、今思えば随分可愛らしい告白をされたのだ。
そういえば。凛に初めて渡されたチョコは不味かったことを思い出す。一生懸命作ったであろうそのチョコを食べて、とせがまれ一つ食べてみれば今まで食べたチョコで一番不味かった。
どう?なんて目をキラキラさせながら言うもんだからつい、普通。となんとか返せば凛はその返事がお気に召さなかったらしい。その日は拗ねて帰ってしまい、爺さんには大笑いされた。慣れない手つきで一生懸命作ってたんだぞ。そう言われても不味いものは不味いのだ。
太刀川は結局、一つ残らずその不味いチョコを平らげたのだけど。

それから毎年、凛は太刀川に手作りのチョコを渡してくれた。驚くことに、年々チョコが美味くなっていったのだ。負けず嫌いだとは知っていたが、こんなところまでとは思わず太刀川は毎年凛からチョコを貰うことが楽しみになっていた。
──そっか。今年からはもう貰えないのか。

「悪い。受け取れねーわ」

太刀川が拒否すれば、女子は涙目になってその場を去ってしまった。
受け取れなかった。彼女の気持ちに応えられないから。いつの間にか、自分は凛を好きになっていたことに気付いてしまったから。

壁に背を預けずるずるとその場に座り込む。ばかだな。と思わず呟いた。

「こんなことなら告白しとけば良かったな」

そうは言っても太刀川自身、今自覚したのだから無理な話ではあるが、それでもそう口に出さずにはいられなかった。きっともう二度と会えない。会えなくなるなんて思ってもいなかった。
はぁ、と吐いた息が白く染まる。胸にぽっかりと穴が空いてしまったような喪失感に太刀川は暫く立ち上がることが出来なかった。



だからこそ、近界で凛に再会した時、太刀川は本当に驚き、喜んだのだ。そして忘れ去っていた初恋の苦い思い出もまた呼び起こされた。
流石にあれから九年も経っており、太刀川もそれなりに恋人を作ったりしたものの、思春期をボーダーに捧げた太刀川が誰かに惚れることは結局なかった。セックスは気持ちが良いし嫌いではないが、女は面倒くさかった。そんなことより迅や風間とランク戦をしている時のほうが楽しく血が滾る。太刀川は女よりもランク戦を取るというお年頃の男子高校生にしては珍しい価値観の持ち主だった。
最も、迅や風間もその太刀川と同様ランク戦によく顔を出していたのだからボーダーという組織はそういう奴らが比較的多く集まるのかもしれない。

だが、立派に女として成長した凛の姿を見た時、女にはあまり興味のなかった太刀川の心臓が確かに大きく跳ねた。
こいつこんなに可愛かったっけ。思い出補正がかかってしまっているのかも、と太刀川は自分の感情を確かめるために凛を連れ帰ってからもよく行動を共にしたが、凛は性根はあまり変わっていないものの、確かに変わったことがあった。

「えろくなったな?」

そう本人に伝えたように、色気が凄いのだ。
凛は元々甘え上手ではあったが、あの頃のものとは違う。それこそ、太刀川を必死に振り向かせようと誘惑してきた元カノのそれに似ている。
そんな凛の態度にボーダーでは靡かない相手も多かったが、しっかり凛に魅了される相手も多く太刀川は面白くなかった。

「……なんていうか、その。たいへん大人っぽいというか、なんというか」
「甘えたがりなんだよ」

冬島に対しても誑かそうと凛が行動したためいつものようにそう対応したが、後に冬島に太刀川、おまえあの子に惚れてんの?と図星を突かれ。なんで?と聞けばあの時のおまえ、すげー面白くなさそうな顔してたぜ。と笑いながら背中を叩かれた。俺が未成年に手を出すかよ。そう言う冬島の言葉は信用出来たが、誰もが冬島のようなしっかりとした倫理観を持っているとは限らない。
凛は太刀川から見ても可愛いしえろいと思った。しかしそれだけではない。一緒にいて心地が良い。笑顔が見たいと思う。あの頃と変わらない性根もやはり好きだった。結局太刀川は凛と過ごすうちにまたしても凛のことを好きになってしまった。

いや、もしかしたら違うのかもしれない。
太刀川は思いを告げることも別れを告げることも出来なかった初恋を忘れたことにして心の隅に追いやっていたものの、九年間で新しい恋をしなかったせいでずっとその思いを募らせていたのかもしれない。
その初恋相手と再会出来るとは夢にも思っていなかったが、再会出来たのだから今度こそ逃すまいと心に決めていた。





『勝者、斎藤』

いつも通り個人ランク戦のブースに顔を出すとつい最近B級に上がったばかりの今期の目玉が同じくB級隊員とランク戦を行い圧勝していた。B級に上がったばかりだというのにポイントは既に7000…つまりはマスタークラスに届きそうな勢いであり、その新人は注目の的であった。

新人、斎藤凛は強い。それは注目される理由の一つではあるが、最大の理由は別にある。

「あ、慶ちゃん。またポイントくれるの?」
「ああ。俺に勝てたらな」

勝つよ。と可愛らしく笑う彼女に太刀川は破顔する。そう。ボーダー期待の新人は攻撃手No.1である太刀川慶の彼女であるというのだから驚かれないわけがなかった。
そして彼女のポイントが異常に高いのも、太刀川からたま~に一本取ることがあるからであった。ランク戦は低いポイントの相手と高いポイントの相手が戦った際、低いポイントの相手が負ければあまりポイントの変動は起こらないが、逆に低いポイントの相手が勝った場合はごっそりとポイントを奪うことが出来るシステムになっている。それこそ、太刀川が五十勝しても凛が一勝すればトータルでプラスになるほどである。これは太刀川の所持ポイントが高すぎるせいもあるのだが。

太刀川と三年後の約束を交わした凛は太刀川から忍田へ。そして忍田から城戸に伝わりボーダーに入隊することとなった。上層部メンバーは迅から凛が近界に戻った際どうなるかを聞いていたため二つ返事で凛のボーダー入隊を承諾し、各々で喜んだ。
正式にボーダー隊員となれば部屋は今のまま貸すことができ、凛の実力ならばすぐにA級に上がることも見越され入隊と同時に給料も秘密裏に渡されることとなった。あまりの待遇に凛は最初は断ったが、近界で生きていてくれた礼だと城戸に押し切られたため、いつか返せる時がきたら返すという約束をして有難すぎる案を呑み今に至る。
最初からB級でも構わないほどの実力ではあったが、特別待遇を凛が望まなかったため、C級入隊時に2500ポイントを与え他のC級隊員と共に入隊したのだが差は歴然であり、遊び感覚でランク戦を繰り返すうちにあっという間にB級に上がり、B級に上がってからも太刀川とランク戦を行うことが多かったため所持ポイントは増える一方だ。

「十本でいいよな?」
「もちろん」
「いやいやいや!太刀川さん、ミイラ取りがミイラにならないでくださいよ!」

そう言って二人がブースに入ろうとしたのを止めたのはあの日、近界で凛と戦闘をした一人である出水だ。そして太刀川のチームメイトであり、今は凛のチームメイトの一人でもある。

B級に上がった凛は色々な隊員に声をかけられた。勧誘である。B級からはチーム戦が行われるため優秀な新人の争奪戦が始まるのはよくあることであり、あまりに酷いと勧誘の順番がくじ引きになるとかなんとか。
凛は迷っていた。太刀川のことは好きだが、太刀川にこれ以上迷惑をかけることを戸惑っていたからだ。しかしまだA級でもないのに固定給を貰っていた引け目もあり、凛は一秒でも早くA級に上がりたかったため、太刀川隊へ入ることを決めた。結局、個人ランク戦で太刀川とはよく戦っているのでお互い満足している状況である。

そんな二人に巻き込まれたのが出水と国近と一応唯我である。太刀川から新しいメンバー入れても良いか?と聞かれ、出水には強いんすか?と聞かれたため強いと答え、国近にはポジションは?と聞かれたため攻撃手か万能手と答えた。二人ともそれ以外は特に気にもせず、太刀川さんが引き入れたいのならどうぞ~。となんの不信感もなく承諾された。唯我は烏丸以外なら大丈夫です!と言っていたため、なら大丈夫だな。と太刀川は緩く笑った。
そして連れてきた相手を目にして、出水はうぇ!?と大声を上げて国近はそうきましたか~と笑った。唯我は遠征には行っていなかったため可愛い子ですね!と喜んだが俺の彼女だからな。と言えば三人は驚愕の声を上げるのだった。

「うちの隊、今日演習があるからその確認をしようって凛を呼びに来たんでしょ」
「あ~…五本だけ、とか」
「忍田さんに叱られますよ、マジで」

出水の言葉が決定打になり太刀川はブースに入ることを諦め踵を返す。
太刀川は忍田のことを尊敬している。忍田の意思も出来るだけ尊重しようと思っている。だがそれ以上に、今は忍田を少しでも失望させるわけにはいかなかった。

凛をボーダーに入隊させたいと頼んだ時、忍田はそれはもう喜んで承諾してくれた。そんな忍田の反応に太刀川も喜びつい、三年後には結婚しようと思うんだけど。と漏らせば忍田は数秒の硬直の後、慶!と真剣な表情で太刀川に詰め寄った。
本当に彼女の人生を背負えるのか。彼女を守れるのか。その覚悟があるのか。というか、私を倒せるようにならなければ凛はやらん!と。きっと忍田自身も太刀川の突然の告白に気が動転していたのは分かるが、まるで父親のようなことを早口で言うものだから太刀川は思わず笑ってしまった。今となってはそれも悪手ではあったが、まあ構わない。
結論としては忍田に一度でも勝ち越すことと、大学を留年せずに卒業すること。この二つを忍田に誓い、凛との仲をひとまず認めてもらえることになったのだが、忍田は凛に対して少し過保護なところがあるから気は抜けない。大学を留年せずに卒業することが一番の強敵になる未来は迅でなくても見えた。

「出水くん。ね、演習終わったら私とランク戦しない?」
「へぇ。言っとくけど手加減しねーっすよ?」
「あ、おい!俺が先だからな!」



わかってるよ~と凛が太刀川の大きな手を握れば太刀川は満足そうにその手を握り返した。ほっとけばどんな瞬間でもこのようにイチャイチャする二人に対して、出水はもう慣れてしまったし正直言えば羨ましいとすら思っていた。

出水にとって太刀川は抜けている時はあるものの、格好良く憧れの大人であり隊長である。どんな時でも余裕のある表情を崩さず、だというのに実力は本物で頼りになる。指示も的確だ。出水以外にも太刀川に憧れている隊員は多いだろう。その隊員達は太刀川の成績がちょっと色んな意味で凄いことや、きなこをボーダー内で食べることを禁止されるに至った理由などは知らないと思うが、知っている出水からしてもトータルすれば太刀川は格好良いのだから敵わない。
太刀川は戦うことが好きだ。特に強い相手と戦う時は目を輝かせていて、まるで少年みたいだと思うことさえある。そんな太刀川が凛にだけ見せる表情を出水が初めて目にした時、あまりにも愛情深い目をする太刀川に出水のほうが照れてしまった。

(この人、こんな顔するんだ…)

というか。誰かを恋愛的な意味で好きになる人なんだ、と若干失礼なことを思いつつも感動してしまった。太刀川から色恋話なんてそれこそ聞いたことがなかったからであるが、太刀川だって男だ。好きな人が出来てもおかしくない。
しかし、この飄々とした男を惚れさせるなんて凄いなと思ったものの、一緒に過ごしていくうちに凛の人柄にも触れ、太刀川が惚れるのも分からなくはないな。と思うほど太刀川と凛はお互いに対して甘く、お互いを溺愛していた。

そして出水はあることを思い出す。そういえば以前一回だけ。太刀川はこの表情を出水に見せたことがあったと。かなり前のことだったのですぐには思い出せなかったが、やがてそれは出水の記憶に蘇った。
そう。初めて凛を連れ帰った時だ。無理矢理凛を気絶させ、その体を抱き抱えた時。出水は太刀川に良かったですね、再会できて。と言った。太刀川は何も返答はしなかったものの、今と同じような表情を確かに浮かべていた。
もしかしたら太刀川はあの時から。いや、凛が行方不明になる前から彼女のことをずっと好きだったのかもしれない。そんな漫画みたいなことがあるのかと妄想し、出水は悶えた。
全く。全てにおいてうちの隊長は規格外だ。

「出水?置いてくぞ~」
「あ、はい!」
「出水くんの変化弾ほんと嫌いなんだよなぁ~なんとか潰す方法を…」
「基本は味方ですからね、俺!?」

あはは、と可愛らしく笑う凛をやっぱり愛しげに太刀川は見つめている。そんな太刀川と、そして近界で初めて会った時とは別人のように朗らかに笑うようになった凛を交互に見て、出水もまた満足気に笑うのだった。







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