童磨さんから凛さんの前世を聞いた俺は何も言えずに顔面を蒼白にしていたらしい。童磨さんはそんな俺を見て「ごめんね、楽しい話ではなかったよね」と申し訳なさそうにしてくれた。聞きたいと願ったのは俺だ。童磨さんは何も悪くない。それに凛さんの前世は嘘偽りはないのだろう。童磨さんから嘘の匂いがしたのはそれこそ最初だけだったから。凛さんの前世の話をしている時の童磨さんはからはずっと悲しい匂いがしていた。

その後、童磨さんと別れてどうやって家に帰ったか覚えていない。気付けば俺は部屋で膝を抱えてずっと凛さんのことを考えていた。贖罪者参になるほどの、千人以上の人を間違いなく殺した凛さん。どんな理由であれ人殺しは許されるものではない。……そう思っていた。

「でも、先に手を下したのは……」

先に凛さんの両親を殺したのは人間で、凛さんは復讐として街の人達を皆殺しにした。許されることではないんだ。でも、両親さえ生きていれば凛さんはきっとそんなことをしなかった。引き金を引いたのは──人間だ。

『生きたまま焼かれたわ』

思い返せば謝花さんだってそうだった。鬼の手を取らなければ自分も兄も死んでいたと。最後の一線を越えてしまったのは間違いなく人の悪意で…

『ですが、鬼の手を取ったのは本人の意思でした。それが最大の間違いなんです』

凛さんの言葉が頭を過ぎる。
鬼の手を取るまでに追い込んだのは人間で、だけど鬼の手を取ると決めたのは贖罪者で。何が善で何が悪か。……こんなのはもう…

「お兄ちゃん」
「ぅ、わ!?」

いつの間にか部屋に入ってきてた禰󠄀豆子が俺の顔を覗き込むようにして声をかけてくる。あまりにも大袈裟に驚いた俺を見て禰󠄀豆子もまた驚いたように目を丸くしている。

「びっくりした…なんだ、禰󠄀豆子?」
「辞書を借りにきたんだけど…」
「あ、ああ。辞書か。辞書だな!」

禰󠄀豆子にそう言われて立ち上がり辞書を手に取る。…全然気が付かなかった。家では良いけど外を歩くときは車とかに気をつけなきゃな…

「はい、禰󠄀豆子」
「ありがとうお兄ちゃん。…ねえお兄ちゃん、何かあった?」
「え?」
「今日…ううん。最近悩んでることが多いわよ。特に今日は変」
「そ、そうかな…」
「…その。私が聞ける話なら聞くわよ?」

禰󠄀豆子は俺がきっとあの夜の…鬼について悩んでいるんだと思っているんだ。そのことを知ってるのは自分と俺だけだからと。…禰󠄀豆子は優しいな。心配させてしまうなんて申し訳ない。

「ありがとう、大丈夫だよ。俺は別に──」
「お兄ちゃん」

にっこりと。禰󠄀豆子が有無を言わせない笑顔を浮かべている。私に嘘は通用しないわよ?とその笑顔が語っていて、我が妹ながら察しがいいというか勘がいいというか。ここで無理矢理禰󠄀豆子を追い返しても更に心配させるかもしれないし、そもそも心配してくれた相手をもっと不安にさせるようなことはしたくなかった。

「…禰󠄀豆子、あのさ」
「うん」
「もし、もしもの話なんだけどな。…凄く幸せになってほしい人がいて。本当に優しくて良い人で。…だけどその人が過去にとんでもない罪を犯してしまっていたとしたら、禰󠄀豆子ならどうする?」
「どうするって?」
「えっと……どう、…自分なら、その人にどう接するべきというか、なんというか…」

駄目だ。自分の中で考えがまとまってないというのに禰󠄀豆子に何を聞きたいかなんて分かるはずがない。俺は結局、凛さんの前世を聞いて自分がどうあるべきかそれが見えてこなくて。

「そんなの。お兄ちゃんはいつも自分の大切な人の味方になってくれるじゃない」

だというのに。
禰󠄀豆子は何も迷わずにそう言い切った。

「…え?」
「だってお兄ちゃん。前世では鬼になってしまった私の味方でいてくれてたのよ?鬼というだけで軽蔑され迫害され…一緒にいるお兄ちゃんだって殺されてもおかしくなかったのに」
「そ、それは…」
「お兄ちゃんにはきっと、一般的にはとか。普通ならとか。そういうのは通用しないのよ。俺が大切だから、俺が幸せにしたいから。何が自分にとって一番大切か本能で分かってる。難しいことをいっぱい考えたとしても、お兄ちゃんの心なんて実はとっくの昔に決まってるのよ」

心当たりあるでしょ?と禰󠄀豆子が可笑しそうに笑う。そんな禰󠄀豆子の言葉にまるで霧が全て晴れたかのような錯覚に陥った。

鬼と人間とか。前世の罪とか。人を殺してしまった事実とか。目を瞑ることは出来ない難しい問題をたくさん知ってしまった。頭なんてパンク状態だ。どうしたら良いと柄にもなく沢山悩んだ。その根底にはずっと──凛さんを幸せにしたいという思いがあったことに気付かずに。

「禰󠄀豆子、禰󠄀豆子…!すごいな禰󠄀豆子は!ありがとう!」

禰󠄀豆子の手を取ってぶんぶんと振れば禰󠄀豆子もまた嬉しそうに微笑んでくれる。
俺は禰󠄀豆子が気付かせてくれた気持ちを胸に明日の凛さんとのお出かけを楽しみに……一睡も出来なかったのだった。



[ 20/25 ]



×
- ナノ -