もう誤魔化せない


恐らく今日だ。
サイドエフェクトがそう告げている。

迅の瞳には戦う仲間達の姿がいくつも映し出されている。かなり鮮明であることから、これは遠くない未来だということが分かる。
大丈夫。今回の侵攻はちゃんと抑え切れる。前のように遠征組がいないわけでもなく、こちらも万全の備えなのだから。

敵の侵攻が今日だと判断した迅は本部へと出向いた。今回の防衛では、迅が手にしたほうが良いと判断された風刃を受け取りに来たからだ。
今日なのか。そう忍田に問われあと数時間のうちに来ると思います。と返せば忍田は作戦へと頭を切り替える。指揮はこの人に任せて大丈夫だろう。
迅は自らの持ち場に移動するため、足を進め。そしてパチリッと信じられないものを目にしてその足を止めてしまう。

「……は?」

視えたのは見間違えるはずのない女の姿。
あの日から一度も会うことはなかった。そして迅自身も会いに行かなかった女。彼女の未来がたまに視えることはこの一月の中でも確かにあった。気落ちしているようには見えたが、平凡な日々を送っているようで、迅はそれだけで満足だったのだ。
だというのに。迅に視えたのはトリオン兵に殺される凛の姿だった。
何故?確かに今回の侵攻は警戒区域外にもトリオン兵が漏れる恐れはあった。そのため天羽、迅、太刀川隊、玉狛第一は警戒区域ギリギリの防衛に当たることになっていたのだが、凛は確かに警戒区域外で殺されている。

(…! そうか、凛のトリオンに釣られて…)

近界には人のトリオン量を探知する技術がある。膨大なトリオン量を持つ雨取千佳が以前、警戒区域外で襲われたのもそれに引っかかったからであろう。
今はボーダーが誘導装置を設置しているため、殆どのトリオン兵は警戒区域内に誘導される仕組みになっているが例外がないわけではない。そして、凛は確かにトリオン能力が高かった。最悪だ。
凛が殺される未来はかなり明確に視えている。介入がなければ恐らく免れることは不可能だろう。

(……でも、おれは、こうならないように……!)

「おい、迅」
「!」

聞き慣れた声にハッと顔を上げるとそこにはいつの間にか太刀川の姿があった。
一体いつから自分の前にいたのだろうか。そしていつから声をかけていたのか。予知とそれによる混乱で迅は目の前が全く見えていなかった。
そんな迅に対して太刀川は読めない表情で淡々と語る。

「やっと気付いたな。迅。おまえ、なにを視た?」

有無を言わせないような声で太刀川が迅に問う。これは確信している顔だ。迅が良からぬ未来を視たと。
しかし言ってどうする。そもそも、迅は斎藤凛のことを誰にも話していない。偶然知ってしまったのは木崎だけだ。
彼女の存在がボーダーにバレればどうなってしまうのか、バラすつもりもなかった迅には何も視えておらず、太刀川に伝えるか否か咄嗟には判断が出来ない。

「太刀川さん…別に、なんでもないよ。それより忍田さんから連絡きたでしょ?早く持ち場につきなよ」
「はっ、そんな死にそうな顔してよく言うぜ」

太刀川の瞳が迅の瞳を射抜く。
そしてパチリッ、と一つの未来が視える。
しかしそれは駄目なんだと迅は首を横に振る。私情でこの力を使わないために、こんな思いをしたというのに。
迅の葛藤など太刀川には関係なく、いつものように不敵な笑みを浮かべる。

「言ってみろよ迅。そんな未来、俺が覆してやる」

凛が生き残る分岐は一つしかない。彼女の現住所近くに配置されている隊の隊長が駆けつける以外にはないのだ。
そもそも。太刀川隊を凛の家の近くに配置した時点で私情が絡んでいたことに迅は気付いてしまい、諦めたように頬を緩める。

「全部、おれのせいにしていいよ」

だから、助けてくれる?
そう言って事情を簡潔に説明し、お守り代わり持っていた凛のトリガーを太刀川に渡せば、太刀川は面白れーことになってんのな。と笑う。

太刀川がトリガーを受け取り、分岐は確定した。





「こちら太刀川。…はい、そうです。本人です。説明は迅からあると思いますが、駆けつけたのは俺の独断です。…作戦終了後、迅のとこに連れて行きます。…太刀川了解」

三体の怪物…トリオン兵というらしい。トリオン兵を倒すと、すぐに太刀川はここにはいない誰かと連絡を取り出した。
凛はというと、自分の姿だったり、さっき撃ってみせた銃にどうしても懐かしさを覚える。そして、驚くことに頭痛は襲ってこなかった。

「悪い。やっぱ作戦終了まで持ち場は離れらんねーわ。終わったら迅のとこ連れてってやるから」
「ねえ、太刀川…さんも私の知り合いなの?」
「あ?あー、まあ。どっちでもいいだろ。あとさんとか付けんな。気持ち悪い」

その喋り方も違和感しかないな~と。太刀川は凛と知り合いであったことをやはり隠す気はないらしい。凛は全く太刀川のことを覚えておらず、間違いなく初対面だと思うのだがちゃんと懐かしい。
きっとこれから先もこういうことはよくあるのだろう。仕方ない。記憶は失くしてしまったのだ。また一から関係を築いていけばいいだけのことだ。

「…じゃあ、太刀川くん?」
「太刀川でいいぜ。俺は今まで通り凛って呼ぶからな」
「…わかった、太刀川ね。私はどうすればいい?」

今まで通り、と言ってしまう太刀川にもはや疑問など湧くはずもない。大分砕けた話し方であり、凛のことを凛と呼び捨てにする辺り、きっと太刀川と自分は友人だったのだろう。
凛の問いかけに太刀川は顎に手を添えてそうだなぁ、と漏らす。

「記憶ないんだろ?」
「うん。でも私、ボーダー隊員だったんでしょ?」
「あー。でもまあ、無茶はさせらんねーな。今から俺の隊のやつと合流するから、作戦終了までそいつの側から離れるなよ」
「太刀川の側じゃなくて?」
「俺は動き回るからな。絶対ついてこれねーぞ」

どこか楽しそうに太刀川が言う。
彼の武器は両腰に携えている刀、なのだろう。ということは敵に接近して戦うのは想像に易く、そんな彼の側にいればむしろ危険な目に遭いそうな気は確かにする。そして太刀川の速さについて行くことが出来ないのは火を見るより明らかであった。
それならば太刀川が提案したように、今から合流する相手の側にいさせてもらったほうがいいだろう。さっきは咄嗟に動けたものの、凛も戦えるかと問われればその答えは否なのだから。

太刀川の後を続こうとすれば、おまえ遅いから。とまたしても脇に抱えられ凄まじい勢いで空を駆けていく。
ボーダーって空飛べるの?と聞けばまあ、ぼちぼち。と緩く返されてしまった。口が軽いようで掴みどころのない男だ。
ふと。凛は元々ボーダー隊員だったということは太刀川の隊の隊員とも顔見知りなのだろうかと考え、その考えは見事に的中する。

「太刀川さん、おかえりなさ……え!?凛さん!?」
「よー出水。今回の作戦、こいつの護衛も追加な」
「は!?」

俺は適当に周囲のトリオン兵斬ってくるな~。
そんな緩い作戦を伝え終え、太刀川はこの場を離脱してしまう。何が何だか分からないと言った表情を浮かべる男の子は出水公平と名乗った。やはり凛のことは知っているらしく、凛が記憶喪失だということは知らなかったため、太刀川に伝えられて驚愕の声を上げていた。
かなり混乱していたものの、敵を前にすれば出水は腹を括ったようで。

「俺から離れないでくださいね。あと、撃つなら俺には当てないようお願いします」
「りょ、了解!」

出水の攻撃方法は凄まじいもので、凛から見ればもはや魔法使いであった。
手から光のキューブを出して、それを敵に当てて破壊していく。太刀川が出水に凛を託したのも頷ける。出水はこの場から動かずとも、近くの敵も遠くの敵もそのビームのような攻撃で倒して行ってしまうのだから。

「凄いね~」
「ほんとに覚えてないんですね」
「うん。私、太刀川と仲良かったの?」
「良かったですよ。よくうちの作戦室にも遊びに来てましたし」

迅さんが妬くとこなんてあの時初めて見ましたよ。と出水は懐かしそうに漏らす。
迅と自分は付き合っていた。太刀川とは仲が良かった。出水とも知り合いだった。
何一つ思い出せない過去はきっと凛にとってはかけがえのない時間だったのだ。思い出せないのは仕方がない。思い出せなくとも、覚えている人がいる。それだけで十分だ。

「迅が妬くとこ、私も見たいな」
「ははっ。結構見れますよ。迅さん、凛さんにベタ惚れだったんで」
「うぇ~ほんとに?盛ってない?」
「マジですって。凛さんがいなくなってから迅さんは…いや、それは俺が言うことじゃないか。あとは迅さんと話してくださいね」

とりあえず守り切るんで。
そう断言する出水は素直に格好良いと思う。迅にも太刀川にも出水にも助けられてしまったが、ボーダーって格好良いな?モテそうだな。そんな呑気なことを考えてしまうほど、出水の防衛は全く危なげなく見事なものであった。





時間にして一時間半。今回の攻撃はトリオン兵のみが多く送り込まれたものだったため、準備を万全に臨んだ防衛戦は無事勝利で幕を閉じた。
前例の通り、天羽と迅は担当地区を一人で任されている。一人で事足りるからだ。それは信頼であり、そして迅のサイドエフェクトにより確定されたものとなる。危なげなく最後のトリオン兵を倒した迅はもはや避けられない未来に深く溜息を吐く。なんてこった。防衛戦よりもそっちのほうが気が重い。
やれやれと。迅は背を壁に預ける。何度か瞬きをしても仲間達にとくに変わった未来は訪れないようだ。本来なら持ち場の戦闘が終わり次第、近くの現場を手伝いに行くのだが仲間に危機がないことと、この後訪れる未来に諦めながらも備えるために迅はこの場に留まることにした。
ここならば、他の隊員は訪れないから。

「よう迅。待たせたな」
「…やっぱり連れてくるよねぇ」

確かに迅は今し方目の前に現れた男、太刀川に助けてほしいと本音を漏らした。全部おれのせいにしていいからと。しかし彼女を自分のところに連れてきてほしいとは一切頼んでいなかった。
それでも迅はこの未来を諦めるしかなかった。太刀川に彼女のことを託した際、彼女の助かる未来とこの未来は確定していたのだから。

「忍田さんにはもうバレた。つーことは上にはもう筒抜けだろうな。俺から説明しても良いけど、そういうのはおまえのほうが得意だろ」
「そうだね。ごめん、太刀川さん。迷惑かけちゃったね」
「今度十本でいいぜ」

じゃあな、と太刀川はいつものようにこの場を後にした。本当に。普段と何も変わらず。
太刀川自身も凛がこの街に帰ってきていたことを知ったのはつい先程だというのに、こういうことを詮索しない性格は助かる。
迷惑をかけてしまったうえに気も使われてしまったな、と頬を緩めれば太刀川が連れてきた彼女──斎藤凛は少しだけ気まずそうに口を開いた。

「えーっと、久しぶり。迅」
「…久しぶり、凛」

凛と会うのはひと月ぶりだ。迅はあの日から凛と会わないよう自身のサイドエフェクトでも確認し、避けていたのだから。
迅の言葉に凛は困ったように笑う。ああ、おれは今から自分の罪を突きつけられる。迅はそう覚悟して、諦めたように凛の言葉を待てば、凛は覚悟を決めたように口を開く。

「私、ボーダー隊員だったんだね」
「うん」
「迅と、恋人だったんだね」
「……うん」

凛に過去をバラしたのは以前ボーダーに所属していた日浦茜であることは凛の分岐を遡れば分かることであった。
ボーダー隊員から漏れるかもしれないとは思っていたが、まさか元ボーダー隊員から漏れてしまうとは。いくら迅でもボーダーを辞めて以来、一度も視ていない日浦が凛に接触する未来は読み逃してしまったのだ。

凛は、何を思ったのだろう。
元ボーダー隊員で、恋人だった凛と迅。そんな相手にはじめましてと他人のフリをされて、挙げ句の果てには告白をして振られて。
そう考えると凛はよくこの場に現れてくれたなと迅は感心すらしてしまう。騙したなと。もう会いたくないと言われてもおかしくない仕打ちをしたというのに。
迅は覚悟はしていた。嘘つきだと罵られようと最低だと罵倒されようと受け止める覚悟を。
それでも。凛から拒絶の言葉を聞くのは怖かった。だって、凛は一度だって──

「迅。私、何も思い出せないの」
「…うん」
「でも、迅には絶対に言いたいことがあって、」

凛の言葉に迅の喉が思わず鳴ってしまう。何を言われようと、受け入れる。
それは迅の犯した罪の代償なのだ。受け入れるしかない。思わず震えてしまいそうになる手を強く握り、凛の目を真っ直ぐと見つめれば凛は酷く悲しそうな表情を浮かべて。

「忘れちゃって、ごめんね」

本当に申し訳なさそうに迅に謝罪の言葉を口にする。あまりの衝撃に迅は呼吸をすることすら忘れ、掠れた声で「は?」とだけ漏らす。
その言葉は迅を追い詰めるのには十分過ぎるものであったのだから。





何も覚えていない。
元々ボーダー隊員であったことも、今日会った黒い服を着た二人のことも、恋人であった迅のことも。
凛は何一つ覚えていないし、思い出せなかった。

記憶を失くしてから初めて迅に会ったあの日。思えば迅はその綺麗な青い目を何度も何度も悲しそうに細めていた。
警戒区域内に入ってしまい迷惑をかけてしまったせいだと信じて疑わなかったが、あれは元恋人であった凛に忘れ去られてしまっていたからなのだと思うと胸が痛んだ。

──はじめまして、だよね?

一体迅は、どんな気持ちで凛にはじめましてと言ったのだろう。
自分達はどのようにして恋人同士となり、そしてどのようにして別れたのかも覚えていなかったが一度は恋人になった関係なのだ。そんな相手に一切忘れ去られて、迅はどれだけ悲しかったのだろう。もし自分が逆の立場なら思わず説明してしまうかもしれない。
でも、迅はそうはしなかった。凛と一から関係を築いてくれた。避けられてもおかしくないはずだったのに。

記憶はない。
それでも。凛は迅と過ごす時間が好きだった。迅の青い目に惹かれた。迅のことを、また好きになった。迅には、今は別に好きな人がいるかもしれないけれど、それは仕方がないことだ。迅のことを忘れてしまった自分が悪い。
だからせめて。忘れてしまったことだけは謝りたかった。忘れてしまって、思い出せなくてごめん。それだけを伝えたら、きっぱりと迅のことは諦めるから。
そう覚悟して太刀川、にお願いして迅のところに連れてきてもらったのだ。太刀川は最初からそのつもりだ、と言ってくれたけど。

「……違う、違うんだ……っ!」

絞り出すような迅の声。それと同時に両肩を力強く掴まれる。換装体、というやつはもう解いてしまっていたので痛いくらいだったけれど、その手が震えていることに気付いて凛は迅の顔を覗き込めば、迅は今にも泣き出してしまいそうな表情を浮かべている。

「迅?」
「ごめん、凛。謝るのは、おれのほうなんだ。許されるなんて、思ってない。でも、ごめん……!」
「えと、なんの話…?」

その言葉すら迅には懐かしかった。
あの時風間は言った。腹を括れと。あの時とまるで同じような心境に陥り、迅は笑うことが出来ない。しかし自分が蒔いた種だ。迅は状況が飲み込めていない凛の目を真っ直ぐと見据え、罪を告白した。

「凛の記憶を消したのは──おれなんだ」



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