予知



凛は確かに一度歩いた道を忘れたことはなかった。しかし初めての道は別である。
初めて歩くのだから何が正解かは分からず、しかも逃げるように一心不乱に直進したり曲がったりを繰り返したため、構造が似ているこの基地で今自分がどこにいるのか把握するのは困難を極めた。
まずい。本当の迷子である。

「よ、凛。散歩か?」

名前を呼ばれ反応をすればそこにいたのは見覚えのある男で。

「あ、迅くんじゃん。久し振りだね~」

その人物はこの国に帰ってきて、割と初めのほうに食事を届けてくれた迅悠一と名乗った男だった。





迅の案内のおかげで無事部屋に到着した凛は迅にお礼を言って良ければゆっくりしていくかと聞けば、迅はじゃあお言葉に甘えて。と部屋に入りテーブルの側へ腰を下ろす。
凛は冷蔵庫からペットボトルを取り出して、部屋に常備されていた紙コップに中身を注いで迅に差し出せばありがとう、と迅はそれを受け取る。受け取った紙コップをテーブルへと置くと、迅は持っていた袋からサンドイッチを取り出して並べると綺麗な青い目を細める。

「お昼食べてないんでしょ。おれもまだなんだ。良かったら一緒に食べない?」
「え?それは有難いけど…よく分かったね。私がお昼まだなの」

時刻は十四時を回っていて普通なら昼食は終わっていることが多い時間だろう。しかし迅は確信したようにそう言ってくる。
凛の迅悠一に対する印象は幼馴染みである太刀川慶と少し似ているというものだった。掴みどころが難しく、飄々としていて核心が見えない。初対面の相手は使えるかどうか試すために媚びてみることが癖になっていた凛だったが、迅には一切通用しないのがすぐに分かったため媚びることはやめた。近界ではかなり通じた手だというのにこの組織ではなかなか通じず。全員が手応えがない、というほどでもないがどうやらこの組織の人間はかなりガードが固いようで凛は国柄かな。と深く考えることはやめて自然体でいることが多くなった。
何より。凛の側にいることが一番多いのはあの太刀川なのだ。取り繕うのも馬鹿らしく、そんな彼と過ごすうちに自然体でいる時間がかなり増えてしまったのは仕方がないことだと思う。

「太刀川さんからメッセージが来たからね」
「えっ」
「そんで、おれが代わりに昼飯を持ってきたってわけ」

本当は視えていた迅のほうから太刀川にメッセージを送ったのだがそれは敢えて言わないことにした。そのほうが凛が喜ぶ未来が視えていたからだ。
それに、完全な嘘というわけでもない。迅の連絡がもう少し遅れれば太刀川からメッセージが来ることも迅には視えていた。ただ迅はあの時コンビニにいて、レジも空いていたため行動に移したかったため自分から太刀川に連絡した。それだけのタイムラグである。

「あ~…バレてたかぁ。慶ちゃん、意外と鋭いよね」
「確かに。太刀川さんってなんていうか…野生動物みたいに勘が働く時があるよね」
「あははっ、わかる」
「腹空かしてると思うから頼むぜ~って。ほんとよく見てるよ、あの人」

その言葉に凛は笑う。
嘘を見破られたのは悔しかったが、太刀川は凛のことを気にして迅にわざわざメッセージを送ってくれたのだという。それが凛は嬉しかった。
太刀川は優しい。何も考えていないようで、迅の言う通りよく人のことを見ているし気だって効く。太刀川の側は楽で居心地が良かった。

満足そうに頬を緩める凛に、迅もまた頬を緩める。さ、食べよ。と言ってサンドイッチを手に取れば、凛もそれに続くようにいただきます。と言ってサンドイッチを手に取る。
初めて会った時もそうだったが、彼女は殺伐とした境遇で生活を送ってきたはずなのに行儀は良かった。両親の育て方が良かったのか、彼女自身の根元の部分が善良なのか。
太刀川に彼女、九年前と変わった?と聞いた時に別にそう変わってないぜ。と即答されたのを思い出す。太刀川はきっと、こういう凛のおそらく変わっていない部分をしっかり見ているのだろう。

サンドイッチを二つ食べると凛はふぅ、と息を吐き手を合わせてご馳走様でした。と言う。少し多めに買ってきたサンドイッチは残ってしまい、じゃあこれは持って帰るよ。と迅は残ったサンドイッチを持っていた袋へと詰める。

「ごめんね、残しちゃって」
「お腹が膨れたなら良かったさ。それに、凛が少食なのは太刀川さんから聞いてるよ」
「ふぅん。迅くん、慶ちゃんと仲良いんだね」
「まあ、そんなところ」

そっか。と笑う凛の表情は歳相応であり、迅も凛と同じように目を細める。
迅には斎藤凛を「視て」報告するよう通達が届いていた。そんな凛に初めて食事を持っていた時、はじめましてと笑う凛を見てその張り付いた笑顔に内心警戒し、そして彼女を通して視えたいくつかの未来にどうしたものかと心の中で呟いた。

今回の遠征では怪我人は出ないものの、常に太刀川や風間の戦っている姿が視えたため気をつけるよう念を押してはいたのだが、それとは別に迅にはまだ視えない何かがあることも確定していた。それは太刀川が特に関係しているように思えたが、迅は姿を見たことのある相手の未来しか予知出来ず、太刀川が誰と何が起こるのかまでは未確定であった。
それでも遠征を了承したのは太刀川が元気に遠征艇から降りてくる未来が確定していたからであり、それに関しては間違いなかったようだ。

あまり大勢で囲むのもどうかという結論に至り、玉狛支部所属である林藤と迅は行方不明者の聞き取り、という名の尋問には参加しなかったが城戸から事の流れは大体聞いた。
行方不明者はなんと太刀川の幼馴染みだという。だから太刀川の未来がよく分からないノイズだらけだったのかと迅は腑に落ちた。そして自分の生存を伏せる事と近界に戻ることを条件に出されたと聞き、城戸含め上層部はどうしたものかと頭を悩ませていた。

「凛、まだ近界に戻りたいって思ってる?」

凛の分岐のいくつかに凛の条件通り近界に帰らせる選択肢は確かにある。しかし迅はこれらの未来には反対であり、それは上層部にもやんわりと伝えてある。
簡単なことだ。近界に凛を返せばそう遠くない未来にこの目の前で笑う子は死ぬ。どの分岐でも近界に戻った時点でそれは確定してしまうのだから視えている迅としては寝覚めが悪く、上層部の人間としても折角救出した人間が、そしてまだこんなにも若く未来のある人間をみすみすと死なせるのは見過ごせなかった。
しかし、その分岐の可能性は日に日に減っている。ここにきて、彼女は運が良いと迅は思っていた。

「あ、別に尋問みたいなものをしたいわけじゃなくておれの興味本位なだけ。言いたくないなら何も言わなくて大丈夫だよ」
「うーん。なんかよく分からなくなってきちゃって」
「分からない?」

問いながらも迅はよしよし、と良い分岐に凛の心が向いていることに内心ほっとする。それでも悟られないよう、なるべく自然に誘導出来るよう凛の出方を伺うことにした。

「別に私、近界がすごく好きってわけじゃないんだよね。だからと言ってこっちの国がすごく好きってわけでもなくて。なんか…どこで生きていくのが正解なのか分からなくなっちゃった」

凛自身、どうすればいいのか分からないところまできているのだろう。良いことだと迅はますます期待を膨らませる。一番初めに会った時は近界に帰る未来への確率がかなり高かったため、もう一押しのところまで来ているのかもしれなかった。
でも、と凛は続ける。きっと凛にとってこの国に留まるかどうか悩む一番の原因はそれなのだろう。

「私、人殺しなんだよね。そんな私がこっちの国に留まるのも…でも近界でも人殺しは結局罪なんだよねぇ」

人殺しは言うまでもなく罪である。そしてそれは凛の言う通り、近界でも同じなのだろう。
それに関してはボーダーにも隠していることは山のようにある。城戸にも、迅にも、そして太刀川にも。しかしそれを言うのは迅の役目ではなかった。

「凛はどっちがいいんだ?この際人を殺したとかは置いておいて、どっちでこれから先を生きたい?」
「うーん……」

論点をずらすように結論を急かせば凛は目を瞑って眉を顰める。
背中を押すなら今だろうと、迅は切り札を口にした。

「じゃあ、おれから助言。凛、こっちで生きたほうがいいよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる」
「サイドエフェクト?迅くん、なにかもってるの?」
「うん。おれにはね、目の前の人の未来が視えるんだ…って言ったら驚く?」

迅の告白に凛は目をぱちくりとさせる。
未来予知のサイドエフェクト。この存在を開示した時、大抵の人間が驚く。中には嬉々として迫る者。中には異物を見る様に避ける者。反応は人によって様々ではあるが、ボーダーという組織にサイドエフェクトとして認知されるようになってからは幾分かマシになった。
凛にサイドエフェクトのことをバラす未来は視えていたし、反応は嬉々としたものであることは分かっていたが内容までは分からなかった。近界で色々なものを見てきた彼女は自分のサイドエフェクトをどう評するのか。迅は少し興味があったのだ。

「へぇ~また珍しいサイドエフェクトを持ってるんだね。じゃあさ」
「うん?」
「明日の天気とかも分かるの?」

凛の言葉に今度は迅のほうが目をぱちくりとして、数秒の間の後、ふはっと笑いをこぼした。

「ははっ、それ、初めの頃に太刀川さんにも言われたよ」

凛の幼馴染みであり、迅のライバルでもある太刀川慶。
迅は太刀川に最初の頃はサイドエフェクトのことを隠していた。そんな狡い能力を持ってる奴と戦いたくないと言われたら嫌だったからだ。もちろん、太刀川にサイドエフェクトを伝えた時の反応は視えていたし、どのように伝えようともその後もランク戦を続ける未来は視えていたのだが、思春期真っ只中であった迅は自分がズルをしているような気もして、それを咎められるのも嫌で暫くはどうしても伝える気になれなかったのだ。
しかし、言わなければ言わないで迅の中で太刀川のことを騙しているような罪悪感にも襲われ、意を決してサイドエフェクトのことをバラせばふーん、と。太刀川はあまり興味なさげに首を傾げた後、じゃあおまえ、明日の天気わかる?傘いんの?と。凛と同じようなことを言って、それからも何も変わらず迅に接してくれたのだ。

出水からあの二人似てますよ、流石幼馴染み。とは聞いていたけれどなるほど確かに、と迅は納得する。

「おれから言うのも何だけど、もっと聞きたいこととかないの?」
「聞きたいこと?」
「おれのサイドエフェクトのことを知ると結構自分の未来を聞きたがる人が多いんだよ。凛はそういうのないのかなって」
「ああ、ないかな。私、未来に興味ないから」



未来に思いを馳せることなんてとっくの昔にやめてしまった。明日こそは、明後日こそは。毎日そんな未来に思いを馳せて、そんな未来を思い描くことが辛くなって、そして未来を夢見ることが馬鹿らしくなった。
そんな遠いことを考えるよりも今を、今日を生き延びなければならなかったのだ。凛にとって、迅のサイドエフェクトは珍しいものではあったが、どうでもいいものでもあった。精々気になるのは先程聞いた天気くらいである。
そんな凛の言葉に迅は目を丸くして、可笑しそうに吹き出す。

「あっはは!そんなこと言われたのは流石に初めてだ。興味ないか、そっかぁ~」
「悪い意味じゃないよ?私が興味ないってだけ」
「おれのサイドエフェクトのこと聞いてこんなに興味持たれなかったのは初めてだよ。面白いね凛」
「へぇ~あ、でも確かに迅くん。人身売買にかけられたら良い値段がつきそうだね。気をつけなきゃ駄目だよ」

凛の割と真剣な意見に迅はまたしてもぶはっ!と吹き出してなんなら目尻に涙を浮かべて笑っている。全く。笑い事ではないと言うのに。

凛が辿ってきた近界では人身売買は当然のように行われていた。凛も売られた一人である。そして高値がつくのは若さや美醜の差もあったが、サイドエフェクトを持つことが割れている人間にはかなりの額がついていたことを知っている。
迅の未来を視るというサイドエフェクトは凛にとってはどうでもいいものであったが、かなり希少なものであることはまず間違いない。迅は良い人だからあんな目には遭ってほしくないため気をつけてほしいと伝えたつもりだったが迅はそんな凛の言葉に楽しそうに笑う。よく分からないけれど、迅が楽しそうならまあいいかと迅に釣られて笑えば、迅は本当に優しい目線を凛に向ける。

「そっか。覚えておくよ、ありがとな。お礼にもう一つ教えてあげる。明日、たぶん怒られるよ」
「え?なにそれ、誰に?」
「さーて、誰だろうね。でもおれのサイドエフェクトがそう言ってる。ほぼ確定だ」

頑張ってね。と他人事のように。いや、言葉通り他人事なのだろう。そう言う迅に凛は特に彼のサイドエフェクトを疑うこともなく、怒られるのは嫌だなぁ、鬼怒田さんかな。と溢せば迅はやはり楽しそうに笑うのだった。






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