宝石の誓い(終)

迅は自分の罪を告白した。
凛の記憶を勝手に消してしまったこと。それは凛のことを思ってのことではあったが、結局は迅の私情のため。そしてボーダーを円滑に機能させるための犠牲だったことを嘘偽りなく伝えた。
そんな身勝手な動機により凛は記憶を勝手に処理されてしまったのだ。許せることではないだろう。それこそ、ボーダーを、迅を訴えてもおかしくないほどのことをした自覚はある。
迅は凛を直視することが出来ずに俯けば懐かしい記憶が思い返された。

(ああ…そういえば、凛にはいつもこんなことばかりしてるな、おれ)

凛にサイドエフェクトのことを告白したあの日、迅は今と同じような気持ちに陥っていた。
自分の選んだ未来によってもしかしたら凛の両親を見殺しにしてしまったかもしれないと。そう告白した時、迅は逃げ出したいほど怖かったのを覚えている。凛に嫌われてしまうかもしれない。怒鳴られるかもしれないし、絶交されるかも。そんな緊張の中、凛は──

「ふっ、ふふ、」

そう。まるで今のように、信じられないことに凛は笑っ……、て…

「え?」
「えと、まってまって。ふふっ、」
「え、な、なんで、笑ってんの…?」

凛はやはり可笑しそうに、堪えられないとばかりに笑いを漏らす。迅には何が何だか分からない。面白い話をしたつもりはない。むしろ、罪を告白したのだから居心地は最悪だったというのに凛はこの場には似つかわしくない楽しげな雰囲気を醸し出す。本当に、あの時と。そう、迅が彼女に惚れたあの時と同じように。
そうだ。斎藤凛はこういうやつだった。いつも迅の予想の上をいく。どれだけ予知しようと、凛に驚かされることは多かった。いくら視ようと凛の紡ぎ出す言葉に、迅はどれだけ救われてきたことか──

「だって…私、全部忘れちゃったのに、また迅のこと好きになっちゃったんだね」

そう言って笑う凛の笑顔に迅は目を見開くしかなかった。





迅の話はあまりにも突拍子過ぎて正直なことを言えばちゃんと理解出来ていないというのが本音であった。それに迅は怒られたいのか知らないが、全部おれが悪い。と所々挟み込むのでタチが悪い。凛の記憶を消したのは確かに迅なのだろう。迅はボーダーを大切にしたかったから凛の記憶を消したのだと言う。その因果関係はよく分からないけれど、凛の記憶を消さなければいけない何かがあったのだろう。たぶん。
凛は迅が選んだ未来とやら通り、迅のこともボーダーのことも一切忘れてしまっていた。しかし結局凛は偶然CMでボーダーのことを目にして、三門市に戻り、そして迅に出会い、もう一度恋をした。それはなんともまあ。

「結局記憶があってもなくても、私はボーダーに興味を持つし、三門市に戻って来たし、迅に惚れるし。…未来ってどうなるか分からないね」

迅は未来が視えると凛に告白した。
それはすごい能力だとは思うけれど、結局未来というものに絶対はないのだということがよく分かった。だって。

「この未来は視えてた?」

凛の問いかけに唖然、としていた迅は目を細めて首を横に振る。

「…ううん。もう、凛には二度と会えないのが視えて、記憶を消したよ」
「あはは!会えたじゃん」

二度と会えないと分かっていたのに迅は凛の記憶を消した。消された凛からすれば迅のことは記憶にないのだから極度の喪失感に悩まされることはなかったが迅はそうもいかなかっただろう。
だからこそ。再会したあの日、迅は泣きそうな顔で凛のことを見つめていたのだと納得してしまった。

「…ねえ、凛。怒ってないの?おれ、凛の記憶を勝手に消したんだよ」

迅は凛が迅に対して怒らないことを不審がっているように見える。
それもそうだろう。勝手に人の記憶を消してしまったなんて告白をすれば怒られるのが当然だと思う。何より、迅はどこか罰せられたがっているようにも見える。しかし凛は迅を怒るつもりはなかった。というか。

「んー、だって迅のほうが辛そうだから。怒る気にもならないよ」

捨てられた子犬のように、それこそ今にも泣き出してしまいそうな表情を何度も浮かべながら語った迅。間違いなく記憶を消した迅のほうが傷付いているのが伝わってきてしまったのだ。
迅はきっと。凛のことを大切に思ってくれていたのだ。大切だからこそ、凛が必要以上に傷つかないように。そして自分の元に戻ってこないように記憶を奪って遠ざけたのだ。そのやり方は些か無理矢理なものではあるとは思うが、迅にとっても苦肉の策だったのだろう。
しかし、蓋を開けてみれば。

「でも、諦めてほしいかな」
「諦める?なにを」
「何度記憶を消されようと、私は迅を好きになるよ」

再会したあの日、凛は迅の青い目に異様に惹かれた。きっと前から凛は迅の青い目が好きだったのだろう。

「…まあ、迅には好きな人がいるから、諦めるのは私の方なんだけど…」

例え記憶を消されたとしても、凛が迅のことを思い出せなかったのは事実であり、その間に迅に新しく好きな人が出来てしまったのは仕方がないことだろう。だから、伝えられるだけで良かった。凛は記憶を失くしても迅悠一のことを再び好きになったと。

そう言うと迅は青い目をぱちくりと瞬かせてあはは、と目尻に涙を浮かべながら笑い声を上げる。そして、優しげに目を細めるとその顔を凛に近付けてきた。
記憶にはない。それでも、迅が何をしたいのかはすぐに分かって目を閉じれば唇に柔らかい感触が触れる。初めてのはずなのに、懐かしい。心が締め付けられるような、じんわりと暖かくなるような不思議な感覚が走り、その感触が離れ、名残惜しくも目を開けると青い目がゆらゆらと揺らめいて、一筋の涙が迅の頬を伝う。

「ずっと、凛しか好きじゃないよ」

もう離してあげれないから、諦めて。
まるで凛が言った言葉をそのまま返してくる迅に、凛はこっちの台詞。と返して唇をもう一度重ねる。
凛も迅も、お互いの背中に腕を回して、その存在を確かめるかのように何度も何度も唇を重ねるのだった。





あれから凛は結局ボーダーに戻ることとなった。表向きには家庭の事情で除籍をしていたと通達が出ていたため、戻ることはそう難しくはなく、多くの隊員に久しぶりですね!と声をかけられたが実は記憶喪失になってしまったと伝えれば驚かれるものの、凛の性格上また一から関係を築くことはそこまで難しいことでもなかった。
ボーダー上層部からは記憶処理の口止め料を渡され、記憶処理を行われた人物のサンプルとして研究対象として扱われることとなった。
結論から言えば凛の記憶処理は完璧であり、何一つ消された記憶を取り戻すことはなかった。しかし、ボーダーで過ごすようになってからは頭痛に悩まされることはほぼなくなり、担当医曰く昔のことを思い出そうとすることが少なくなり、新しい記憶に塗り替えられているため頭痛に襲われることが殆どなくなったと考えられるとのこと。まだまだ未知のことが多いため、これからも定期的に問診をさせてほしいと言われ凛はその申し出に素直に頷いた。
記憶処理はボーダー最重要機密事項の一つであり、隊員に漏らされるのは相当まずいということは言われなくとも分かる。悪戯にバラすつもりもなかったが、形として金銭を渡しておいたほうが上層部も何かと都合がいいらしく、相当の額を渡されてしまったので記憶処理のことは墓まで持っていこうと凛は心に決めた。

ボーダー隊員として戻ったものの、凛の立場は以前とは違う。
曰く、凛が前線に出ると迅がポンコツになるらしい。というのは言い方はアレだが、凛を危険から遠ざけるために色々と暗躍していたため、前線に戻すことだけは迅に阻止されたのだ。凛自身も戦闘の記憶はなかったため前線に出ることは望まず、結果として迅の所属する玉狛支部の支援に回され、主に玉狛支部隊員の管理に携わることとなった。玉狛支部の隊員は数こそ少ないものの精鋭揃いであり、迅も認める安全な場所として太鼓判を押されている。
どうやら玉狛支部の隊員とは全員知り合いであったらしいが、凛は勿論全員覚えておらず。以前一度だけ見かけた大きな男の人もこの玉狛支部の隊員だったらしく、迅と知り合いだったことも頷けた。小南という女の子と再会を果たした日には大泣きしながら抱きつかれてしまったが、何も覚えていない凛はよく分からないまま小南を抱きしめれば今度は絶対に守るから!と力強く言われるのだった。

そんなこんなで。
記憶は失くしたものの凛は現在ボーダーの、玉狛支部の一員として何の不満もない生活を送っている。今日も今日とて玉狛支部の全員分の夕食の支度をしていればガチャ、とドアが開き、姿を現したその人物は後ろから凛のことを愛おしげに抱きしめてくる。

「ただいま~。疲れたな~」
「あ、迅。おかえり~」
「いい匂いだな~何作ってんの?」
「今日はシチューです。味見してみる?」

するする。と迅は後ろから凛を抱きしめながらあーん、と顔を寄せてくるのでスプーンに乗せたシチューをふーふーっ、と少し冷ましてその口に運べば迅は嬉しそうな声を上げる。

「うん、美味い!腕上げたな~」
「ふふん。あとは煮込むだけ…あっ、ちょ、迅。なに、甘えただね?」
「ん~…今日はまだみんな帰って来ないだろ?」
「え?」

何言ってるの、と続けようとした凛の唇に迅の唇が重ねられる。じん、と声をかけようと口を開けばぬるりとその隙間に迅の舌が入り込んでくる。まずいとは思ったものの、生憎迅は徹夜明けであり、こういう時の迅には待ったが聞かないことを凛はよく分かっている。器用なことに、鍋の火を迅は切りながら、火から凛の体を離すように移動させ、冷蔵庫に凛の体を押し付けてますますキスを深くしていく。

「んぅ、ふ、ぅ、ぁ」

迅は気付いていないが、凛は迅のこの行動をなんとか止めようと必死であった。必死ではあったのだが、迅のキスは気持ちよく、そして求められるのが純粋に嬉しい。手で迅の胸を押し返そうとすれば、その手は迅の手に取られ指を絡められる。ぞわぞわと快感が背筋を走り、思考が定まらなくなってきた。
もうこのまま流されてもいいかな、と凛が思い始めた時、カタンっという物音に気付いた迅の唇が凛から離れ小声が耳に届く。

「なあオサム。おれたちやっぱ部屋に戻ったほうがいいよな?」
「く、空閑!静かにしないとぼくたちがいることがバレ…っ」

その声に弾かれたように迅が振り返れば、ソファーの向こうからこちらを覗き込む空閑遊真と三雲修の姿が捉えられた。
あ、と軽い声を上げる空閑にあ!と大袈裟なほど大きな声を上げる三雲の反応は対照的で面白い。

「どーもどーも、おかえり迅さん。おれたち部屋に戻るから続けてドウゾ」
「ぼくは何も見てません!大丈夫です!」
「? オサム、つまんないウソ、」
「く、空閑ぁ~!」

では!失礼します!と三雲は空閑の腕を引っ張るようにして足早に部屋を後にする。
そんな二人の姿を無言で見つめて数秒。そして凛へと向き直り数秒。迅は片手で赤くなった顔を覆った。可愛い。

「読み逃した?」
「………うん」

聞くまでもなく迅は二人が既にリビングにいたことを読み逃していたのだろう。
迅は結構格好つけたがりで。特に後輩の前では格好良い先輩としての迅悠一を演出したがる癖がある。そんなことをしなくても十分格好良いのに、敢えて格好つけようとする姿は凛からすればむしろ可愛らしいくらいだ。
そんな後輩達の前で凛に甘え、挙げ句の果てには盛ってる姿を見られたのだ。恥ずかしいのはまあ、ドンマイとしか言いようがない。

「徹夜明けだもんね。疲れてたんでしょ」
「……まあ、それもあるけど」
「私に早く会いたかった?」

ふふん、と笑いながら迫れば迅はちょっとだけ拗ねたような表情をして顔を上げる。

「…そーだよ!」

凛しか視てなかった!
そう言いながら迅はちょっとやけっぱちになりながら凛に抱きついて、またしてもその唇を凛の唇に重ねる。

未来予知のサイドエフェクトをその身に宿す迅悠一。
彼の青い目はきっと凛が想像する何倍も、何十倍も、何百倍もの分岐が写し出され、気付けば迷子になってしまう危険性すら感じさせるものなのだろう。
そんな彼の青い目ごと凛は迅悠一を愛している。その目に未来が写ろうと写らまいと、関係ないのだ。凛はただ、自分が記憶を失くしても再び惚れ込んでしまった迅悠一を誰よりも幸せにしたいと思っている。それだけ。

「凛」
「んー?」
「おれの顔になんかついてる?」

迅の頬を両手で包み込み、青い目を見つめていれば迅はその青い目を細めて楽しそうに笑う。飽きるほど伝えてきたのだ。凛が今、何を思っているのかなんてお見通しなのだろう。
それでも敢えて凛はその言葉を口にする。

「迅の目、やっぱり好きだなって思って」
「ほんと凛はおれの目好きだよね」
「うん。宝石みたいで…あ、そっか」

迅の目を宝石のようだと凛はずっと思っていた。綺麗で、唯一で、特別で。一度見たら忘れられない…否、記憶は失くしてしまったが、結局は再会してすぐにその目に惹かれたのだ。心には残っていたのだろう。
凛は迅の目が好きだ。その目を宿している迅が好きだ。宝石をその目に宿している迅は私にとって。

「迅は私の宝物なんだ」

そう口にするとしっくりきた。
かけがえのない、凛の宝物。
何度忘れようとも心は覚えている。凛にとって一番大切なものなのだから。

凛の言葉に青い目を大きく見開いた迅は何度かその綺麗な目をぱちくりとさせて、ふはっと吹き出す。
ほんと、たまに詩人ぽいこと言うよね。なんて言うものだからベストセラー書けちゃう?と言えば迅は無理だよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる。なんて決め台詞を吐くものだから二人で顔を合わせて笑ってしまう。
多分、同じような会話を昔したのだろう。覚えてはいないけれど胸の辺りがじんわりとした。

「おれにとって凛は、そうだなぁ…」

凛の頬に迅の手が添えられる。少し骨ばった大きい迅の手。すり、と頬を擦り付ければ迅は嬉しそうに青い目を細める。

「おれの女神様、かな」

迅の言葉に次は凛があははっと吹き出した。
迅、詩人じゃん。大ヒット作書いちゃおうかな~なんて言うものだから、凛は言った。無理だよ、私のサイドエフェクトがそう言ってる。

そんななんでもない日々を今日も明日も、ずっと先の未来も過ごせるように今日も宝石は分岐を選び、歩みを進める。
恐れがないと言えば嘘になる。
それでも、もう迷うことはない。
大切なものは二度と手放さないと迅は女神様に誓うのだった。







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