あれからどのように過ごしたか覚えていない。鞄は持ってるから6限目には出て、ちゃんと帰り支度は済ませたのだろう。
謝花さんの言葉がずっと頭の中をぐるぐると回っていて何も考えがまとまらない。彼女は怒りでも呆れでもなく、確かに俺のことを軽蔑していた。


── アンタ達は本気で向き合う気がないの?鬼だったとはいえアタシ達を殺したっていう現実と


「炭治郎君?」

聞き覚えのある声にゆっくりと顔を上げると凛さんが目の前にいる。どうして。もう怪我は治ったのかな、とか。夢かな、とか。全然頭が働かない。

「どうしたんですか、もう日が暮れますよ。こんなところにいちゃ危ないです」

凛さんの声に少しだけ状況の整理が出来た。俺はどうやら以前凛さんと一緒に休んだベンチにずっと座っていたらしい。ここは人もあまり寄り付かないから無意識にそういう場所に足が向いたのか、もしかしたら凛さんに会いたくて足が向いたのか。何も思い出せない俺にはその答えは分からなかった。

「凛さん……?」
「はい、凛さんです。日が暮れる前に帰りましょう」

夜は物騒なんですからね、と凛さんが優しく帰るように促してくれる。凛さんに言われた通り確かに辺りは暗くなり出していて日が沈むのも時間の問題だろう。だけどどうしても帰る気になれなかった。あの居心地の良い家に。当たり前のように用意された幸せな暮らしに。そんな暮らしを夢見ることすら叶わなかった少女の話を聞いて罪悪感を覚えていた。…そんなことを考えたところで何の意味もないというのに。

「もしかして具合が悪いんですか?…顔色も悪いですね。良ければ送っていきますよ?」
「凛さん……」
「はい?どうしました?」

名前を呼べば凛さんは俺の顔を覗き込んで返事をしてくれる。いつも優しくて一緒にいるとこっちまで優しい気持ちになれる凛さん。でも、彼女も謝花さんと同じ今世での鬼狩りであり贖罪者だ。それは前世では鬼となり罪を犯したという証拠。……例えそれがどれだけ信じられないことでも。

「その………凛さんも、前世で、鬼になったんです、か…?」

俺の言葉に凛さんは少しだけ驚いた顔をして何も言わずに俺の隣へと腰を下ろした。聞いては、いけないことだっただろう。誰だって前世の罪を掘り起こされたら気分は良くないだろう。それは、俺自身が一番身に染みて分かっていたというのに……

「はい。なりました」

だというのに凛さんは嘘偽りのない匂いをさせて俺の質問に答えてくれた。

「………人を殺したんですか?」
「はい。たくさん殺しました」
「…………」
「えっと、幻滅されちゃいましたよね。ごめんなさい。自分の犯した罪なので隠す気はないんです」

じゃあ、と立ち上がった凛さんの手を咄嗟に掴んでしまう。凛さんは不思議そうに掴まれた手と俺を交互に見てはぁ、と小さな溜息をついて再び俺の隣へと腰を下ろした。

「炭治郎君。何か他に言いたいことがあるんですね?」
「………俺…」
「大丈夫。ちゃんと聞いてますから、落ち着いて。ゆっくり息を吸って…」

ぽんぽん、と背中を優しく撫でられる。
──俺にそんな資格、ないのに。

「俺は…俺も、人殺しなんです」
「え?」
「謝花さんに言われました。『鬼だったとはいえアタシ達を殺した』と…。俺、前世では沢山の鬼を斬ったんです。それが、俺の仕事で……禰󠄀豆子を人間に戻すための手がかりになるって信じて……」

必死だった。唯一生き残ってくれた禰󠄀豆子をどうしても失いたくなくて。珠世さんに出会って強い鬼の血を採れれば禰󠄀豆子を元に戻すことが出来るかもしれないと言われて。結果、禰󠄀豆子を人間に戻すことが出来た。その行い自体に後悔は微塵もない。でも俺は、俺はいつからか。鬼は元々人間だったということを考えることすらやめていたのではないか……?

「そんなことないって言えませんでした。鬼を斬ることは可哀想だけど「仕方がない」ことだと。…そうやって心の中で勝手に言い訳をして同情をして……結局俺のやっていたことは鬼であった人達と何の変わりもない。命を奪う行為だったんです」

禰󠄀豆子を人間に戻し救うことが出来た。それなら俺は何故、その気持ちを他の鬼にされた人にも向けることが出来なかったのか。結局俺は自分の周りにしか目を向けられなくて、彼等と等しく殺戮という行為を行なったのに今世では真っ当に生きることを赦されている。目の前の彼女や謝花さんにも理由があり思いがあったはずなのに、彼女達は真っ当に生きることを赦されなかった。──そんなの、おかしいじゃないか。

「炭治郎君は本当に優しいんですね」
「え……?」

凛さんは笑っていた。
本当に、本当に慈しく。

「炭治郎君は人殺しじゃありません。堕姫ちゃんに何を言われたかは知りませんがそれは私が断言します」
「違います!俺は確かにこの手で鬼の頚を…!」
「鬼以外は斬っていないんですよね?」
「は、い……鬼以外は、斬っていません、けど…」

じゃあ大丈夫です!とやっぱり凛さんは、それこそ自分のことのように嬉しそうな笑顔を向けてくれる。

「私達は鬼にされた時点で死人なんです。稀に例外はありますがほぼ全ての鬼が鬼にされた時点でその生涯を終えています。ほら、鬼は死体も残らないでしょう?」
「それは……」
「鬼は死に切れなかった人間の末路なんです。それを鬼の才能なんてふざけた言い方をすることもあります。人間として生きることが出来なくなった代わりに人間では得れない様々なものを鬼は取得します。強大な力。特殊能力。再生能力。寿命。そんなものを持ってしまった「化け物」を野放しにする方が罪ですよ」

凛さんは優しく微笑みながら、きっと事実を語ってくれている。鬼になった時点でその人は終わりだと。それを野放しにしなかった俺は何も悪くないと。でも──

「でも、凛さん達も生きたかったんじゃないんですか?」

謝花さんは後悔していないと言っていた。鬼のならなければ自分も妓夫太郎さんも死んでいたからと。

「鬼になってしまったのは……いや、鬼になるまで追いつめたのは俺達人間、なんですよね…」
「確かに私達は追い詰められて鬼の手を取った者がほとんどでした。堕姫ちゃん達が人間に追い詰められたのも本当のことです。ですが、鬼の手を取ったのは本人の意思でした。それが最大の間違いなんです」

凛さんはよいしょ、と立ち上がって空を見上げる。日はとっくに暮れていて辺りも薄暗く景色を変えていた。

「鬼に同情なんてする必要はありませんよ。事故に遭って亡くなった人全てに同情をしていたらキリがないでしょう?鬼はその時に死に損なってしまった人が八つ当たりで人殺しをしているようなものなんです」

それは間違いなく真理だった。
前世の頃より平和になった今世でも毎日命は失われている。それは事故であったり事件であったり。唐突にその命を終えるものの無念は想像を絶するものだろう。その全ての命に向き合っていたらこちらの心が壊れてしまう。
だから鬼はそういうものだと。運の悪い被害者がたまたま死に損なってしまったものだと割り切るしかないと凛さんは言ってくれている。

「…でも、ありがとうございます。私達のことを人間だったと言ってくれる人がいるなんて思いませんでした」
「え…?」
「だけどそれはもう今日で終わりにしましょう。炭治郎君は鬼のことなんて忘れて今生は楽しく普通の暮らしをしてくださいね!」

凛さんはそう言って闇の中へと消えて行ってしまった。
今のはつまり、凛さんは鬼になった時点で人間扱いされることがなくなってしまったということだろうか。それはもしかしたら、今世でも…?

(……誰が凛さんのことを人間扱いしていないんだ?)

学校でも評判の優しい先輩である凛さん。凛さんの名前を出せば誰もが「良い人」だと彼女を称賛する。彼女が過去に鬼となって罪を犯したなんて言っても信じる人はいないだろう。

「……凛さんを、赦せていないのは…」

それしか思い付かなかった。彼女は一体過去にどれほどの罪を犯したのだろう。きっと知ったら後悔する。だってそれを知ったら俺はまたどちらが鬼か分からなくなると確信していたから。




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