▼ 痛み
最悪の事態、と言っても過言ではないだろう。
三雲君からの緊急連絡が入りすぐに斎藤のトリガー反応を追うとそれを嘲笑うかのように斎藤のトリガー反応が消失した。事態は一刻も争う。迷っている暇などない!
「慶、風間!緊急事態だ!今すぐ隊員と共に三雲隊員の元へ向かえ!アフトクラトルの追っ手に斎藤隊員がやられた可能性が高い!少しの油断も許されない状況だ!」
私の呼びかけにすぐに慶と風間から『了解、直ちに向かいます』と返答が返ってくる。お前達なら十分対応出来るはずだ。そして、
「残りの偵察組は今すぐ遠征艇に帰還し警護に徹すること!他にもアフトクラトルからの追っ手がいる可能性は十分あり得る!注意を怠るな!」
そう。最悪なのはこの事態に焦って戦力を救出に割きすぎること。三雲君も斎藤も心配だ。だが遠征艇を壊されるわけにもいかない。二人の救出は慶と風間に任せるしかない…!
「忍田さん、頼む。おれも行かせてくれ」
そう私に声をかけてきたのは遊真君だった。戦力として非常に強力であり、最悪の場合は黒トリガーという切り札すら切れる戦力。遠征艇及び雨取千佳の警護として遊真君は最適である。それはきっと彼自身も分かっているのだろう。だから遊真君はこの国に来るまで。いや、この国に来てもその任務を果たしてくれていた。
その遊真君が、私に頼むと言っている。
「……分かった!二人を助けてやってくれ遊真君!」
「ありがとう忍田さん」
遊真君は私にお礼を言うと雨取千佳のほうへと振り返る。
「すまんなチカ。おれはどうしてもリンとオサムを助けたいんだ」
「ううん、遊真君。お願い…!二人を助けて…!」
「まかせろ。ヒュース、あとは頼むな」
「ああ。こちらのことは気にするな」
そう言って遊真君は遠征艇を飛び出して行った。どうか無事に帰ってきてくれ──!
切り落とされた腕に激痛が走る。痛い、なんて言葉では生ぬるいほどの激痛に思わずその場に倒れ込むと対戦相手だったこなみは目を丸くして私に駆け寄ってきた。
「は!?あんた痛覚切ってないの!?」
こなみの問いかけになんとか笑いながら頷くとこなみは大声でゆりさんに「今すぐこの子の痛覚をoffにして!」と叫んだ。既に対応していたのか私の痛みはあっという間になくなりゆりさんが痛覚をoffにしてくれたのが分かった。
痛みは無くなったけれど激痛を受けたことにより少し疲労感が残っている。トリオン体にそんな機能はないためこれは多分脳にダメージを受けているのだろう。それでも動けない程ではないのでごめんごめんと立ち上がればこなみに思い切り頬をぶたれた。
「こ、こなっ」
「ふざけんじゃないわよ!!痛覚をoffにしてないなんて死ぬつもり!?」
「……ごめん」
こなみは本気で怒ってくれた。でも痛覚がoffになっているせいでこなみがどれほどの力で私をぶったのかが分からない。また私は痛みから逃れてしまった。
それからも私は隙を見つけては痛覚をONにして戦闘に挑んでいた。痛いのが好きなわけじゃない。むしろ痛いのは嫌いだ。それでも。あの日みんなが味わった痛みを私も受けなければならないと思っていた。私が握っていた腕の持ち主も、胸に穴を開けていた子もみんな痛かったはずだ。生き残ってしまった私が彼女達の痛みを体験するのにトリオン体というものはもってこいだった。生身で腕を飛ばしても胸に穴を開けても死んでしまう。だけどトリオン体なら死ぬことはない。ああ、みんなもこんなに痛かったんだな──
「リン。勝負よ」
ある日。こなみはいつになく真剣な表情で私にそう言ってきた。機嫌が悪いのかな、と思いながらも私はこなみからの勝負を受けることにした。別に断る理由もないし。こなみとの対戦の時は痛覚を50%ほどに設定している。痛がればこなみに痛覚をoffにしてないことがバレてしまい心配させてしまうからだ。
「リン。あたし、あんたが今も痛覚を切ってないことは知ってるの」
「え…」
「今日の勝負。10本勝負であたしが全勝したらあんたは攻撃手から降りなさい。あたしより弱い攻撃手とは組みたくない」
この日のこなみは凄まじいもので結果として私は全敗したうえに7戦目で立ち上がれなくなってしまった。ご丁寧にこなみは一撃では落とさず出来る限り損傷をさせるように私と戦ったからだ。あまりの痛みに精神状態が乱れすぎて換装出来なくなった私はそのまま倒れ込み、目が覚めた時はボスが私についていてくれた。
「よっ。小南にこっ酷くやられたみたいだな」
「……ボス。いえ、こなみ…怒ってました…?」
「んー、まあ怒ってはいただろうな。でもそれ以上に悲しんでたよ」
こなみはずっと痛覚を切れと。自分を大切にしろと言ってくれていた。そんなこなみの気持ちを裏切り続けていたのだから怒られても仕方がないけれど悲しませてしまったのは申し訳ない。これはこなみ流の荒療治ってことだったのかな…
「リン。結論から言うがお前のトリガーは痛覚は殆ど感じないようにこっちで固定させてもらう。このままじゃお前の脳みそが保たないからな」
ボスの言葉に少なからず落胆する。確かにこれを続けていればいつか限界は来るかもしれないと思っていたけれど、彼女たちの無念を少しでも感じられる方法だと思っていたからだ。そんな私の様子を見てボスは頭をくしゃりと撫でてくれる。
「俺は当事者じゃないからおまえの気持ちが分かるなんて言うつもりはない。だけどおまえがどれだけ痛い思いをしても悲しむやつはいても喜ぶやつはいないんだよ」
その言葉にこなみの辛そうな顔が思い浮かんだ。…ううん、こなみだけじゃない。迅もレイジさんもゆりさんも皆やめろと。悲しい顔をして言ってくれていた。私は自己満足のために誰かを悲しい気持ちにさせてしまっていたんだ…
「ごめんなさい……」
「おまえが思っている以上に俺たちはおまえが大事だよ。あとで皆に、特に小南にはちゃんと謝っておくんだぞ」
その後から私は痛覚が殆ど感じないトリガーで戦うこととなった。痛覚をONにしないと言ってもこなみに攻撃手はダメと言われたため謝罪の意味も込めて射手に転向して戦い続けて、痛みなんてそれこそ忘れてしまっていたんだ。
──あれ、私なんでこんなこと思い出してるんだっけ?
「おーい。気を強く持てって言っただろ?」
間違って死なれたら困るんだよ。
そんな声が頭上から聞こえた気がした。
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