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幸福の定義


有吾は言った。ユーマを頼むと。
その言葉通りユーマと私はいつも一緒だった。それこそ眠る時も、ユーマが眠れなくなった時も。ユーマの頼みに応えるためにこの身を挺した時、私は初めて理解出来た。何故あの時有吾が黒トリガーになったのかを。だから私は──

『お別れだ。ユーマを頼む』

きっと有吾も私に託した思いをオサムに託したのだった。


ユーマの吐く息が白い。有吾の黒トリガーによりトリオン体だった頃は寒さや暑さも調節出来ていたため見なかった光景に感慨深くなってしまう。私と数年振りに再会したユーマは元の体を取り戻していた。有吾の故郷に行けば元の体に戻れる方法があるかもしれない。藁にもすがるような気持ちだったがユーマは違っていた。ユーマはただ、父親を。有吾を生き返したがっていた。自分のせいで死なせてしまったと、それこそ口に出すことはなかったがユーマはずっと罪の意識を抱えていた。有吾はユーマに罪を背負わせるつもりはなかっただろう。それでもユーマにとって有吾を失ったことはあまりにも大きすぎた。

ユーマに生きる目的を与えてやってほしい。それは私の願いであり、そう伝えたオサムは確かにユーマに目的を与えてくれた。あの頃のユーマは毎日本当に楽しそうで、そしてどこか危うかった。オサムやチカの目的のためにユーマは命を落としてしまうのではないのかと。そしてもし二人の目的が叶った時、やはりユーマは生きる目的を失くしてしまうのではないかと。
借り物ではなく、ユーマ自身に目的が必要だ。有吾の故郷は良いところでこの国に暮らす人間も優しい。きっとこの国でならユーマは生きる目的を見つけることが出来ると信じていた。


だから、元の体で。
いや。私が知っている時よりも随分大きくなったユーマに再会した時。出るはずのない涙が込み上げるような錯覚さえ起こしたのだ。


『ユーマ、私は嬉しい』
「どうしたんだ突然」

私の言葉にユーマは楽しそうに答える。また出会えたこと。ユーマが体を取り戻したこと。全てが幸福だ。そして──

『私の願いは二つあった。一つはユーマの体を元に戻すこと。これは既に叶ってしまっていたな』
「うん。…リンが頑張ってくれたからな」

傷口があったであろう腹部をユーマは愛おしそうに撫でる。私も聞いたことのなかったトリオン移植という方法でユーマは命を繋いだらしい。その代償にリンはトリオンを消費して戦うことは出来なくなったという。彼女はイズミに並ぶ名射手だったらしくそれほどの才能の持ち主なら葛藤もあっただろうと思ったが提案したのはリンで、そこに迷いなどなかったと言っていた。

『…今だから伝えるが、ユーマは有吾を失ってからどこか空虚だった。生きていても生きていないような。いつ死のうと受け入れるような危うさが私は心配だった』
「そうだったのか。…まあ、確かに受け入れてたとこはあったかもしれん」

有吾の黒トリガーはユーマの成長と共にその指に嵌るように対応していてユーマはいつも肌身離さず有吾の黒トリガーを指に嵌めている。その黒トリガーに目線を落としてユーマは独り言のように呟いた。

「親父がおれの代わりに死んで、おれは親父を生き返すためだけに生きていた。それが無理だと分かって次はオサムとチカの目的のために生きようって思えた。でもそこに自分の生への執着は確かになかったよ」

ユーマから答え合わせのような言葉が紡がれる。やはり、としか思えないその言葉を無言のまま聞いているとユーマは悪戯っぽく笑った。

「すまんなレプリカ。レプリカがおれのことを心配してるのには気付いてたんだ。だけど…おれはおまえに甘えてたんだと痛いほど思い知らされたよ」

それはきっと私がユーマの元を去ったからだろう。去るつもりは毛頭なかった。それこそユーマがその命を燃やし続けるのなら最期の時まで片時も離れるつもりもなかったのだが、その願いをオサムに託すことしか出来なかったのは歯痒かった。

「レプリカと離れてから、……まあ、正直結構しんどかったけどさ。それでもオサムもチカもボーダーの皆もいいやつらが多くてそれなりに楽しく過ごしてたんだ。もちろん、レプリカを探しに行くってのは諦めるつもりはなかったけど」
『分かっている。ユーマはこうして私を見つけ出してくれたからな』

私自身もうユーマに再会することは難しいことだと思っていた。それでもいつかユーマに会いたいと思わない時はなかった。今こうして並んで話せていることは奇跡に近く、神というものがいるのなら感謝したいくらいだ。

「…でもさ。リンだけは違ったんだ。おれの体のことを知って、憐れむわけでも悲しむわけでもなく治すことしか考えてなくて。しかもおれのためにって言わないんだよ。私がしたいからの一点張り。…あいつはほんとに頑固なんだ」

ユーマと再会してこちらの世界に戻ってきた時、ユーマは私の知らない女性と生活をしていた。ユーマにトリオンを移植して命を救ってくれたリン 。私はユーマの頼みでリンと行動することが多くなったがリンは裏表のない気持ちの良い人物でサイドエフェクトを持つユーマが心を許しているのも納得の相手だった。
そして私はユーマのそんな表情を見るのは初めてだった。

「レプリカ。リンのことを頼んだぞ。あいつは今は換装体になるのがギリギリで戦うことなんて出来ないからな。おれが側にいれない時はおまえが守ってくれ」
『……承知した』
「レプリカ?」
『いや、昔有吾も同じことを私に頼んだと思ってな』
「親父も?」
『ああ。ユーマを頼むと。有吾にとってユーマは一番大切だった。…その気持ちが今のユーマなら分かるのではないか?』

私の言葉にユーマの目が見開かれる。そして数秒だけ思案した後、その目を細めて楽しそうに笑った。

「…そっか、うん。親父がおれを助けた理由がやっと少しだけ分かった気がする」
『同じことをしたらリンに鬼のように叱られると思うがな』
「はは、確かにな。でも…もしそんなことになったら迷わないとも思う」

ユーマの目は本気だ。有吾の気持ちが少しだけ理解出来たのは良いことだが私がユーマに伝えたかったことはこんなことではない。

『そうならないよう私が目を光らせるから安心していい。…ユーマ、私が言いたいのはそう言うことではない』
「? どういうことだ?」
『ユーマ。私とユーマがそうだったように今が永遠に続くということはあり得ない。次の瞬間にこの日常が終わることなんてよくあることだ』

私の言葉に笑っていたユーマが真剣な表情を作る。決して離れないと誓っていた私達でさえその誓いを守ることは出来なかった。故意でなかったとしても居心地のいい時間が終わる可能性はいくらでもある。

「…レプリカ、何が言いたいんだ」
『私はリンに想いを伝えるべきだと思う』
「…………」

ユーマは目を伏せて黙ってしまう。今まで騙し騙しで先延ばしにしていた問題。ユーマはオサムに「この時間が終わるかもしれないのが怖い」と本音を溢していた。それは間違いないだろう。想いを伝えてしまえばどう足掻こうと今の関係に戻ることは出来ない。今以上の関係になるか、関係自体に終止符が打たれるか。二つに一つしかない。

『決めるのはユーマだが…私はユーマに幸せになってほしい。ユーマが生きて幸せそうにしているのが私の幸福だ』
「レプリカ……」

ユーマは少しだけ黙った後、困ったように笑って私を優しく撫でた。
これが私のもう一つの願い。ユーマが幸福であることが私の最上級の幸福なのだ。



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