目的地の扉の前まで全速力で駆け抜けた俺は一度足を止めて乱れた息を整える。目の前には放送室のドア。この向こうにまず間違いなく凛さんがいるだろう。やっと、やっとちゃんと会えるかもしれない。何しろ一月も追い続けては捕まえることが出来なかった凛さんだ。……もしかしたらそれは意図的に避けられているのかも、と考えないわけでもなかった。だって俺は知ってしまっているから。凛さんが鬼狩りをしてるということを。それでも、どうしても。一度きちんと話がしたかった。

大きく息を吸ってふぅ、とそれを吐き出す。覚悟は決めた。俺がコンコンッと目の前のドアを叩くと中から

「はーい?」

求めていた彼女の声が聞こえる。

「あ、あの。竈門炭治郎です」
「あ!炭治郎君ですか!?」

バタバタッ、と中から音が聞こえてガチャリと放送室の鍵が開く音がする。ドアの向こうから少し申し訳なさそうに眉を下げた凛さんが姿を現した。

「ごめんなさい!全然都合が合わなくて…わざわざここまで会いにきてくれたんですか?」

俺が思っていたよりも全然迷惑じゃなさそうに、むしろ申し訳なさそうに凛さんは俺を迎えてくれる。その事実にほっと胸を撫で下ろす。良かった、避けられてた…というわけではなさそうだ。

「えっと、俺こそすみません!毎日押しかけちゃって……」
「いえいえ、私にお話があるんですよね?どうぞ。あまり広くはありませんが入ってください」

そう言って凛さんは俺を放送室へと招き入れてくれる。凄い。何が凄いってたったこれだけの間で俺の緊張感がほとんど解けてしまったことだ。凛さんはこの人柄ゆえに人から頼られてしまうのにも頷ける。放送室は確かにあまり広くなく、凛さんはパイプ椅子を出してそこに座るよう勧めてくれたので俺はそれに従ってパイプ椅子に腰を降ろす。

「マイクは…うん、offになってますね」

校内に繋がるマイクのoffを確認して凛さんは俺に向き直るようにもう一つのパイプ椅子へと座り直す。

「炭治郎君、学校には慣れましたか?」
「え?あ、はい。俺と一緒に幼馴染みの二人も入学したので何の不便もなく過ごせています」
「それは良かったです!うちは結構学校行事に力を入れているので三年間で良い思い出に恵まれると良いですね」

にこにこと。凛さんは自分のことのように嬉しそうに語ってくれる。本当に良い先輩で、時間が許されるならずっと喋っていたいくらいだ。相談事もよく引き受けていると聞くけれど納得……いや、そうじゃなくて!

「あの!俺……俺、あの日のことをもっと聞きたくて」
「あの日のこと?」

凛さんが不思議そうに首を傾げる。えっ、と。いやまさか。凛さんは入学式の時確かに俺のことを覚えていた。凛さんと初めて出会ったのはあの日…鬼に襲われた日だ。だからあれが夢だったなんてあるはずがない。

「はい。鬼のことを…鬼狩りのことを教えてほしいんです」

はっきりとそう告げると凛さんはうーん、と困った表情を浮かべる。どうやら凛さんも俺が聞きたいことが何か理解してくれたようだ。

「鬼のこと、ですか…。えっと。炭治郎君、誰か他の人に鬼のことを話しちゃいましたか?」
「え?いえ、誰にも話してません」

それこそ禰󠄀豆子とすらこの話はほとんどしていない。信頼している善逸と伊之助にも話していないし、どうしても伝えなければいけないことでも起こらない限り鬼のことを誰かに言うつもりはなかった。そんな俺の返答に凛さんはまるでパアァ!という擬音が似合いそうな笑顔を浮かべる。

「ああ…良かったです!本当はですね、一般の人に鬼のことは教えちゃいけないって暗黙のルールがありまして。炭治郎君達には目撃をされたうえに前世で鬼との繋がりがあるようなのでいいかなって思ったんですけど、炭治郎君から他の人へ鬼の存在が漏れてたらちょっと困ってしまうところでした」

ありがとうございます!と凛さんは笑顔を向けてくれる。……この前から思っていたけどこの人は大分可愛らしい気がする。いつも柔らかい表情を浮かべてる割にはころころとその表情を変えていくし、何より素直だ。きっとこの人は良い人なんだろう。

「ではお礼に。炭治郎君は鬼について知りたいんですよね?」
「! はい、その。鬼は…俺が大正時代に戦っていたのは無惨という鬼を起点として現れていました。俺達は確かにその無惨を斬って鬼を絶滅させたと疑っていませんでしたし、実際俺達の前に鬼が現れることは二度とありませんでした」

鬼はいなくなったと信じて疑わなかった。失うものも沢山あった戦いだったけれど俺達は鬼を、無惨を倒すことが出来たのだと。だからあの日。俺の目の前に鬼が現れて訳が分からなくなってしまったと言うのが本音だ。

「はい。確かに炭治郎君達鬼殺隊はムザンを斬ってあの時代のムザンを起点とする鬼は絶滅しました。それに間違いはありませんよ」

俺と同じように凛さんは「ムザンを起点とする鬼」と表現した。俺は一番可能性のあるその現実から目を逸らしたかった。でも……

「鬼は…無惨以外に起点となる鬼が他にもいたんですか?」

それしか考えられない。きっと俺達の知らないところで無惨以外にも鬼が存在していたんだ。俺達は無惨との戦いが終わってから大きく移動をすることもなかったから…その事実に気付けなかったのだろう。

「その解釈で間違っていませんが…そもそも無惨という鬼は日本で成功した稀な鬼だったんです。炭治郎君、何故鬼という生き物が存在するか知っていますか?」
「それは、無惨が……」

無惨が鬼を増やしたから、と言いかけて口を噤む。そもそも無惨は何故鬼であったのだろう。彼は生まれた時から鬼だったのか?そんなことがありえるのだろうか?そんな俺の反応を見て凛さんは言葉を続ける。

「ムザンという鬼もまた被験者の一人でしかありませんでした。昔、鬼という生き物を作り出す研究をしていた組織があり、彼らは多くの被験者に薬を投与してその過程を観察し、記録し、そして自らも鬼となることに成功したんです」
「鬼に……!?どうしてそんな、」
「炭治郎君も前世で彼らと戦ったのなら知っていると思いますが、鬼は並大抵のことでは死にません。傷の治りも早く栄養さえ摂っていれば老いることも死ぬこともありません。それを彼らは不老不死と呼んでいました」

俺は前世で多くの鬼と戦った。それこそ上弦と呼ばれる鬼とも。彼らの再生能力や戦闘能力は人間を遥かに凌駕していて百年以上生き続けていた鬼もいたという。それは確かに不老不死と呼ぶに相応しい存在なのかもしれない。でも、彼らが生きるためには──

「鬼の栄養源は人間です。他のものを口にすることが出来る鬼もいますが人間を摂取することが一番手っ取り早く確実です。人間を犠牲にしなければ成り立たない存在を不老不死と認めてはならない。人間繁栄の障害になる鬼には死を。そうして集められたのが私達です」

こんなものですかね、と凛さんは小首を傾げる。…あまりの情報に混乱しそうではあるけれど無惨以外の鬼がいたのかもしれない、という予想はしていたため何とか現状を飲み込むことが出来た。

「凛さん達は鬼を退治しているんですよね?」
「はい、そうですね」
「俺も手伝えませんか?」

俺の申し出に凛さんが目をぱちくりとさせている。頭の上になんてはてなまーくが見えそうな表情だ。でも俺は大真面目だった。鬼という生き物がこの時代にも残っているのなら俺も手伝いたい。家族や友人、町の人を守れるのなら願ったり叶ったりだ。

凛さんはにっこりと笑って

「手伝えません」

俺の申し出をばっさりと否定した。



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