痛みが訴える


彼が自分の目が嫌いだよ、と教えてくれた時、勿体無いと口にした。

そんな綺麗な目なのに。おれはね、この目がなければってずっと思ってるんだ。そんなに嫌いなの?だから嫌いだってば。でも私はその目、好きなんだよね。空みたいだし海みたいだし、宝石みたい。随分ロマンチックなこと言うね。詩人になれるかな。ふはっ、無理だよ。だっておれのサ──



「……う、……痛っ」

まだ痛む頭を押さえながらゆっくりと上体を起こす。すると肩から何かが落ちた。服だ。けれど凛はこんな服着ていなかったはずだ。と、辺りを見渡せば暗く自分の家ではないことが分かる。
ベッドの上に寝かされていたようだが、少し埃っぽい。けほっ、と咳き込むのと同時に扉が開き青い目をした男が部屋へと入ってきた。

「…目が覚めた?」
「…あ、あの時の…いたたっ」

どうやら絶不調らしく痛む頭に手を当てて深呼吸を繰り返す。ここまで頭痛が長引くのは珍しい。いつもなら眠ってしまえば大体リセットされるというのに。
しかしいつまでも命の恩人を待たすわけにもいかず、凛は痛む頭を無視して立ち上がり、目の前の男に頭を下げる。

「助けてくれてありがとうございます。あの女の子達は…?」
「あの子達は家に帰したよ。あんたが眠ってる間におれが送った」
「わ、何から何まで本当にありがとう、ございます」

そう言って再び頭を下げると男はどういたしまして。と幾分柔らかい声色で言って凛にかかっていた服を手に取るとそれを羽織った。どうやらこの人が服をかけてくれたらしい。男の顔を見ると、男は思ったよりも若かった。自分と同じくらいか歳下に見える。それなのにあんな大きな怪物を真っ二つに出来るなんて凄いな、と感心してしまう。
きっとこの人はボーダー、というやつだろう。CMで見た赤い服を着たアイドルのような男の人に似てる気もするが、あまりちゃんとは覚えていないため断言は出来ない。ただ、目の前の男は随分と綺麗な目をしているなと見つめればふい、と顔を逸らされてしまう。やば、見過ぎたかも。

「で。…なんでここにいるの?」

男の言葉に凛はうっ、と言葉を詰まらせる。ここがどこかは分からないが、先程まで凛は確かに警戒区域内にいた。
三門市に引っ越してきた時、一般市民は警戒区域内には緊急時以外は決して入ってはならないと説明されたのにそれを破ってしまったのだ。…逮捕とか、ないよね?

「えっと。犬を追いかけて」
「犬を追いかけてここまで来たの?」
「まあ、はい」

嘘のように聞こえるかもしれないが本当である。凛は少女と犬を見つけたらすぐに警戒区域内から出て行こうと思っていた。凛の住むアパートは警戒区域のすぐ側であり、ほぼ毎日のように先程の地鳴りや大きな音が聞こえてくることは知っていたから。
けれどまさか、自分達が警戒区域内に秘密で忍び込んだ時に怪物も現れなくてもいいのに、と理不尽にも怪物に八つ当たりしてしまいたい気分だ。

凛の言葉に男ははぁ、と重めの溜息を吐く。まずいまずい。

「あの、逮捕とか、ないですね…?」
「逮捕?」
「そのー…不法侵入罪的な」

凛の言葉に男は目を丸くした後、ふはっと笑う。あどけなさを残す笑顔は男に向ける言葉ではないが可愛らしい。ズキリ、と少し頭が痛んだが凛はその痛みを無視して男の言葉を待っていると、男は笑いながら答える。

「ははっ、ないよ。おれ警察じゃないし」
「ほんと?良かった~」
「…ま、ほんとはもっと荒療治に出るんだけどね」
「え?」

あんたには関係ない話だよ。と男は含みを持った笑顔で言う。綺麗な青い目を細めて。
どうしてもこの男のその目に惹かれてしまう。どこか懐かしさを感じるのだ。もしかして自分はこの男と知り合いだったのではないのだろうか、なんて。少し思い出そうとしてみると──

「あ、痛たたた!」
「え。なに、どこか打った?」
「いえ、…好奇心ゆえに、身を焦がすと言うか…」
「…ぷ、侍か何かなの?」

面白いね。と男は楽しそうに笑う。
どうしても懐かしさを覚えるものの、思い出そうとしたらこの有様だ。というか、もしこの男と凛が知り合いならば向こうから何かアクションがあるのではないのだろうか。久し振り、とか。元気だった?とか。そういうものが一切ないということはこの男はただ単に凛の知り合いと他人の空似なのかもしれない。
さっきも思ったが、この男はCMに出ていた赤い服を着た男にも似ているのだ。本人かもしれないが。世の中には似てる人間など山ほどいるし彼もその一人なのだろう。そう結論付けると頭痛は引いていった。

「……確認なんだけどさ」
「は、はい」
「はじめまして、だよね?」

男の言葉に凛は数回瞬きをする。気まずそうな表情を浮かべて、男はこちらの様子を伺っている。凛は深く考えず、思ったことをそのまま口にしてしまった。

「え、ナンパ?古くないそれ…?」
「……違います~。お侍さんをナンパする趣味はないんでね」
「むっ。侍じゃないっての。私、斎藤凛っていいます。ねえ、あなたこそ私とはじめましてなの?」

凛の言葉に男は青い目を少し大きく開いて、ほんの少しの沈黙の後、その目を細めて口を開いた。

「どういう意味?」
「私、ここ数年の記憶がなくて。記憶喪失ってやつなんです。もしかしたら、知り合いでした?」

そうならごめんなさい、と凛は素直に謝る。もし目の前の男が凛と知り合いだったとしても凛はこの男のことを覚えていない。文字通り凛にとってこの男とははじめましてなのだ。もしも知り合いだとしたら失礼なんてものじゃない。だから忘れてしまってごめんと先に謝ったのだ。
凛の言葉に青い目の男が切な気に微笑む。ズキリッ、と頭ではなく胸が痛んだのは初めてだった。

「はじめまして。おれは迅。今回は見逃すけど次はないからね」
「迅……」

声に出すと、その名前は驚くほどしっくりきた。
懐かしい。好きな響きだ。だけどそれだけだった。昔読んだ漫画にジン、というキャラクターがいたのかもしれない。だって。凛はやはり目の前の男のことを知らないのだから。
途端、頭を殴られたような痛みが走る。突然の痛みに頭を押さえると迅が心配そうに凛の近くに歩み寄る。

「痛った……」
「やっぱりどこか怪我したのか?」
「あ、ううん。これは持病みたいなもんで…何か思い出そうとすると頭が痛むんです」

だから気にしなくて大丈夫ですよ、と凛が笑うと迅は悲しそうにわかった。と頬を緩めた。心配させてしまっているみたいだ。初めて会った相手だというのに、随分優しい人だと思った。
そんな優しい人にこれ以上迷惑をかけるのもと思い、凛は迅と距離を置いて再び頭を下げた。

「今日は本当にありがとうございました。これからは気をつけます。じゃ、私帰りますね」

そう言って部屋から出ようとするとねぇ、と声をかけられる。

「もう深夜だよ。女の子が一人で出歩いてたら危ないって」
「え?大丈夫ですよ。私の家、あまり人寄り付かないんで」
「なにそれ。余計危ないじゃん。…はぁ。送ってくよ」
「え、大丈夫ですってば」
「あと、敬語使わなくていいよ。おれのほうが歳下だから」

ほら行くよ。と迅は凛よりも先に部屋を出てしまう。見た目に反して強引な男だ。けれど嫌ではない。今日は珍しく頭ではなく胸の辺りがジクジクと痛む。なんだろう。胸焼けのような、気持ちの悪い感覚に凛は首を傾げる。
ふと。迅の言葉に疑問を抱いた。彼の後を追って、追いついた凛はその疑問を口にする。

「なんで歳下だってわかるの?」
「…そりゃ、見ればわかるよ」
「え、私そんなに老けてる!?」

迅の言葉に凛はなかなかの衝撃を受ける。そりゃあ二十歳は越えたし仕事だってしている。もう学生には見えないだろうという自覚はあるが、彼から見てもそんなに歳上に見えるのだろうか。
……いやまあ。見えるなら仕方ない。…もう少しスキンケアを真剣にやるべきかな。むむむ、と眉を顰めているとぶはっ、と迅が吹き出す。

「気にしなくていいのに」
「気にするよ…これでも一応女だからね…」
「ごめんって。凛が寝てる間に身分を確認したんだよ。それで分かったの」
「えっ、そうだったんだ」

なら一安心かな。と言えば迅は優しく笑う。その青い目に凛はどうしても釘付けになってしまう。
じ、と見つめれば迅はバツが悪そうに顔を逸らしてなに。とこちらを見ずに尋ねて来た。

「迅の目、凄く綺麗だよね。青い目なんて珍しいね」
「………おれの目?」
「うん。私青って好きなんだ。空とか海とか、それこそ宝石……ッ、」

突然激しい頭痛に襲われ、よろめいた凛を迅が支えてくれた。こんなに頻繁に頭痛が起こることなんて今までなかったのに。今日は本当に調子が悪いようだ。
ズキンズキンッと断続的に続く痛みに合わせて浅く呼吸を繰り返す。ぽんぽん、と優しく背中を叩く手が優しくて、ぽろ、と涙が一つ溢れた。えっ。

「あ、なんで……、ご、ごめん。もう大丈夫」
「……ごめんな」
「え?」

迷惑かけたのはこちらだというのに、何故迅が謝るのだろうか。呼吸が整い、頭痛も和らいだ凛が迅になんで謝ったの?と問えば迅は微笑むだけで何も答えてくれなかった。変なの。
その後は頭痛が起こることもなく、凛と迅は並んで凛の住むアパートへと向かった。迅とはついさっき知り合ったばかりだというのに妙に話しやすかった。ボーダーの話を聞こうかとも思ったけれど、今日の調子ではまたいつ頭痛に襲われるか分かったものではなかったため、本当に他愛のない話をした。私は犬より猫派なんだよね、とか。明日の仕事起きれるかなぁ、とか。その度に迅は適当な相槌を打った。ただそれだけなのに、凛は何故か満足だった。どうしてかは凛自身にも分からないが。





「…え、ここ?」
「うん。ありがとう迅、送ってくれて」
「……ここに住んでるの?」
「だからそうだって」

凛の住んでいるアパートは二階建てのものであり、作りは古い。オートロック、なんてものは勿論なく、鍵も一つ。女の一人暮らしにしてはあまりにもセキュリティの甘いアパートではないのだろうかと迅が苦い顔をすれば凛はなに。と詰め寄ってくる。

「…あのさ。これは善意からのアドバイスなんだけど、もう少しセキュリティの良いとこに引っ越したほうがいいよ。しかもここ、警戒区域すっごい近いし」
「あ、そう思う?でもねぇ、家賃がなんと……」
「うわ、安っ!」
「でしょ?今のところそんなに困ってないし暫くはここにお世話になるつもり」

じゃあ、ありがとね。と凛は笑って背を向ける。その背に手を伸ばしかけて、迅はそれを空で握り自分の元へと戻す。
最悪の気分のまま、ひとまず最悪の未来が視えないことに安堵なのか疲労なのか分からない溜息を吐いて踵を返せばあっ、とその背後から声が響いた。

「迅、また会えるかな?」

こちらの気持ちなどお構いなしに凛はそんなことを聞いてくる。凛の姿を視界に捉えた瞬間、いくつかの分岐が視えた。ああもう。本当に最悪だよ。

「さあ、どうだろう。またおれに会いたいの?」
「え?うん。会えたら今度はご飯にでも行こうね!」

奢るからさ。と凛は笑って今度こそじゃあおやすみ。と言って凛は自分の家へと帰って行った。
──やられた、と迅は肩を落とす。忘れていた。いや、忘れようと記憶の隅に追いやっていたのに。

凛が好きだと言った青い目には今日も多くの未来が写し出される。その中の一つを迅は信じることが出来なくて、結局その未来を避けることが出来なかった。
はぁ、と大きな溜息を吐いて迅は本部ではなく自らの所属する玉狛支部へと帰還することを選ぶ。本来なら警戒区域内に一般市民を見つけた場合、保護をして内容によっては然るべき措置を行うのが決まりがある。
しかし迅はその未来を選ばなかった。選べるはずがなかった。



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