wtのおはなし置き場 | ナノ



  願ったものは / ハイレイン


その男の子は決して人前では涙を流さないことを知っていた。そして一人隠れて泣いていることも。

「ほらぁ、また泣いてる」

そんな彼を見つけて初めて声をかけた時は酷く怯えたような顔をされた。曰く、時期当主になるであろう自分は人にこんな姿を見せてはいけないとのこと。なんだそりゃ。確かにこの男の子かその弟は間違いなく時期当主に選ばれるであろう。優れたトリオン能力、適応したトリガー角。だけどまだ子供だ。私より少し歳上なくらいの男の子に随分とまあ酷なことを言うものだと呆れてしまう。

「ほら、泣かないで。私はずっと味方だよ。ハイレイン」

そう言って手を差し出せばハイレインはその手を握り返してくれた。全く。握り返してくれるまでにかなり時間がかかったと思うけど?と揶揄えばハイレインはやっと泣き顔ではなく笑顔を見せてくれた。その時思ったんだ。この子のためなら何でも出来るって。


***


そんな遠い昔の記憶をふと思い出してしまう。目の前には瓦礫と成り果てた街といくつもの死体。何度見てもあまり慣れる光景ではないけれどこれが私の仕事なのだから仕方がない。ラービットによってトリオンキューブ化されたトリガー使いは15、ってとこか。まずまずだろう。トリガー使いが増えるほど国は栄える。それに貢献した領主ほど実権を握れるってわけ。

「よくやった、リン」
「…はーい」

古い記憶の小さな男の子は今となっては立派な大人に成長していてトリガー角も黒トリガーに無事適応を果たしていた。泣き虫な男の子はもういない。的確な指示を出して、任務を遂行していく。ハイレイン「隊長」は間違いなく実権を握るに値する人物でそんな彼の隣を私なんかはいつの間にか歩くことすら難しくなっていた。

「おーおー、トリガー角も付けてねぇくせに相変わらず良い仕事ぶりじゃねぇか」

そう声をかけてきたのはトリガー角を黒くしたエネドラ…さんだ。この国では私のようなごく普通のトリガー使い。トリガー角を埋め込んだトリガー使い。そしてハイレイン隊長やエネドラさんのようにトリガー角が黒トリガーと適応したトリガー使いで分けられている。戦力も期待値も後者ほど大きい。つまり。私は戦力として期待はされてないってことだ。

「はぁ。エネドラさんも大活躍だそうで」
「当たり前だろ?オレを誰だと思ってんだよ」

エネドラさんは年々口調が荒くなるし性格も横暴になってしまっている。元々はこんな人ではなかったのにどうやらトリガー角が脳に影響しているらしい。その噂を聞いた時は怖かった。エネドラさんが変わってしまったこともだけど、何より私が守りたいと願う人が変わってしまうかもしれないことが。幸いなことに彼にはまだそのような兆候は見られていないけど…

「でもお前もついてねーよなぁ。本当ならコレ、付けてもらえたんだろ?」
「…………」

そう言ってエネドラさんは自分のトリガー角を指差す。ぎゅ、と口を固く結んでしまう。エネドラさんが言っていることは事実だから。私にはトリガー角が埋め込まれていない。いや、本当は埋め込まれる予定だった。私には潜在的なトリオン能力も確かにあったから。それを白紙にしたのは他の誰でもないハイレイン隊長だ。彼が反対し、弟も兄の決定に従ったため私にトリガー角は埋め込まれないこととなった。

『どうして、ハイレイン。私、ハイレインを守りたいのに』

そう言ってハイレイン隊長に縋った。だってトリガー角の有無はとても大きなものだったから。ハイレイン隊長の力になりたい。彼を守りたいと願っていた。そんな私に彼は──

『必要ない。おまえの守りも、おまえにトリガー角も』

非情な決定を下したのだった。


トリガー角がなくても…いや、トリガー角を埋め込まれなかったからこそ私は血の滲むような努力をして今の地位を確立していた。他の国へ侵攻する時のメンバーにもよく選ばれているし、警備にも携わっている。それでもトリガー角付きには敵わないことも多くて歯痒い思いもしたけれど足掻いて足掻いて。ハイレイン隊長のためにならなんだって出来た。

──でも、何も敵わなかった

「ハイレイン隊長」

そう彼の名前を呼んだのはミラ様だ。…将来、ハイレイン隊長か弟のランバネインさんのお嫁さんになる人。彼女の頭には黒いトリガー角が付いていて何より彼女は聡明で美しかった。
ハイレイン隊長が「ミラ」と彼女を呼ぶ度に吐き気を催すほどの不快感が私を襲った。それで初めて気付いた。私、ハイレイン隊長のことが好きだったんだって。あの遠い日に泣いていた男の子の笑顔を見た時から、好きだから守りたいって思っていたことに。馬鹿みたい。私がハイレイン隊長を守らなくても彼は強くて。どれだけ足掻いても黒いトリガー角を持った彼女に何一つ敵うところなんてなくて。

「リン」

いつの間にかミラ様と別れたハイレイン隊長が私の元へと足を運んでくれる。あ、上手く隠れれてなかったかなと自分の失態に苦笑いをしながら頭を下げるとハイレイン隊長は少し困ったように笑った。

「ハイレイン隊長、どうかしましたか?」
「…相変わらず固い喋り方をするんだな」
「はぁ、そりゃ…時期当主様ですし」
「昔はそんなこと気にしてなかっただろう」
「いつまでも子供ではいられませんよ」

私の言葉にハイレイン隊長はやっぱり困ったように笑う。狡い。その笑顔を見られるなら何でも良いと思えてしまうのに、そう遠くない未来。その笑顔は他の女の人のものになる。それが国のためで、ハイレイン隊長のためだって分かってる。分かってるけど。

「リン」

ハイレイン隊長が笑みを消して真剣な表情で私の名前を呼ぶ。任務だろうか。姿勢を正して「はい」と返事をしてハイレイン隊長の言葉を待つ。

「おまえはまだ、戦場へ出るつもりなのか?」
「………は?」

ハイレイン隊長の言葉の意味がよく分からなくてそう聞き返してしまう。いやだって。私は今回の侵攻でもトリガー使いを捕まえてきたしちゃんと任務を遂行出来たはずだ。なのに、何でそんなことを言うの?

「えっ、と。どういうことですか?」
「戦闘員はおまえ以外の殆どがトリガー角付きとなっている。角のないおまえには負担が重いはずだ。だから──」
「嫌です」

隊長の言葉を遮るなんてあってはならないことだ。それでもその先を聞くのは絶対に嫌だった。

「私、戦えます。角がなくてもちゃんと、任務を遂行出来ます。だからどうか」

──捨てないで
そんな私情の塊でしかない言葉を何とか飲み込んで溢れそうになる涙を堪えて深く頭を下げた後、私はハイレイン隊長から逃げるようにその場を後にした。角がないことがいけないというのなら、どうしてハイレイン隊長は私に角を埋め込むことを反対したのだろうか。


それは、あの時から私は、

ハイレインにとって、いらなかった、から?


***


俺が選べることは驚くほど少なかった。俺の決定はそのまま国や領主に響く。迂闊な発言も緩い判断も許されない。そんな逃げ出したくなるような境遇から心だけは救ってくれた少女がいた。だからせめて。俺は彼女だけは守れるくらい強くなろうと心に誓った。のに。

「……俺はどこで間違えたんだろうな」

胸に抱いているのは二度と目を覚まさないあの日の少女。トリガー角を埋め込まなければこんな戦場を駆けることもないだろうと思っていたのに彼女──リンはトリガー角の補助なしでも優秀なトリオン使いだった。強さも判断力も文句のないリンは優秀な駒の一つではあったが俺はリンを駒として扱うことが嫌だった。これはただの私情だ。俺はリンにただ幸せであってほしかった。こんな戦場なんかに身を置かず、好いた男と結婚して所帯を持って穏やかに暮らしていてほしかった。その相手になれないのは残念だが常に危険に晒される俺の側にいるよりも心休まる相手を見つけてほしい。リンの平穏のためにも俺は必ず実権を握るとそう心に誓っていた。

ぽつり、と。
リンの頬に水滴が落ちる。それが自分の瞳から溢れているものだと気付いて少しだけ驚いた。ああ、そうか。あの日泣かないでと。味方だよと言ってくれた少女はもういない。俺の涙を止めてくれた少女はもうこの世から消えてしまったのか。

「兄……、隊長。この国のトリガー使いは確認出来る限りはほぼ捕らえた。…どうする?」

ランバネインが俺に声をかけてくる。そうか。ならば撤退が妥当な判断だろう。トリガー使いを殆ど捕らえたのならこんな小さな国にもう用はない。リンを奪ったこんな小さな国、もういらないだろう?

「殲滅する」
「正気か?これ以上暴れても俺達に得もなければ兵が疲弊するだけだぞ」
「…そうだな。ランバネイン、お前が正しい」

ぎゅっ、と。腕の中にある彼女を再び強く抱き締める。今の俺を見たらおまえはなんて言うだろうな。リンはこんな判断を下す俺の味方でいてくれただろうか。それとも叱ってくれただろうか。だけど、どれだけ無謀な判断だと理解していてもこの判断は覆せない。

「これは、俺の我儘だ。最初で最後の…当主ではなくハイレインとしての我儘に付き合ってくれるかランバネイン」
「──ああ。その我儘に付き合おう、兄上」


一つの国が近界から消えた。
こんな国一つより俺はお前を失ったことが何よりも──




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