▼ 継がれる意思
2年前からこの国にもデュイさんにもお世話になりっぱなしだった。けれど私はいずれ玄界には帰らなければいけない。それは私が元々玄界の人間だからとか、こっちの世界に居場所がないからとか。そういうネガティブな理由ではない。メディルにもデュイさんにも後ろ髪を引かれるほど情は湧いているしずっと一緒にいたいとも思うけれど、私はいつか玄界へ帰る。それは心に決めたことだった。だけど。
「うーん。遊真の義肢の調整がまだ私だけじゃ不安だなぁ…」
遊真の義肢の調整は今はダーヤンが殆ど行っている。私も知識はあるもののダーヤンのようにあんな手早く調整は出来ない。しかも遊真には成長期が訪れているので日々大きくなる体に義肢を合わせなければいけず、それを私が受け持つのはまだ無理だった。
「…リンだけ先に帰る、のか?」
遊真が寂しそうにそんなことを聞いてくる。
いや、何を言ってるのか。
「帰らないよ!遊真ともう離れたくないし」
「…!おれも!リンとずっと一緒にいたい!」
「キミらは息を吸うように惚気るな!?」
私たちのやりとりにもはやいつも通りのダーヤンのツッコミが炸裂する。うん。いつもの日常って感じで好きだな。そんな私たちをレプリカもデュイさんも楽しそうに笑いながら見守ってくれている。
これが私たちの今の日常。正直、ずっとこのままメディルで。デュイさんの元でこうやって暮らせたら幸せだろうなとも思える。でも。
「リンもユーマも、もうこっちで暮らせばいいじゃないか」
ダーヤンが私が何回も悩んだことを口にした。それはとても素直な言葉で、この場にいる全員がダーヤンの言葉を否定することはなかった。
「ふむ…。おれは元々近界で暮らしてるほうが長かったけどリンは生まれも育ちも玄界だからな。そうはいかんだろ」
『それにリンの家族はあちらにいる。一度は帰った方がいいだろう』
「じゃあ、ちょっとだけ里帰りしてこっちに戻ってこればいいじゃないか」
ダーヤンの提案に遊真とレプリカもうーん、と言葉を詰まらせた後。
「おれはリンのいるほうについてくよ」
「遊真…」
「リンの隣がおれの居場所だからな」
そう言って遊真は楽しそうに笑ってくれる。…嬉しい。遊真は私がどんな答えを出しても一緒にいてくれると言う。それは本当に嬉しくて、何よりも安心出来る言葉で。…メディルにきて、辛いこともあったけれどデュイさんやダーヤンと出会えて遊真を救うことが出来て本当に良かった。
「リンは帰りたいんでしょ?」
そして。全てを見透かしたようにデュイさんが口を開いた。
「デュイさん…」
「勘違いしないの。別にあっちに帰っても気が向いたら遊びに来なさい。あなた達ならいつでも歓迎するから」
デュイさんの優しさに鼻の奥がツンッと痛んだ。赤の他人である私のことを2年間、看病もしてくれた。指導もしてくれた。一緒に楽しく過ごしてくれた。この人に出会えなければ私は──あの日遺された意味を見出せなかった。
「デュイさん。私、玄界でこの国で学んだ医術を活かしたいんです」
私の言葉にデュイさんは真剣な表情を作る。
……この国で教わった知識を玄界に渡してしまうのは良くないことなのかもしれない。それでも、
「きっと、玄界だけの技術では遊真は助けられませんでした。私の国の医術も凄いものだけれど、そこにトリオン医術も加わればもっと多くの人が助けられると思うんです」
遊真を助けられた時、本当に嬉しかった。
そしてこの国でデュイさんが治療した人たちの笑顔を見て私も多くの人を助けたいと思った。あの日助けられなかった人達よりも多くの人を、せめて遺された私が救うことが出来たらって。
「デュイさんに教わったすべてで、一人でも多くのいのちを救うって……決めたんです。だから、玄界にこの国の医術を持ち帰ることを許してください!お願いします!」
そう言って私はデュイさんに頭を下げた。ふざけるなって怒られるかもしれない。もしかしたら追い出されるかもしれない。…そんなことより、デュイさんに縁を切られてしまうかもしれないことが1番怖かった。私はデュイさんが大好きだから…
「…私の心には父さんもケリーも婆様も、今も生き続けているのよ」
デュイさんはそう言いながら私の前まで歩み寄りるとぽん、と肩に手を置いてくれた。ゆっくりと顔を上げるとデュイさんは今までで1番優しそうに微笑んでくれていた。
「知ってる?人の意思ってどんどん受け継がれていくものなのよ。少なくとも私はそう信じてるわ。まさか私の意思を継ぐのがリンだとは思ってなかったけど」
デュイさんの瞳には私が写っているのに、デュイさんの大切な人達も写っている気がした。それはきっとデュイさんが今まで受け継いできた人たち…
「この国で学んだこと全部引っ提げて玄界で頑張りなさい。託すわよ、リン」
「……!デュイさん!うっ、…ありがとう、ございます…!」
思わずデュイさんに抱きつくとデュイさんは困ったような呆れたような…とても優しい溜息をついて私を抱きしめ返してくれる。デュイさんから教わったこと、何一つ無駄にしない。その知識も技術も、そしてこの優しさも。
「で?あんたも玄界行きたいんでしょ?ダーヤン」
「………ほぁ!?!?」
「む?そうなのか?」
「なななな、なにを、言ってますか!?そんなことあるわけないじゃないですか!!」
「お、ウソじゃん」
デュイさんの思いもよらない言葉に驚きながらダーヤンのほうを見るとダーヤンは図星を突かれてように焦っている。というか遊真のサイドエフェクトに引っかかってしまっている…のでどうやら本当に玄界に行きたいと思ってるらしい。
「そうなの?ダーヤン」
「ちょ、……えぇ、うーーーん…!」
ここまで困っているダーヤンを見るのは初めてなのでこれ以上問い詰めるか少し悩んでしまう。それは遊真もレプリカも同じだったようで私達は顔を見合わせてどう声をかけるべきか分からずに口を噤んでしまう。
「ダーヤンは逆に玄界の医術が気になるんでしょ。リンから少しだけ話は聞けたけど、私達からしたらトリオンを使わない医術のほうが珍しいから」
「で、でも……ボクにはフィオト家の次男としての責任が……」
「こっちの病院は兄が継ぐでしょ?あんたの父親はダーヤンには好きなようにさせたいって言ってたわよ」
うぐぐ…!とダーヤンは頭を抱えてしまう。
……が、私達としてはダーヤンが一緒に玄界にきてくれるなら鬼に金棒。願ったり叶ったりと言ってもいいほど有難いことである。
まず、遊真の主治医をこれからもダーヤンに任せることが出来るのが本当に大きい。ダーヤンの腕は私達も疑うことなく信頼している。そんな彼が一緒について来てくれるならこんなに頼もしいことはないだろう。
そして私だけでメディルの医術を伝えていくのは限界があったものの、そこにダーヤンが加わるのはあまりにも大きい。彼が玄界にその知識や技術を提供してくれるなんて…想像しただけでも期待に胸が膨らんだ。
「ボ、ボクが玄界に行ったらその…不自由なく暮らすことは出来るのかい!?」
「絶対に交渉する!大丈夫!ボーダー結構お金持ってるから!」
『遠征の成功で以前よりも本部は快適になっていたぞ』
「え、それは私も知らない…帰るの楽しみだなぁ」
私の言葉にダーヤンは悩んで悩んで、最終的には「少し時間をくれ…」と言ってこの場を後にした。…そうだよね。生まれ故郷を離れるのって勇気もいるし怖いよね。私もやっぱり不安だったし、もしダーヤンが玄界に来てくれることになったら生活面で不自由がないようにボーダーに絶対要望を通そうと心に誓うのだった。
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