▼ そう思えたのに
いたい。くるしい。
そんな感情ばかりが頭を占める。
だけどそれが私が生きている証拠だった。
崖から落下している最中に戦闘体を破壊され生身になった私を男は振り落とさずに抱えるのように着地した。その意図が全く分からず困惑したまま男を見つめると男は面倒臭そうに溜息をついて私を地面へと下ろした。
「な、なんで…?」
「あ?なんで助けたのかって?あー…オレは別にお前を殺すつもりはないからな」
気の抜けたような言葉が逆に不気味で身構えてしまう。殺すつもりはないと言っているけれどこの男の雰囲気は私を逃がすつもりも全くない。何か目的があるんだ。
(修は…!?)
頭上を見上げるものの木々に邪魔されてしまい全く上が見えない。修は逃げれただろうか。せめて修が無事ならアフトクラトルからの刺客が来たことを伝えてもらえる…!
「メガネの心配か?余裕だな」
そう言って男は距離を詰めてくる。──こわい。
「嬢ちゃんにひとつ頼みがあるんだが」
男は足を止めて言葉を続ける。
「アフトクラトルに来るの、やめてほしいんだよな」
「……それは、」
「もちろん嬢ちゃんだけじゃなくて玄界のやつら全員で帰ってくれ。簡単だろ?」
なにを、馬鹿なことを。
承諾出来るはずもない申し出に呆れを覚えつつも目の前の男は本気で言っているようにも見えた。
(…!私を人質にとるつもり…!?)
そして私を返してほしければ玄界に帰れと言うつもりなのかもしれない。そんな条件を飲むわけはないと思うけれど忍田さんは優しいから万が一にも効いてしまうのはまずい。どうにかして逃げなければ…!
「あんま手荒なことはしたくないんだよなぁ…」
男がつまらなそうに溜息をついた瞬間、私は一目散に走り出した。一度も振り返らずに、とにかく全速力で。幸いここは木が生い茂っている。生身ならトリガー反応も追えないはず!生身であることがうまく働いて見失ってくれれば──
「ぁ、ぐっ!?」
背中に衝撃を受けて私はそのまま地面へと叩きつけられた。苦しい。息がしにくい。かはっ、と息を吐くと先ほどの男が私の腰あたりに座っているのが分かった。なんとか逃げようともがいてもびくともしない。まずい、捕まってしまう!
「まあこうなるよな。恨むなよ嬢ちゃん」
そう言って男は私の右足に手をかける。なに、と発するより先にミシッという厭な音と共に凄まじい激痛が体を走り抜けた。
「……っ!!ぁ、っ……!」
「ん?嬢ちゃん痛みに強いな。泣き叫ぶかと思ったが…」
そう言って男は反対の足にも手をかける。ぞわり、と。嫌な予感に鳥肌が立った。
「や、やめ、………っ!ぁ、!がぁ……」
またしてもミシッと嫌な音と共に激痛が体を駆け巡る。はっはっ、と呼吸すらままならない。それでもなんとか歯を食いしばって全くいうことを聞かなくなった両足を引き摺りながら匍匐前進するように腕の力でこの場を逃れようと必死にもがくと男が私の腰から立ち上がる。逃げなきゃ、まずい。殺される。そう思って必死に両腕でもがいていると左腕を引っ張られる。嫌な予感にひっ、と引き攣った声が漏れた。
「や、やだ、やだ……っ!!」
「安心しな。上手に折ってるからゆっくり休めば元通りになる」
左腕からはバキッという音がした。あまりの痛みということを聞かなくなった体に逃げるという選択肢は消えてなくなった。
「よし。じゃあ気を強く持てよ。これは油断すると死ぬこともあるからな」
殺すつもりはないんだぜ、と男が言うのと同時に腹部に熱さと痛みが走った。あ、これは知ってる。刺された時の痛みだ。トリオン体の痛覚を切っていなかった時に感じた痛みと殆ど一緒なんだな、なんて。どこか他人事のように感じていた。意識が遠のいていく。もう、どこが痛いのか、自分がどうなっているのかすら分からない。
(……修は、無事だったかな。無事ならいいな…)
そういえば私はいつ死んでもいいって思ってた。誰かのために、誰かの代わりに死ねたら本望だなって。でも今は、
『リン』
優しい笑顔が思い出される。
綺麗な子。最初はそれくらいにしか思ってなかったのに。こんなに好きになるなんて思ってなかった。彼にもっと生きてほしいと思った。彼ともっと一緒に生きたいと思った。
ああ、わたし、
「し、…にたく……ない…」
あの日以来、初めて芽生えた感情を抱いたまま私の意識は暗闇へと落ちていった。
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