募る想い


あの日から少し不思議なことが起こるようになった。それは良くも悪くもあることで、悪いことはあの日凛のことを尾けて来た男が駅で待ち伏せている日が増えたことだ。気のせいだと思って目を合わせないようにしても男は凛の後を尾けてくる。
流石に学んだ凛は駅近くのファーストフード店やコンビニで時間を潰すのだが男は凛を待つように駅から移動することはない。まずいなぁ、と思えば何故かいつも迅が凛の元へ現れた。これが良いことである。

迅とは連絡先を交換しておらず、待ち合わせをしているというわけでもないのに何故か、本当にたまたま凛が時間を潰している店に迅は現れるのだ。
ある日はファーストフード店で夜ご飯を食べていた凛に後から店に入ってきた迅が声をかけ、一緒に食事をした後に送ってもらい。ある日は逃げ込んだコンビニに迅がいたため一緒に帰路に着くことになった。
毎回送ってもらうのは悪いよ、と言えばおれの仕事が凛の家の方面だから。と言われ本当かどうかは分からないがこちらの罪悪感を軽くしようとしてくれる気遣いも嬉しかった。

今日も駅にあの男の姿を見つけ、凛はそれと同時に迅の姿も探してしまった。迅がいつもいるとは限らないのに。そうは思ったものの、辺りをキョロキョロと見渡せばやはり迅は凛の前に姿を現した。不思議だ。迅は買い物袋を持っていて、夜ご飯の買い出しに来てたんだよね。と笑う。凛は男のことは敢えて言わず、今日も一緒に帰りたいな。と言えば迅は断ることなくそれを承諾してくれた。
しかし今日はいつもとは違った。男は凛が迅と合流すれば諦めたように姿を消していたというのに、今日はずっと後を尾けてくるのだ。気まずい。迅も気付いているだろうに、男の存在には全く触れずいつものように他愛のない話を投げかけてくる。その気遣いは有り難かったが、やはりどこか居心地が悪く、凛は迅に申し訳なく謝罪をしようと口を開いた。

「迅、あの、」
「なあ、今日凛の家で時間潰してもいい?」

そしてそんな提案を投げかけられた。凛が迅を拒む理由はなくいいよ。と即答すれば迅はサンキュー、と嬉しそうに笑う。でも、このままだと男に家の場所がバレてしまうと思ったが、それもきっと時間の問題だと思い凛は諦めて迅と、そして男と共に家まで歩くことにした。

結局男に尾けられたまま凛の住むアパートに着き、迅を後ろに家の鍵を開ける。カチャ、と鍵が開きドアを開けると凛。と後ろから迅の優しい声が聞こえたため振り返ると信じられないほど近くに迅の顔が迫っていた。

(え、)

そのまま家の中に雪崩れ込むように押し込まれ、迅は凛を覆い被さるように組み敷く。何がどうなったのかはよく分からず、心臓の音がうるさいことだけが分かる。迅の綺麗な青い目に吸い込まれるような錯覚に陥っていると、迅はふぅ。と少し息を吐いて凛の上から立ち上がり、開けっぱなしであった家の鍵を閉め、凛に振り返ると小声でごめんな。と言った。

「これであいつ、多分諦めてくれると思うんだけど」
「え、あ、あいつ?」
「うん。今日も尾けられてたでしょ。今のを見て勝手に勘違いして諦めると思うよ」

でも急だったよな、ごめん。と迅は再度謝ってくれる。その言葉を理解した凛は顔が爆発してしまうのではないかというほど熱くなったのを感じた。
凛はあの瞬間、男のことなんて全て忘れてしまうほどの衝撃に襲われた。正直に言えば迅にキスをされるのかと思ったし、もしかしたらそれ以上のことをされるのかもしれないと思ってしまったのだ。
しかし迅はただ、あの男に諦めてもらうために凛と顔を近付け凛を組み敷いた。それだけだったというのに盛大な勘違いをしてしまったのが死ぬほど恥ずかしい。それと同時に、迅にならいいや。と思った自分の気持ちに気付いてしまった。

「これ、一緒に食べよ。お惣菜なんだけど」

夜ご飯まだでしょ?と迅は未だに立ち上がれない凛に手を差し出す。凛はその手をおずおずと握り立ち上がるものの、顔は熱いままであった。





迅はやっぱり迅のままだった。意識しているのは自分だけ。今の状況が凛は嬉しくも切なかった。
迅の仕事は前と同じく二十二時かららしい。それまでこのままお邪魔してても良い?と聞かれたので凛はもちろん。と返した。迅はあの男から凛を守ってくれたのだからこんなのお礼のうちにも入らないと思ったのだ。
凛は間違いなく迅を男として意識していたが、迅は凛のことをそういう風には見ていない。だからこそ家にも入ることが出来たし、組み敷くことも出来たのだ。貞操の危機はないものの、女として見られていないと突きつけられるのはまあまあ応えるものではあった。
しかし、そういうものを抜きにすれば迅と過ごす時間は思いのほか居心地が良かった。元々迅と過ごす時間が好きだった凛はこの関係はこの関係のままでもいいのかもしれないと考える。迅とはいずれ、親友のような存在になれれば嬉しいと勝手に思い、仕事の時間だからと帰り支度を済ませた迅を見送るために玄関まで足を運んである願望を口にする。

「迅、今日は本当にありがとう。楽しかったよ!また来てね」

その言葉に迅は少しだけ沈黙し、青い目を寂しげに細めた。

「いや、もう来ないよ」
「え、なんで…」
「いやいや。今回は仕方なかったけど。普通一人暮らしの女の家に男を上がらせちゃ駄目だからな」

気をつけてね。と迅は玄関のドアの鍵を開ける。もう来ない。その言葉は凛に思った以上の衝撃を与え、凛は無意識に迅の腕を掴んでいた。

「! 凛、それは言わないで」
「それって、」
「いいから。手、離して。な?」

迅は何かを悟ったのかそんなことを言ってくる。言わないでって。そんなことを言われればこっちだって意地にもなる。
返事は分かりきっているものの、凛は迅がおそらく言ってほしくない言葉を口にする。

「迅。私、迅のこと好きになっちゃった。つ、付き合いませんか!?」

凛の一世一代の告白である。学生時代の頃の記憶がないためよく分からないが、凛の残っている記憶の中では初めての告白だ。迅が言わないで。と釘を刺したため、勢いで口にしてしまったが自分は結構とんでもない行動をしたのではないのだろうか。そう自覚すると一気に顔に熱は溜まり、カタカタと迅を掴んでいる手が震えてしまう。
恐る恐る迅の顔を盗み見ると、迅はその青い目が溢れてしまうほど大きく目を見開き、見たことのないような悲しい表情を浮かべる。見たことがないはずなのに、何故かその表情は懐かしさを抱かせた。

「………………………ごめん」

それは聞くまでもない返事だった。
分かっている。迅は凛のことを何とも思っていないことは十分伝わっていた。しかし実際拒絶されると結構悲しいものだと凛は笑うことが出来なかった。掴んでいた迅の腕を離せば、自分と迅との関係も離れてしまったような錯覚に陥り、よく分からない喪失感に吐き気すら催してしまう。

「おれ、好きな子いるから」

その言葉に凛は再度衝撃を受ける。
迅は好きな子がいたというのに、凛の身を案じて好きでもない女を家まで送ったり、それこそ男を欺くために家に上がりまでしたのだ。それを好きな子に見られたら勘違いされてしまうかもしれないのに。迅は優しい。優しすぎるんだ、きっと。そんな彼にこれ以上迷惑はかけられない。

「わ、私こそごめん…気にしないで、ほんと!」

無理矢理笑えば、自分の意思に反してぽろ、と涙が溢れた。あ、まずい。そうは思うものの、何故か信じられないほどの喪失感が抑えられず凛はぼろぼろと流れる涙を止めることが出来なかった。
まずい。重い。振られたからといって本人を前にこんなにもぼろぼろと泣いたら変に気を使わせてしまうだろう。

「……凛…おれ……」
「っ、ご、ごめ!すぐ、と、止まるから……お仕事、ぅ、がんばって、ね」

ばいばい。と涙を止めることは出来なかったがなんとか笑顔で迅に手を振る。迅はひどく悲しそうな顔をして、何かを言いたそうにして、結局それを飲み込んでばいばい。と凛と同じ言葉を口にして家を後にした。
カチャ、と鍵を閉めそのまま扉越しにずるずると座り込んで凛は泣いた。そもそも、どうしてこんなにも悲しいのか凛には分からなかった。
ついさっき気持ちを自覚したというのに。迅と出会ってからそんなに経っていないというのに自分はそんなにも迅に惚れ込んでいたのだろうか。まるで、長年の思いに終わりを告げられたような悲しさに胸が張り裂けそうなほど悲しかったのだ。

「……好きな子、いたんかーい…」

ははっ、と乾いた笑いが漏れてしまう。
好きな子がいたというのに、好きでもない女にこんなに優しくしていたらこれからも惚れられてしまうぞ。最後にそう言ってやれば良かったと笑い、凛は一晩中泣き晴らすのだった。





凛の家を後にして迅は目的の男の元へと足を向ける。気分は最悪だが、八つ当たりするつもりはない。そう、これから起こることは八つ当たりではなく迅が選んだのだ。
男はそんなに遠くにはおらず、迅か凛が家から出てくるのを待っていたのだろう。手にはナイフが握られている。それに迅は乾いた笑いを漏らし、まるで世間話でもするかのように男に声をかけた。

「まだ待ってたの?ご苦労さま」

虚な目をしていた男は迅の言葉で覚醒したかのように顔を上げ、凄まじい形相でナイフを向けてくる。無駄なのにな。

「てめぇ!あの子のなんなんだよ!あ、あんな、襲うようなことして!」
「ははっ、それあんたが言う?おれがいなければあんたが同じことしようとしてたくせに」

迅の言葉に男がうっ、と言い淀む。
視えてたよ、全部。

迅は一度見た人物の未来を視ることが出来る。更に言えば目の前にした相手の未来はよりよく視えてしまう。それは凛であり、凛に付き纏っていた男にも適応されることであった。
迅に尽く邪魔をされた男は痺れを切らし、今日はナイフで脅して迅がそうしたように凛を襲うつもりだったのだ。もちろん今の凛に抗う術はなく、最悪の未来が迅には視えた。ふざけるなよ。どんな思いで人が手放したと思っているのか。

男をどうするか迅はずっと悩んでいた。諦めてくれるのならばそれが一番いいがこの男は厄介であり、勝手に想いを募らせてはそれを恨みに転換するタイプであったのだ。

「俺はお前とは違う!そんなこと!」
「ああ、嘘吐いても無駄だよ。おれにはあんたの未来が視えるんだ。まあ、おれが阻止しちゃったけどね」
「はぁ!?お前、頭イカれてんじゃねえのか!?」
「そうかもね。でも別にいいよ。おれはおれの好きな子が守れれば頭がイカれてても嘘を吐くことも、なんでもするさ」

迅は笑いながらナイフを向けている男へと怯えることもなく近付いていく。男はそんな迅を不気味に思い、しかし引き下がれないのかナイフを向けたまま何かを怒鳴っていた。ナイフが迅の胸に刺さるか刺さらないかの位置で足を止めると、迅は感情の無い目で男を見据えた。ひっ、と男が怯むのが分かる。

「最終確認なんだけど、あの子を尾け回すの辞める気はない?」
「尾け回してなんてねえよ!あの子は俺が見つけたんだ!俺のものだろう!?」
「ははっ、わかったわかった」

キンッ、と男の手からナイフが弾かれる。いつの間にか迅の手には光を放つ何かが握られており、それで男の手にあったナイフを弾いたのだ。
何が起こったのか分からない男はパニックになり、ナイフを拾いに行こうとするが光を放つ刃を迅に向けられその動きを止める。
迅は目を細め、優しげな声で己が下す決定を男に述べた。

「大丈夫だよ。あんたは今日のことは全部忘れるから」
「は?何言ってんだお前…」
「本当だよ。あんたはね、今日のこともおれのことも凛のことも全部忘れるんだ。巻き込まれた一般市民としてね」

迅は確かに優しげな声で話しているがその目は笑っていない。その異様な雰囲気を不気味に思い、男は逃げようとするが迅は男を逃すはずもなく思い切り鳩尾に蹴りを入れてその意識を奪った。

「大丈夫。おれ、上手だから。全部忘れさせてあげるよ」

ボーダーに巻き込まれた一般市民は機密保持のために記憶処理をされる。記憶処理はボーダー隊員に適応されることもある。
迅は知っている。迅は覚えている。迅は忘れない。

たとえ、自分が彼女の記憶から消えようとも。



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