自覚


唐沢克己という男を凛はこの組織で一番買っている。
彼は分かりやすい。彼の考え方は一番近界に似ていたからだ。何よりも利益優先。しかしこの国で働いているため、近界ほど非情には徹してはいない印象ではあったが迫られればこの男は何でもやるのだろう。それこそ、殺しでも。

「いつも悪いね。あまり話したくないことじゃないのかな」
「いえいえ、本当のことなので」

凛の言葉に唐沢は軽く笑って煙草に火をつける。それを凛は油断しないように見据えていた。
唐沢が凛に求めるものは情報だ。近界ではどのように金銭のやり取りがされているか。交換条件として出されるものはどこまでなら許されるか。何が取引になり得るか。唐沢がこの組織でどのような立ち回りをしているのかは彼の質問で大体想像が出来た。
凛は常々思っていた。この組織は綺麗すぎると。隊員も未成年が多いというのだから黒い噂が広がるのは良しとしないのだろう。しかし、組織というものは綺麗事だけでは到底機能しない。唐沢はまさにこの組織の裏側を担当しているのだろう。近界で人には言えないようなことをして生き延びてきた凛にとって唐沢は話しやすい相手であった。

「さて。これは興味本位の話だから聞き流してくれても良い」
「どうぞ」
「ありがとう。凛、君は随分男に媚びるのが上手いがそれは武器になり得たのかな」

あまりにも単刀直入な物言いに凛は笑みを溢す。遠回しに聞かれるほうが面倒臭いため、変に気を使われるよりも直球で聞かれたほうが楽だからだ。

この国に来た当初はとりあえず男には色目を使っていた自覚はある。上層部や戦闘要員の隊員には効果は殆どなかったものの、研究員やエンジニアは引っかかりやすそうな相手が比較的多かった印象を受けた。鬼怒田に釘を刺されたため、大っぴらに媚びることはやめたけれど。唐沢から見ても上手く出来ているということなのだろう。大して嬉しくもないが。

「へぇ。唐沢さん、私に誘惑されちゃいました?」
「いや、全然。生憎趣味じゃないんでね」
「あはは!辛辣だなぁ」

凛は所謂上層部のメンバー全員に媚びてみたことがある。そして誰一人として靡かなかったため太刀川に私魅力ない?と聞けば趣味じゃないんじゃね?と返されたのは記憶に新しい。唐沢が同じ言葉を言うものだからそんなことを思い出してしまった。
城戸と根付には相手にされず、鬼怒田には若干叱られた。忍田に至っては多分気付いていない。彼は優秀な人物だとは思うけれど女性方面に関しては些か心配になるほど鈍感だと見受けられた。そして唐沢だ。一番手応えがありそうで、その実一番響いていなかったのは間違いなく目の前のこの男だろう。

「こういう男でも君は落とせたのかい?」
「試してみます?」

落とせたか落とせなかったかで言えば無論、落とせた。落とせなければ仕事が完遂出来ずボスに仕置きか、下手すれば捨てられる可能性もあったのだからこちらとしても必死だったのだ。
簡単ではなかったが唐沢のような男を落としたことも勿論ある。最初は唐沢のように凛に興味すら抱かなかったが、徐々に距離を詰め、キスをして、そのまま関係を持って。逃したくないと思わせれば勝ちなのだ。生憎、二人目の飼い主の元で慣らされたせいでどんな相手に対してもこの体は快楽を拾うようになっていたため、男は喜んで凛を抱いた。あの時と同じように唐沢の首に腕を回して、唇を近付け──


きなこの味を思い出して凛は動きを止めてしまった。


これが近界での仕事だったら興醒めだと言われて失敗していたかもしれない。しかし、凛は唐沢の唇に自分の唇を重ねられなかった。過ぎるのは、きなこの味をさせた幼馴染みの笑顔。
そんな凛の反応に何を思ったのか、唐沢は鼻で笑って、火のついた煙草を凛に咥えさせる。突然のことで思い切り煙を吸い込んでしまい、ごほごほっと咽せると唐沢はその煙草を灰皿へと捨てて満足そうに口角を上げる。

「出来なかったな」
「…えっと。…こんなはずじゃ…あれ?」
「はは、良い傾向じゃないか。凛。君はもうこの国に帰ってきているんだ。キスもセックスも、凛がしたい相手とだけすれば良い。そんな仕事、もうする必要はない」

唐沢の言葉に本来なら喜ぶべきなのだろう。しかし凛は困惑していた。
どうして唐沢にキスが出来なかったのだろう。今まで、どんな相手でも必要に迫られれば出来たのに。必要に迫られている、というわけではないからだろうか。もし、またあの甘い味を思い出してしまったら。近界に戻ってからこの手が使えないのは相当まずい。
凛は先程の自分の行動を叱咤するように首を左右に振って、唐沢の目を見て誘うように笑う。

「別に、利益があれば誰とでも出来ますよ。こんなの」
「利益があれば誰とでも、ねえ。それは本心かな」

そう。利益があれば誰とでも出来たのだ。
唐沢は武器になり得たのかと凛に尋ねた。色仕掛けは武器でしかない。女である身を利用すれば隙を付くのは幾分楽であった。抗わなければ蹂躙される運命ならば、武器として使い、襲われる前に始末する。その初動として媚びることは役に立つものだった。
それが使えなくなるのは非常にまずい。凛は半ば意地になって唐沢を挑発する。

「出来ます。唐沢さん、もしかして私としたいんですか?」
「はは、まさか。殺されたくないからね。でも…誰とでも、は嘘だな」
「出来ますってば。こんなの、取引の材料でしかない」
「じゃあ、太刀川君と出来るかい?」

その言葉に凛は即座に出来ると返せなかった。
太刀川に色仕掛けをしたところで効果はないだろう。この国に戻ってきてから、密室であれだけ二人で過ごしたというのに太刀川は一度も凛に手を出してこなかった。いや、きなこ餅を持ってきた日にキスはされたが、それだけだ。何故太刀川が凛にキスをしたのかは分からないが、それ以上迫られることはなかった。
じゃあ、迫られていたら?凛は太刀川と関係を持ったのだろうか。太刀川を利用するために近界で再会したばかりの時のように色仕掛けが出来るのだろうか。

いや、待て。逆だ。どうして出来ないのだろう?

(ああ……)

分かってしまった。凛は太刀川とそういうことは出来ないと。太刀川だけは特別なのだ。

遠いあの日の、綺麗な思い出の中のままの幼馴染み。変わらない太刀川と一緒にいると、凛は自分まであの頃に戻ったような錯覚に見舞われた。
けれどそれは勘違いだ。凛はあの頃とは違う。身も心も、近界で汚れ切ってしまった。そんな自分を太刀川に差し出すことは出来ない。凛にとって太刀川は綺麗な存在だ。自分と触れ合うことで汚すことは出来ない。

「こら」
「あたっ」

凛の頭をこつん、とドアをノックするように唐沢が小突く。唐沢に目線を向けると、彼は初めて見せる含みのない優しい表情を浮かべていた。

「その顔が答えだ。これからは利益があろうとしないことだな。それこそ、好きな相手以外とはね」



唐沢は目の前の少女のことを危うい子だと初めて見た時から思っていた。少女らしさを残す見た目をしていながら、どこか女を感じさせる振る舞い。十七とは思えない達観した態度は痛ましかったが、色々な人間に触れる機会はそれこそ他の者よりも多かった唐沢からしたら珍しいものでもなかった。
彼女からは色々な話を聞いた。話したくないであろうことも彼女は話してくれた。情報が一番の武器である唐沢にとって、彼女の情報はとても有益なものであった。そしてそれと同時に、この少女は思ったよりも年齢相応であり素直であることも分かった。それ故に、彼女は自分のことを必要以上に貶めている。

「…逆ですよ。唐沢さん」
「逆?」
「好きな相手とだけは、出来ない」

詳細には語らなかったが、凛は近界でその体を使っていたような証言をいくつかしていた。唐沢は察しが良い。聞かずとも分かる。この子は望まない形で体を開かれていたのだと。それは凛の心に大きな傷を残したのだろう。
過去に戻ることは出来ない。凛はその傷を忘れることは出来ないだろう。だからこそ、もうこちらではそんなことをしなくていいと言ったのは本心からの言葉だった。

凛が太刀川慶に特別な感情を抱いていることは見れば分かることであった。最初こそ幼馴染みだと聞いて驚き、そのせいもあってか仲が良いのかと思っていたが彼らは男と女だ。それだけではないのは見て取れた。
凛は利益があれば誰とでも出来ると言ったが、太刀川とだけは出来ないと言う。それは自分の心の内を暴露してしまっているということに凛は自分を責めることに必死で恐らく気付いてはいないのだろう。思った以上に、彼女は自分のことが嫌いみたいだ。

しかし、これまで運の悪かった凛はここにきて運に見放されていない。何せ、彼女の想い人はあの太刀川なのだから。

「ははっ、それは杞憂だな。何を考えているのかは敢えて聞かないが、君の好きな相手はそんな考え覆してくるぞ」
「…なんか。私の好きな相手が分かってるみたいな言い分ですね」
「そうだな。凛の好きな相手は知らないが、凛が唯一出来ない相手は察しているよ」

唐沢の言葉に凛は困ったように笑う。唐沢は他の幹部のように心から凛の幸せを願ってはいなかった。唐沢にとって彼女の幸せは優先順位の低いもので、それこそ近界に帰りたいと言うのなら情報を抜けるだけ抜き、記憶処理をして近界に置いてこればいいと思っていた。
しかし凛と何回か対話をしているうちに自分もまた血の通った人間だということを思い出した。色仕掛けには全く興味はなかったが、意外にも素直な凛の性格がその考えに至らせたのかもしれない。結局、唐沢も他の幹部と同じようにただの不運で九年間もの間地獄を見せられたこの少女には幸せになってほしいと思うようになってしまったのだ。

「私、そんなに分かりやすいですか?」
「思っていたよりちゃんと子供だったって印象かな」
「ほんと、唐沢さんってこわい」

言葉とは裏腹に凛は嬉しそうに笑う。恐ろしいことに、この少女は意図的に人を煽ることも出来るくせにこのように無自覚に人を誑し込むことも上手いのだ。彼女が一度も捨てられることもなく三度も別の飼い主の元を転々と出来た理由も恐らくは天性のものだろう。
凛に対する印象は確かに変わったが初めに抱いた危ういという印象は健在である。それを変えられるのは恐らくただ一人。
我らがエース攻撃手にあとは任せようと唐沢は口にせず、大人は怖いものだよと笑えば凛は知ってますよと笑い返すのだった。






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