まるで少年のよう
ヴィザ様に稽古をつけてもらっていなければ確実に足を取られていた。伸びる斬撃…ヴィザ様のものとは違う…この国特有のトリガーだろう。間合いを取るほうが分が悪い。出来る限り距離を詰めて戦った方が私に有利に働くだろう。かなりの時間をこの男に割いてしまっている。早く始末してもっと場を荒らさなければ、
「!」
再び男から距離を取る。追撃を仕掛けようとした男は、しかし追撃を行わなかった。私の戦意が無くなったことに気付いたのだろう。門が開いて、そして閉じた。空が晴れたように明るくなりすぐに理解した。見捨てられたと。
「ん?なんだ迅」
今回の任務、確かに私は仕事を果たせなかった。ならば捨てられるのも妥当な判断だ。このまま帰還しても主に殺されていた可能性のほうが高い。ここで死ぬか、向こうで死ぬか。対して変わりはない。
換装を解いて、出発時にミラ様に渡されていたブレスレットに目をやる。回収時に必要だから、と渡されたものだったがどうやらただのアクセサリーになってしまったようだ。
爺様との約束で私は命を粗末には扱わないと決めていた。しかし敵地に取り残され尋問や拷問をされるくらいなら自死を選ぶのが自分のためであり、そして国のためである。ごめんなさい爺様。きっと同じところにはいけない。そう覚悟を決めて私はナイフを首に当て──
「おいおい、迅の言った通りかよ」
「! 離せ…!」
先程まで私と戦っていた男がナイフを持っている私の右手ごと掴み上げた。振り解こうとしてもびくともしない。当然だ。私は換装を解いていて、この男は換装を解いていないのだから力で敵うはずがない。なら、この男の意思で手を離してもらうしかなかった。
「自殺すんのか?なんで」
「失敗したから。今死ななくてもいずれ主に殺される」
「は?なんだそれ。お前、自分を殺そうとするやつを主って呼んで従ってんのか?」
真っ直ぐで純粋な言葉。ああ、きっと。
「あなた、恵まれているのね」
あんな男、主なんて呼びたくもなかった。
だけど爺様が死んで、親戚に売られて。引き取られた家では息をするのにも主の許しが必要だった。逆らえば即処分。使えない奴隷に寝食は必要ない。ほんの少しの気の緩みで酷い折檻をされる。そんな地獄みたいな境遇で多くの奴隷が殺されるか自殺をした。私は地獄でただ爺様の言葉を胸になんとか生き延びていた。
まいにち、つかれて、
ほんとうはもう、おわりたかった。
「お前はこんなに体張って頑張ってんのに主は何してくれんの?」
「…?」
「少なくともウチは任務で失敗したからって死ねなんて絶対言わねーぜ。なあ、お前ボーダーに鞍替えしろよ」
「……は?」
男の言っている意味がすぐには理解出来なかった。混乱をしている私をよそに男は楽しそうに微笑む。ほんとうに、少年のように。
「勿体ねえよ。そんだけの腕があるのに死んじまうのは。もっと俺と遊ぼーぜ。あ、俺は太刀川慶。お前、名前は?」
なまえ、なんて。いつ振りに聞かれただろう。
爺様が死んでから私の名前を呼んでくれた人はいなかった。奴隷として引き取られてからは尋ねられることもなくなったわたしの、なまえ。
「……リン」
「リンか。可愛い名前じゃん」
久し振りに呼ばれた自分の名前はどこか借り物のようで、だけど紛れもなく私を示す単語で。
ケイと名乗った男は何が楽しいのかそれからも何度も私の名前を口遊むのだった。
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