▼ 意外と頑固
斎藤先輩が遠征に行くのが決まった時、小南先輩は最後まで大反対していた。斎藤先輩は小南先輩達と一緒に玉狛第一としてではなく個人で遠征行きを決めたからだ。ずっと反対していたけど斎藤先輩の意思は固くて最後は小南先輩が折れたけれど納得はしてはなかったように思える。
「遠征行ってなにすんのよ…」
呆れたようにそう聞いた小南先輩に斎藤先輩は
「どうしてもやりたいことが出来たの。ごめんね、こなみ」
と申し訳なさそうに。だけど有無を言わせない凛とした声で言ったのをぼくは覚えていた。
「あの!私斎藤リンっていいます。お願いします!この国の医術について少しでも良いので学ばせてもらえませんか!?」
お願いします!と斎藤先輩は目の前の…倒れていた子供を助けてくれた女の人にを下げる。
少しの沈黙の後「………は?」という声を女の人は発する。それはもう、眉間に皺を寄せて。
「嫌よ。そもそも一朝一夕で身につくものでもないし」
そしてピシャリと斎藤先輩のお願いを断るけれど斎藤先輩は全然引く気配がない。
「それでも、なんでも…ほんの少しでもいいんです!お願いします!私の国にはない、トリオンを使った医術に賭けたいんです!」
斎藤先輩の必死の願いに女の人は黙り込む。斎藤先輩が今回の遠征でやりたいと言っていたのは近界で医術を学ぶことだったのだろうか。でもどうしてだろう。ぼく達の国の医術で治すことが出来ない何かが──
「………あ、」
ある。ぼくも考えたことがあるものが。
…斎藤先輩も知っているのだろうか。空閑の体のことを。それともぼくの思い過ごしで全く違うことに近界の医術が必要なのかもしれない。どちらにせよ空閑の体のことはぼくの口からは誰にも言うつもりはないのだから確認する術もないのだけど。
「この国で医術の知識、技術はお金になるのよ。沢山の医療関係者が集まる国だから競争率も高い。そんな大切なものを出会って間もないあなたが教えてもらえるなんて本当に思ってるの?ライバルを増やすような真似をしろって?」
女の人は煽るわけでもなく馬鹿にするわけでもなく淡々と言葉を続けた。それはきっと事実だから。この人が斎藤先輩に医術を教えるメリットが何もない。それこそ以前諏訪さんが言っていたように取引が成立しないんだ。斎藤先輩から何か差し出さない限りは……
「でも、あなたはあの男の子を助けてくれました」
斎藤先輩の言葉に女の人はまたしても少し眉を顰めた。
「多くの医療関係者が集まるあの街で、あなただけが私たちを…あの子を助けてくれました」
そうだ。
街でぼくたちは助けを求めた。でも誰も助けてくれなくて、挙げ句の果てには金はあるのかと嘲笑すらされた。そんな中、この人はぼくたちに声をかけてくれてここまで案内してくれて治療までしてくれた。とても、お金が全てだと心から思ってる人の行動とは思えない。
「どうしても……どうしても助けたい人がいるんです!お金が必要なら時間がかかっても必ず払います!だから……っ」
「ひとつ聞きたいんだけど」
斎藤先輩の言葉を遮るように女の人が言葉を挟んだ。斎藤先輩はすぐに口を閉ざして女の人の言葉を待っている。
「あなたの助けたい人って恋人?」
「え!ち、違います!」
女の人の言葉に斎藤先輩は即答する。首をぶんぶんと降って否定する斎藤先輩に対して女の人は少し機嫌を悪くしたように見える。
「ふーん。私、ウソをつく子に何かを教えてあげるほどお人好しじゃないから」
女の人がそう言うと斎藤先輩は困ったように黙ってしまう。だけどおかしい。斎藤先輩に恋人がいるなんて聞いたことがない。斎藤先輩はウソをついているわけではないだろう。
「あの…斎藤先輩は本当に恋人はいないと思います」
思わずそう口にすると女の人はますますつまらなそうに溜息をついた。ぼくの言葉もどうやら彼女には響かなかったらしい。いったい何が正解だと言うのだろうか。
「恋人じゃない。それは本当なの」
少しの沈黙の後、斎藤先輩はまた言葉を口にした。
「……私の、片思い」
少し恥ずかしそうに、そして悲しそうに斎藤先輩はそう口にする。ああ、きっと斎藤先輩はその助けたい相手のことが本気で好きなんだとぼくにすら伝わったんだ。きっと目の前の女の人にも伝わっているはずだ。
女の人は何かを考えるように瞳を閉じて、少しした後大きな溜息をついてその瞳を開いた。
「デュイよ」
「え?」
「私はデュイ。数日やそこらで教えられることなんて殆どないけど…まあそれでもいいなら気が向いた時に来なさい。聞きたいことがあれば教えてあげるわ」
女の人──デュイさんは斎藤先輩の気持ちを汲んでくれた。それがぼくも嬉しくて斎藤先輩のと顔を見合わせてすぐに頭を下げた。
「「ありがとうございますデュイさん!」」
デュイさんはちょっと困ったように眉を下げてはいはい、と返事をしてくれる。その優しい表情にほっとしているとデュイさんとバチっと目が合う。
「ところで、そっちのメガネくんの名前は?」
そう言われてぼくは自分が名乗っていないことに気付いて慌てて「三雲修です」と頭を下げた。斎藤先輩が何を聞きたいのか、誰を助けたいのか。…詮索するのは野暮だろうと思いぼくはそれについては何も聞かないことにした。
デュイさんとの出会いはこの先のぼくたちにとって奇跡としか言えないものになるとはまだぼくも斎藤先輩も知らない──
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