今日で終わりにしましょうと。凛さんは哀しい匂いをさせて口にした。

「…どうしてですか?」

思ったよりも穏やかな声が出た。
俺はなんとなく、凛さんの態度が変わったのは今日で「終わり」にするための準備だったと薄々気付いていたのかもしれない。

「童磨から私の前世を聞きましたよね?」
「…はい、聞きました」
「今日、炭治郎君は来てくれないと思っていました」
「そんなわけありませんよ。俺、今日をすっごく楽しみにしてたんですから」

俺の言葉に凛さんは哀しそうに顔を歪める。そんな顔をしないでほしい。俺は凛さんにそんな顔をさせるために今日ここへ来たのではないのだから。

「変だなって思ってたんです。童磨さんが俺の家の近くにいて、わざわざ凛さんの前世を話してくれるなんて都合が良すぎます。…凛さんが童磨さんに頼んだんですね?」

俺の言葉に凛さんは少しだけ沈黙した後、こくりと小さく頷いた。

「はい、私が童磨にお願いしました」
「…どうして俺に前世を教えたんですか?」
「炭治郎君に……」

凛さんは俯いて俺から目を逸らしてしまう。ぎゅっと。おにぎりのぬいぐるみを抱きしめて凛さんが口を開く。

「炭治郎君に軽蔑してほしくて」

凛さんの中で覚悟を決めたのだろう。

「私、人殺しなんです。しかも一人や二人ではなく千人以上ですよ?償っても償いきれない贖罪者。幸せを夢見ることすら烏滸がましい。なのに、炭治郎君と一緒にいるととても幸せだったんです。それは奇跡みたいな毎日で、同時に炭治郎君のことをずっと騙してる自分が許せなかった」

堰を切ったように言葉が溢れ続ける。

「皆、私のことを優しいって。頼りになるって言ってくれました。でもそんなこと全然なくて。私はただ、償いたかった。どんな些細なことでも良いから手伝って、感謝されると貢献が出来たって安心していました。私は優しくなんてない。自分のために人の手伝いをしていたに過ぎません」

学校で評判の凛さん。優しくて頼りになる女神のような存在だと学校では言われていた。でも、凛さんは言っていた。「罪滅ぼし」だと。聞き間違えたのかと思っていたがそうじゃなかったみたいだ。凛さんはどんな時でも罰を求めて自分をすり減らしていて。

「炭治郎君は優しいから。私が贖罪者だと知っても変わらず接してくれて、嬉しくて苦しかった。早く見限られたかった。幸せな時間が長く続くほど、失うのが怖くなるから」

──私と一緒にいるのが嫌になったら遠慮なく言ってくださいね?

ああ、確かに凛さんはそんなことを言っていた。嫌になるはずなんてないのにって。あの時は深く考えなかったけどあれは凛さんの叫びだったのか。早く嫌だと言ってくれ、早く見限ってくれと。

「最初に炭治郎君との約束を破ったのは私でした。でもどうしても、一回だけで良いから炭治郎君と普通の友人として遊びたかった。…凄く、本当に、凄く楽しくて、こんな私に幸せな時間をくれてありがとうございます炭治郎君。私、もう十分です。むしろ貰いすぎました。今日からちゃんと元の贖罪者に戻ります。だから──」

今日一日、本当に楽しそうに笑って遊んで。上手くできると案外すぐに調子に乗って、上手くいかないと落ち込んじゃうような普通の女の子。コロコロ変わる表情はずっと見てても飽きなくて。その笑顔を守るためならなんでも出来るって思ったんだ。だから、凛さん。

「凛さん。俺、いい加減怒りますよ?」

俺の言葉に凛さんが顔を上げる。サッと血の気が引いてるのが見て分かるくらい動揺しているけど、俺も少し言わせてもらいたい。

「ご、ごめんなさい……お、怒りますよね……」
「怒りますよ。凛さん、俺が凛さんのこと軽蔑したり見限るなんて本気で思ってるんですか?」

………?というマークが見えそうな表情を浮かべて凛さんは首を傾げている。…もう、伝わってないとは思っていたけどここまで何も伝わっていないとは。いや、気持ちを自覚したのは俺自身も昨日禰󠄀豆子と話した時だけど。それにしても。

「凛さん。凛さんだけじゃないです。俺も凛さんと一緒にいると幸せでしたし楽しかったですし…それこそあんなにも忙しく走り回ってる凛さんが俺と過ごしてくれるなんて優越感すらありました」

善逸にも羨ましい!なんて言われたっけ。凛さんが捕まらない一ヶ月間。早く凛さんと話がしたくて仕方がなかった。凛さんと話せるようになってからは毎日昼休みが心待ちになった。……いや。きっとあの夜から。俺は凛さんに恋焦がれていたのだろう。

「…さっき言ったように忙しくしてたのも自己満足なんですよ。少しでも罪滅ぼしがしたくて、私が勝手にやってたことなんです。そんなことで罪が軽くなるわけでもないのに」

自己満足?そんな生易しいものじゃないだろう。あれは自己犠牲と言っても過言ではない。人のことは思いやれるのに自分のことは全く思いやれない。そんなところも好きだけどずっと心配で。

「凛さんは自分が自分を一番赦せないんですね」
「はい。赦されていいと思っていません」

キッパリと凛さんが言い切る。
知ってる。誰よりも自分のことが赦せず罰を求める凛さん。贖罪者として模範的な在り方だと言えるだろう。

「でも俺はそんな凛さんと一緒に生きたいんです」
「え……?」
「勿論、前世のことを忘れろとか気にするなとか。そんなことは流石に言いません。凛さんが償いたいと思う限りそれにも付き合います。俺は凛さんを赦したい。凛さんが自分を赦せないと言うのなら、せめて俺だけでも凛さんの贖罪を肯定したいんです」

凛さんは信じられないようなものを見る目で俺を見ている。その目には戸惑いと嫌悪が混じっていて、

「正気ですか?それは人殺しを赦すということですよ?炭治郎君、罪に加担するとも取れる言葉は聞き流せません。取り消してください」

きっとそれも俺のための言葉なんだろうな。ここで俺が凛さんを拒絶すれば凛さんは安心はすれど傷付くだろう。それでも、俺を巻き込まなくて良かったと。自分の痛みを無視してきっと笑うんだ。そんなのお断りです。

「嫌です!取り消しません!俺は凛さんを赦しますし、凛さんの味方でいます!絶対です!」
「っ、ど、どうしてですか!?」
「そんなの!好きだからに決まってるでしょう!!」

ひゅっ、と凛さんが息を呑む。しまった。その、もっと雰囲気とか格好良くとか、色々考えていたのに勢いで言ってしまった…!
凛さんはもう絶句。信じられないと言わんばかりに目をぱちくりとしている。ふぅ…と息を整えて俺は再び口を開いた。

「…人殺しは赦されることではないのは俺も十分理解しています。でも、後悔して懺悔して今も贖罪を続けているのに赦されることがないのは苦しすぎます。だから、赦されたい時はいつでも俺を頼ってほしいんです。例え全てが敵に回っても俺は凛さんの味方でいたいんです」
「……そん、なの…っ」

赦されていいはずかない、と凛さんは小声で呟く。……昨日禰󠄀豆子と話して分かったことがある。罪の重さとか、先に手を出したのはどっちだとか。考え始めたらキリがない。それこそ凛さんは確かに千人以上の人を殺したが、街の人に両親を殺されなければそんなことはしなかった。街の人だって鬼がやってこなければ凛さんの両親を殺すこともなかった。たった一つの偶然で人は善にも悪にもなる。どこにも庇う余地はあって庇えない余地があるんだ。だから大切なのは──行った行為から目を逸らさないことだと思う。俺は凛さんを選ぶ。千人の被害者に人でなしと言われようと構わない。俺は──

「俺は凛さんが大好きだから、凛さんの味方でいたいんです」

それが全てだった。
凛さんが好きだ。哀しい顔をしてほしくない。すぐに得意げになったり、ドヤ顔だってしたり、時には拗ねたり落ち込んだり。そして楽しそうに笑っている凛さんが大好きなんだ。好きな子の味方でいたいって思うのは男として当然の気持ちだと思う。

「うっ………」

凛さんが両手で顔を覆ってしまう。ぐすぐすっ、と嗚咽が漏れていて俺は思わず凛さんを抱きしめた。

「……もっと早く、離れるべき、でした…」
「凛さんが離れても俺が追いかけてました」
「私、こんな……っ、幸せになって、良いはずがないのに……」
「俺が誰よりも凛さんを幸せにしたいんです。これは俺の我儘です」

凛さんが俺から少し距離を取って真っ直ぐと俺の目を見つめる。大きな目からはまだぽろぽろと涙が溢れていて、堪らなく愛おしい。本能的に顔を近付けると凛さんは目を閉じる。俺はそのまま自分の唇と凛さんの唇を重ねた。

「ん……」

唇を離して目を開けると凛さんの顔がすぐ間近にある。今更ながらその距離の近さに恥ずかしくなって慌てて離れると凛さんはキョトン、とした顔をした後にあははっと笑う。

「私、まだ返事してなかったのに」
「え!?あ、その……!」

確かに凛さんは目を閉じてくれたけどそういえば告白の返事はもらえていなかった。いやでも!?その!?合意だと思ったんだがもしかして嫌だったとか…!?

「凛さ──んっ、」

名前を呼び終える前に凛さんが抱きついてきて再び唇が重なる。ぎゅう、と抱きしめてくるので俺もぎゅ、と凛さんを抱きしめ返すと何故か体がくっつかない。それに気付いて一度唇を離すと俺たちの間には挟まれたおにぎりのぬいぐるみが。

「…っは、あはは!」
「あはははっ!」

思わず二人で笑ってしまう。可笑しい。だけど楽しくて愛しくて仕方がない。凛さんはまだ少しだけ涙を浮かべたまま

「炭治郎君、大好きです。愛しています」

本当に綺麗な笑顔でそう言って再び唇を重ねるのだった。




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