知らない過去


「何があっても換装は解かないって約束してくれる?」

上手く取り繕っているつもりだろうけど顔色は悪く、握られている手は小刻みに震えている。凛と合流するなり、迅はすぐにそんなことを口にした。一体何を視たのか。迅が言わないのなら凛も聞く気はなかったが、こんな縋るように言われて断る理由もなく。

「了解。絶対に換装は解かないし、まずいと思ったらベイルアウトするよ」

凛がそう言えば迅は少しだけ安心したような表情を浮かべ、しかし視えているものが決定的に変わらなかったのか苦い表情を浮かべる。
大分参っているのだろう。迅、と呼べば視線が合う。泣きそうな顔をしていた。大丈夫だよ、と抱きしめれば迅は少しだけ落ち着いたようだった。

迅が何を視たのかは知らない。迅が自ら言わないのなら無理に聞く気はない。凛はただ、迅との約束を守り抜いただけ。
それでも未来は不確かで、何が起こるかなんて結局その瞬間にならなければ分からないのだった。





最近どうにも寝覚めが悪い。
目を覚ませば起き上がるのも辛いほどの頭痛に襲われることもあり、低気圧のせいかと思っていたがそう毎日気圧のせいにもしていられなかった。
何か夢を見ていたような気がするけれどその夢の内容を思い出せたことはない。失った記憶を夢に見ているのだろうか。あまり考えても答えは出ず、むしろこんな頭痛を呼び起こすものならもう見たくないな、とさえ思う日々を送っていた。

迅に衝動的に告白をして玉砕してから一月ほどが経った。失恋をしたからといって凛の日々が変わることはない。いや、変わったこともあるのだが。
あの日から当然といえば当然かもしれないが迅は凛の前に姿を現すことはなくなった。迅と遭遇するのは駅付近であったため、迅があの駅を使わないようになれば容易いことだろう。気を使わせてしまってるのなら申し訳なかったけれど、未だに気持ちの整理を付けきれていない凛にとっては有難いことだった。
そしてもう一つ。凛に付き纏っていた男は凛に一切の興味を失くしたようだった。あの男とはあれ以降も駅で何回か遭遇してしまったことがあったが目すら合わない。凛のことなんて認知していないような、まるで記憶から凛の存在を消してしまったかのような反応に少しだけ驚いたものの、付き纏われるのは二度とごめんであるため、男を見かけ次第凛は男を避けるようになり、平穏な日常を取り戻すことに成功した。

それ以外は特に変わりのない日常を凛は送っていた。
朝起きて、仕事に出かけて、帰ってきて、少しの休憩を経て寝る。相変わらず警戒区域が近いこのアパート周りは賑やかであるが、それも変わらない日々の一部なのだ。
警報が鳴る度、地鳴りがする度に青い目の青年を思い出してしまうことには参ったけれど。

(いくらなんでも未練がましいよなぁ~)

既に振られて一月も経っている。更にはあれ以降、迅には一度も会っていないというのによくもまあここまで惚れ込んだものだと自分に感心してしまう。しかし、そろそろ思いを断ち切らなければ。
気を紛らわすために何か習い事でも始めてみようかと休日に駅に出向いてみたものの、惹かれるものもなし。はぁ、と溜息を吐いてくるりと振り替えればいつの間にか後ろに立っていた女の子と目が合ってしまう。その女の子は凛と目が合うなり「あっ!」と声を上げた。

「斎藤さん!?」
「え?」
「やっぱり斎藤さんだ!わー!お久しぶりです!」

元気でしたか?と可愛らしい女の子は凛の手を両手で包み込むように握ってぴょんぴょんと飛び跳ねる。その仕草は可愛らしいものだけれど、凛はこの女の子に覚えがない。しかし頭がジリジリと痛む。と、いうことは。

「あれ?もしかして調子悪かったりしますか…!?」
「あ、ううん。ごめんね、違うの。えっと…あなたは、私のことを知ってるの?」

凛の言葉に女の子は大袈裟なほど驚いた声を出す。こんなに可愛くて面白い子、忘れるはずがなさそうになのに悲しきかな。凛の記憶に女の子はいない。
彼女の落ち度ではないことを凛はすぐに説明する。

「私、ここ数年の記憶がなくて。記憶喪失ってやつなんです。だからその、知り合いだったらごめんなさい…」
「え!?そ、そうだったんですね…」

凛の言葉に悲しそうな表情を浮かべた女の子は名を日浦茜というらしい。以前まではここ、三門市に住んでいたのだけれど今は県外に引っ越してしまっているとのこと。
今日は世話になった先輩や、可愛い後輩に久々に会うために三門市まで足を運んだところ、凛の姿を見つけて声をかけたのだという。

「じゃあ斎藤さんも今はボーダーを辞めちゃったんですか?」
「え?」
「あたしも本当は続けたかったんですけど…というか今でも戻りたいと思うくらいにはボーダーは楽しかったので…」

ぐぬぬ、と茜は悔しそうに眉を顰めるが凛はそれどころではない。
今はボーダーを辞めた?誰が?
そもそも。茜はどう見ても凛よりも歳下であるのに、どこで自分と茜は知り合ったのか。そんなものは、茜の言葉から簡単に推測出来てしまった。

確かに凛はもしかしたら自分は昔、ボーダー隊員だったかもしれないと思ったこともあった。ボーダーに異様に惹かれ、そしてボーダーのことを調べれば調べるほど体調を崩したからだ。
しかし、ボーダーに尽く採用されず、更にはボーダー隊員である迅は凛のことを知らなかったため、自分は元ボーダー隊員ではなく、ボーダーのファンか何かだったのかもしれないと折り合いをつけていたというのに。

キンッと頭が痛み軽く眩暈がする。
ああ、まるでそれ以上はやめろと言われているみたいだ。
しかし凛はこんなチャンスを逃すまいと痛みを無視して茜に尋ねる。

「私、ボーダー隊員だったんだね」
「はい!里見先輩と斎藤さんは凄腕の銃手で有名だったんですよ!あ、あと。迅さんの彼女さんだったのでB級以上で斎藤さんを知らない人はいないくらい人気者でしたよ!」

屈託のない笑顔で話す茜に嘘はないのだろう。こんな嘘をつく理由もないのだから。
忘れてしまった記憶。その記憶の中に、ボーダー隊員であったという事実が加わる。
そして、もう一つ。

「迅……?」
「え…!じ、迅さんのことも覚えてないんですか…?」
「迅って。背が高くて茶髪で…青い服をよく着てる、迅?」
「なんだ!覚えてるじゃないですか!」

どうやら茜の言う「迅」と凛が知っている「迅」は同一人物らしい。だとしたら、今までのことが全部不可解になる。
だって、迅は。

凛が頭痛と戦いながらも茜との会話を続けようとすると、それを遮るようにアナウンスが聞こえてくる。まもなく、二番線に電車が。その音声に茜はやばっ、と焦った表情を浮かべる。

「ごめんなさい!あたし、あの電車に乗らないと待ち合わせに遅れちゃうんで…!」
「あ、そうなんだね。色々ありがとう。楽しんできてね」

凛の言葉に茜は元気よく返事をして駅内へと走って行ってしまった。その姿が見えなくなるまで凛は見届けて、茜が電車に間に合ったことを祈りつつその場に蹲ってしまう。
頭の痛みは度を越えて吐き気にまで達している。目も回り立っていることが困難になってしまったのだ。大丈夫ですか、と数人が声をかけてくれるが返事すらままならない。救急車を呼びますかと聞かれそれに首を振るものの、意識はそこで途切れてしまった。





好きだよ、凛。たぶん、おれはもう恋はしない。それくらい、凛が大好きだった。

震える声が聞こえた気がした。
泣いてるの?泣かないで。私も大好きだよ。そう言いたくても、指先の一つも動かすことは出来なかった。
だからこれは夢なんだと思った。でも念のため、目が覚めたら本人に確認してみよう。きっと、おれはそんなこと言ってないよって言うんだろうな。それが本当でも嘘でも、私は大好きだけどって言えば彼は嬉しそうに笑うんだ。知ってる。そんなところも大好きだから。


さよなら、凛。


だから、そんな悲しそうな声、出さないで──





激しい倦怠感と共に意識が浮上する。
最悪の気分に溜息すら出ない。なにか、夢を見ていた気がするが良い夢ではなかったのだろう。胸の辺りがむかむかとして、今にも吐きそうなのだから。
見慣れない天井だが、消毒液の匂いが鼻につきここが医務室か病院かのどちらかだろうと悟った。結局あの後、駅近くで意識を失ってしまったのだろう。周りに人もいたため、病院に運ばれたのだろうと考えれば合点がいった。

体調は悪いが病人でもないためいつまでもここで寝転んでいるわけにはいかない。疲弊する体に鞭を打ち、上体を起こせばギシッとベットが軋みその音に気付いた看護師がカーテンを開ける。

「気がついたんですね。具合はどうですか?」
「大丈夫です。ご迷惑をおかけしてすみません」
「念のため、後日大きな病院で検査をされたほうがいいかもしれません」

先生をお呼びしますね、と看護師は少し席を外して再び医師と共に戻ってきた。
看護師とともに医師が凛の元に訪れ、軽い診察を受けて帰宅することとなった。受け答えもしっかりしていたため大事には至らないと判断されたが、医師には後日、詳しい検査をしたほうがいいと看護師と同じように念を押された。が、恐らく無駄だろう。
しかし世話になった身としてはそんなことは言えず、わかりました。と答え医師と看護師に礼を言って病院を出ると辺りはすっかり暗くなっていた。

(ここから駅まで二十分くらい…家までは一時間くらいかかるなぁ)

あまり体調はが良くなかったため、いつもはなんとも思わない道のりに軽く嫌気が刺してしまうが家に帰るためだ。諦めるしかない。
はぁ、と溜息を吐いて凛は足を進める。歩いている最中、また倒れるわけにもいかないためあまり深く考えることは出来なかったが思い出すのは昼間に会った茜との会話と迅のことばかりであった。

(ボーダー……銃手…迅の彼女……)

茜にあれだけ教えてもらったのに面白いくらい凛は何も思い出せなかった。けれど、頭と胸はキリキリと痛む。記憶はなくとも身体は覚えているのかもしれない。
凛は別に、自分が元々ボーダー隊員であったことには然程驚いてはいなかった。可能性のうちの一つが当たったんだな、それくらいである。ただ、それならばボーダー関連の仕事に採用されたかったなと思うくらい。
祖父母の反応を思い出せば、凛はボーダー隊員として戦っている最中に大怪我を負い記憶を失ったことは推測出来た。本来なら三門市に戻ることも止めたかったはずだろうし、実際止められたというのに結局は戻ってきてしまったのだから祖父母に申し訳が立たない。
それでも、記憶はなくとも凛は三門市を、ボーダーを求めてしまった。

(……迅)

凛が腑に落ちないのは迅のことだ。
迅は凛と犬を連れた少女を助けた時、確かにはじめましてと言ったのだ。凛は迅のことを覚えてなかったため、頭は痛んだものの迅とは初対面だと信じて疑わなかった。
けれど。確かに迅は凛を助けたあの時、人のことを幽霊を見るような目で見ていたことを思い出す。それは迅とオムライスを食べたあの日、大きな男が凛を見た目と同じだった。
迅も、あの大きな男も。きっと凛のことを知っていたのだ。それなのに二人とも凛を知らない風に装った。何故?

「……ちがう。そんなこと、どうだっていい」

一人、呟いてしまう。
凛はボーダー隊員だった。迅の彼女だった。きっとそれは事実なのだ。だとしたら、凛は迅に言わなければならない言葉がある。絶対に。



家まであと十分ほど。いつも通り人通りのない道をいつもより少し遅めの速度で歩いていると、当然地面が揺れだす。思わずその場にしゃがみ込むものの、この揺れには覚えがあった。地震かと錯覚してしまうがこれは違う。
しゃがみ込んだまま視線を上げていくと、迅と初めて出会った…ううん。再会を果たしたあの日と同じ景色が広がっていた。黒い円のような物体から怪物が三体出てくる。
逃げなければ。そう判断して怪物とは反対方向に走り出せば、動く獲物を視界に捕らえた怪物は凛を目標と定めその後を追う。

(追いつかれる…!)

そう思った瞬間、三体のうちの一体がぱっくりと割れてその場に崩れ落ちる。凄まじい振動に転びそうになれば、それを阻止した誰かの脇に抱えられ、そのまま信じられない跳躍により空き家の屋根の上まで移動させられる。
何が起こったのか全く分からない凛を脇に抱えていた男は凛を屋根の上へと下ろすと、この場に似つかわしくないへらりとした表情を浮かべた。

「よぉ、久しぶりだな」
「え、どちら様!?」
「あ?ああ、そうだったな。悪い悪い、ハジメマシテ」

黒い服装に身を包み、髭を生やした男は状況が理解出来ていない凛にほらよ。と見覚えのないものを渡してくる。

「お前のトリガーだ。迅のやつ、ずっと持ってたんだとよ」

危ないから換装したほうがいいぜと男は言うが凛には何が何だか全く分からない。
しかし確信があった。この男も、自分と知り合いなのだと。
そうでなくとも窮地から救ってくれた相手を信用しない理由はなく、凛は動画でしか見たことのない「トリガー」とやらを強く握り締める。

「…これ、どうすればいいの?」
「トリガー起動って強く思えば換装出来るぜ。服装が変わるからすぐ分かる。お前の武器は銃」
「銃!?わ、私そんなの撃てないです!」
「は?何言ってんだ」

そんな雑談をしていると残った二体のうちの一体の怪物が凛達へと迫ってくる。ひっ、と怯む凛 とは違い、黒い服を着た男はそんな怪物をまたしても一瞬のうちに斬り伏せてしまった。

「す、すご…」
「ほら、早く換装しろって」
「あ、は、はい」

男に促されるまま、凛は言われた通りトリガー起動と強く念じた。すると男が言った通り服装が変わっていく。見覚えがないはずなのに妙に懐かしく、そして男が言っていたように二丁の銃を腰に付けている。
凛の姿に男は懐かしいな~と腕を組む。その反応からこの男とは100%知り合いなのだろうと察する。というか、この男は凛と知り合いであることを隠すつもりがないように見える。

「ねえ、あなた…」

と、声をかけようとすると最後の一体が雄叫びのような声を上げてこちらへと迫ってくる。男はどこか楽しそうに横目で凛を見やる。気付いた時には勝手に体が動いていた。
腰にある銃を引き抜き、照準を合わせ、撃つ。
凛の撃った弾丸は寸分狂いなく怪物の急所を貫き、怪物は地面に崩れ落ちて動かなくなった。

「お見事」

お前達が言ったんだぜ、体が覚えてるってな。
太刀川慶と名乗った男はこの場には本当に不釣り合いなほど楽しそうに声を弾ませるのだった。



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