不確かな未来


迅悠一には未来が視える。そういうサイドエフェクトを身に宿しているからだ。しかし全てが視える訳でもなければ、視る未来を自分で決めることも出来なかった。故に、迅は自ら視る未来を、そして重要になり得るであろう未来を選び、記憶し、対処しなければならない。常人であれば発狂してしまうような毎日を、しかし迅は狂わずに在らなければならなかった。
それは責任感からだろうか。それは救えなかった人々への贖罪だろうか。それは手放してしまった最愛の相手への懺悔だろうか。
迅自身、明確な理由は分からない。それでも、迅が狂わずにいられたのは周囲の人々の暖かさと、こんな自分の悩みを笑い飛ばしてくれた存在が確かにいたという事実だった。

「迅」

自分の名を呼ばれやれやれ、と振り返ればそこには大きな男──木崎レイジの姿があった。かなり可能性の低い未来だったはずだ。だから迅は敢えてその未来を無視したというのに、やはり未来というものは不確かだ。
人通りの少ない路地まで早足で移動すれば木崎は何も言わずに迅を追い、足を止めて壁に背を預ければ木崎も足を止めて腕を組んで仁王立ちで迅を見据える。迫力が凄いって、レイジさん。

「や、レイジさん。こんなところで奇遇だね」
「ああ」
「レイジさんがここに来る可能性は低かったんだけどね」
「そうだろうな。俺も来る予定はなかった」
「なんで来たの?」
「どうせ出かけるならと宇佐美に頼まれごとをされた。駅まで出てくるのはそんな手間でもないから引き受けただけだ」
「あぁ~…なるほど」

恐らく宇佐美も思いつきで木崎に頼み事をしたのだろう。イレギュラーにイレギュラーを重ねられては流石の迅も読み逃す。やられたな、と呟いたきり迅は口を閉ざしてしまう。
木崎は元々お喋りな男ではない。迅と木崎の組み合わせなら、よく喋るのは迅のほうである。しかしその迅が口を閉ざしてしまった今、尋ねたいことがあるのなら自らが問うべきだと思い、木崎は口を開いた。

「迅、あいつは──」
「レイジさん、見逃してくれない?」

木崎が言葉を言い切る前に迅は言葉を被せた。見逃せと。何も聞かないでほしいと迅の目は雄弁に語っている。
正直なことを言えば迅には聞きたいことがあった。しかし迅がそれを嫌がっているのなら無理強いするつもりはない。ただでさえ人より多くのことを考えている迅に更に負荷をかけるようなことを木崎は望んでいなかった。

「別に俺はお前を追い詰めようと思ってるわけじゃない。あいつのことを誰かに報告するつもりも一切ない」
「それは助かるなぁ」
「ただ。友人として聞かせてくれ。あいつは、斎藤凛で間違いないのか?」

木崎は先程迅と一緒にいた女に見覚えがあった。いや、ありすぎた。そんなことがあるのかと。しかも迅と一緒にいたのだ。
上に報告をしようだとか、彼女のことを調べようだとか。到底迅が嫌がりそうなことは微塵にも考えていなかったが、木崎は純粋に気になったことを口にすると迅は眉を下げて木崎の言葉を肯定する。

「そうだよ」
「……そうか。だが、あいつは」
「彼女の名前は斎藤凛だよ。おれと会ったのも今日が二回目」

迅の言葉に木崎は納得する。そうか、と返せば迅はうん、そう。と寂しげに笑う。
不器用な男だと思った。迅悠一という男はなんでも卒なくこなすように見えて、実はそんなことはない。取り繕うのが上手い、不器用なただの友人である。
人より多くのものが視えてしまうせいで迅は人より何かを諦めることが早い。勝手に一人で結論付けるのだ。それは確かに多くの人間にとって良い未来に転ぶことが多かったが、迅自身にとってはどうなのだろう。少なくとも、そんな顔をするくらいならこの未来は選ぶべきではなかったと木崎は思うが、それは迅の覚悟を踏み躙ることになる。
だから不器用だというのだ、この男は。

「うっ、わ!」

ぐしゃぐしゃと少し頭を乱暴に撫でれば迅は驚いたような声を出す。仮に視えていようと突然の衝撃には声も漏れるだろう。ちょっとレイジさん、髪の毛ぐしゃぐしゃなんだけど。と呆れたように笑う迅に木崎も笑みを溢す。

「俺に何か出来ることがあればなんでも言え。出来る限りのことはする」
「ははっ、頼もしいなぁ。ありがとねレイジさん」

感謝はするくせにギリギリのところまでこなければ迅は人を頼らない。ボーダーの危機が迫れば遠慮なく頼るくせに迅個人として誰かを頼ることは殆どない。
否、以前は迅にも個人的に甘えられる存在がいたのを木崎は知っている。それは彼の唯一の母親であり、それは彼の唯一の師匠であり、そして彼の唯一の──

「じゃあおれ行くよ」
「…ああ。呼び止めて悪かった」
「いやいや。…ありがとね、レイジさん」

これ以上聞かないでくれて。口にはしなかったが迅がそう考えていることはレイジには分かってしまった。長い付き合いなのだ。迅がどういう人間かは分かっている。存外、木崎にとって彼は分かりやすい人間なのだから。
迅は一度も振り返ることなくこの場を後にした。木崎も宇佐美から頼まれた買い物を済ませ、玉狛へと戻ることにした。買い物の最中、迅と一緒にいた女の姿を見つけたが、木崎が彼女に声をかけることはなかった。





木崎は察したうえであれ以上迅に彼女のことを聞くことはなかった。相変わらず出来た人間だと思う。見られたのが木崎だったのは不幸中の幸いではあるが、彼女の存在が他の誰かにバレてしまうのは時間の問題かもしれないと迅は溜息を吐く。
ボーダー隊員にとってもあの駅は最寄りの駅なのだ。偶然出会ってしまうことは、まあ、あるだろう。一応、まだ誰かが彼女と対面する未来は一度も視えていないためすぐにバレるということはないと思うが、今日の木崎のようなパターンもあるため慢心は出来ない。

玉狛に戻る気にもなれなかった迅はトリオン体に換装して夜の街へと出向くことにした。一般市民を視ることで得られる情報もあるため、このように暗躍することは多い。が、ボーダーに関係のない嫌な未来を視てしまうことも多いため、この行動は精神的に余裕がある時か、ボーダーに危機が迫っている時以外はあまり行わないようにしていた。疲れるし。
今日はそのどちらでもなく、ただなんとなく。玉狛に戻りたくなかったからブラブラと街を歩いていたのだ。その足はやがて駅から離れ、人通りの少ない道へと向く。彼女が言っていた通り、駅から離れ、警戒区域に近付くほど人気はなくなっていく。
なんだってこんな物騒なところに住んでいるというのか。…確かに。家賃は三門市にしてはあり得ないほど安かったけど。
違う、そうではない。何故彼女がこの街に戻ってきたのか迅には分からなかった。断腸の思いでその未来を選んだ時、こんな未来は一切視えなかったというのに。

コツッ、と迅のブーツの音が止まる。そんなつもりはなかったのだが、いつの間にか彼女──凛 の住むアパートの前へと到着してしまったのだ。

(…いやいや、流石に気持ち悪すぎだろ)

これではまるでストーカーだ。自分の無意識の行動にドン引きし、そのまま警戒区域内へと入ってしまおうとするとパチッといくつかの未来が視えた。それは見逃せるものではなく、しかしこれ以上自分が凛に関わっていいものかと迅は頭を悩ませる。

「…だからこんなとこに住むのはやめたほうがいいって言ったのに」

はぁ、と迅は大きな溜息を吐く。見逃せない。ボーダーには全く関係のない未来だというのに迅はどうしてもその未来を見逃すことが出来なかった。
私情でサイドエフェクトを使うことを迅は嫌う。この力は人のために使うものであって、迅のために使うものではないと思っているからだ。だというのに、彼女と再会したことによりまたしても私情でサイドエフェクトを使っていることに迅は自己嫌悪に陥る。

「……ほんと、なんで。こうなるかなぁ…」

凛と犬を連れた少女を助けたあの日。迅にはあの未来が朝から視えていた。そして信じられなかった。少女の姿はモヤがかかって視えなかったが、もう一人の女の姿ははっきりと視えたからだ。そして、その女はここにいるはずのない相手だった。
嘘だろ。そう願って現着した迅の目に入ったのは少女を抱き込んで守ろうとしている女の姿。迅は迷うことなくトリオン兵を真っ二つにした。嫌な記憶が脳裏を過り、軽く吐き気を催したが何とか堪え、女と少女の元へと足を運べば女は怪訝そうな表情を向けてきた。

「…………おまえ、な、んで…」
「え?」

それは凛の声だった。忘れるはずがない。否、忘れようと思っても忘れることが出来なかっただけなのだが。

迅の姿を捉えた凛は頭を押さえ、苦しそうな声を上げて気を失ってしまった。少女は狼狽えていたが迅には凛が頭を押さえた理由に思い当たる節があった。大丈夫だよ。少女を落ち着かせ、空き家になった家のベッドに凛を寝かせ、自分の着ていた上着を被せると、少女を警戒区域外の駅の交番まで送り届けた。
本来なら警戒区域内に侵入した一般市民は機密保持のために記憶処理をしなければならない。しかし、記憶処理は脳に負担がかかる。こんな幼い少女に行うのは躊躇われ、迅は今日のことは秘密だよ。と小指を差し出せば少女は秘密ね!とその小指に自分の小指を絡めた。大丈夫。ここで少女を見逃しても未来に支障はない。秘密、なんて約束させておいてサイドエフェクトで確認をしている自分に苦笑しながら、迅は少女を見送って女を寝かせた空き家へと戻った。
少女と違い、この女は間違いなく記憶処理の対象になることを迅は分かっていた。分かっていたから本部には特に変わりなし、とトリオン兵を倒した後に報告していた。記憶処理は脳に負荷がかかるから。

「迅、また会えるかな?」

目を覚ました女と話をして、深夜に一人で帰らせるのは危ないと言って家まで送り届けた。迅のサイドエフェクトにより彼女が何事もなく家に辿り着ける未来は視えていたのだが、それでも迅は送ると申し出たのだ。
そんな迅の気持ちなど微塵にも察してない女がそんなことを問いかけてくる。勘弁してほしい。迅はそれこそ、もう二度とこの女に会うつもりはなかったというのに。

「さあ、どうだろう。またおれに会いたいの?」
「え?うん。会えたら今度はご飯にでも行こうね!」

凛の返事にやられた、と迅は肩を落とした。忘れていた。いや、忘れようと記憶の隅に追いやっていたのに。
凛は確かにこういうやつだった。遠回しな言い方なんて知らない、真っ直ぐで素直なやつ。迅がいくらはぐらかそうとしても、誤魔化そうとしても、いつも捕まってしまう。どれだけ未来を先読みしても、凛に本当の意味で敵うことなどなかったというのに。

──迅の目、凄く綺麗だよね。青い目なんて珍しいね。私青って好きなんだ。空とか海とか、それこそ宝石……

「……凛は、凛のままなんだな…」

がしがしと乱暴に頭を掻いて目を瞑り、迅はいくつかの未来を繋ぎ合わせる。最優先はボーダーだ。それは変わらない。
……そのほんの隙間時間に、少しだけ私情で動いてしまうことを許してほしい。誰に詫びるわけでもなく、迅は自分の意志の弱さに何度も溜息を吐くのだった。



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