凛さんが起きる気配はない。この雑踏の中でも眠れてしまっているのだから相当疲れていたのだろう。俺は目の前に現れた男に軽く頭を下げた後、口元に指を一本当てると男は俺の意図に気付いたように小声で話をかけてくる。

「まさか凛ちゃんが誰かと一緒にいるところに出くわせるなんてね。君は凛ちゃんのお友達?」
「えっと、はい。竈門炭治郎といいます。貴方は……童磨、さんでしたっけ?」

あの夜のことはよく覚えていた。それこそ凛さんが目の前の男を「童磨」と呼んでいたのも俺は覚えていて。男…童磨さんは俺の言葉に驚いたような顔をした後、人懐っこい笑顔を浮かべる。

「あれ、俺名乗ったかな?」
「いえ、凛さんが呼んでいたのを覚えていて」
「そっかそっか。君は記憶力がいいんだねぇ」

すごいすごい、とまるで子供をあやすように童磨さんは嬉しそうに言葉を続ける。なんというか、掴みどころのない人だ。

「これって凛ちゃん生きてる?」
「え?い、生きてますけど…?」
「良かった!昨日あのまま帰しちゃったけど途中で死んでたらどうしようかなーって心配してたんだ。そうなったら悲しくて泣いてしまうかもしれないよ」

どこまで本気なのか分からない言葉を童磨さんは続ける。なに、を。昨日?死んでたらどうしよう?確かに凛さんの顔色はとても悪かったし苦しそうにしていたけどそこまでの怪我を負ったっていうのか…?どうしてそんな軽く口に出来るんだ…!?
俺の様子に気付いた童磨さんが困ったように眉を下げた。

「あれ?何か怒ってる?…ごめんねえ、俺まだ人のココロに疎くてさ。怒ってるなってことは理解出来るんだけど、その理由までは分からないんだ」

そう言って童磨さんは本当に申し訳なさそうにもう一度ごめんね?と口にする。嘘の匂いが全くしない。この人はふざけているわけではなくて本当にこういう人なんだ。

「いえ、俺のほうこそすみません…あの、昨夜も凛さんは鬼狩りをしていたんですか?」
「うん、してたよ」

話の流れや凛さんの状態を見て、尋ねる必要もない問いに思った通りの答えが返ってくる。凛さんは、いや。凛さん達は俺達と同じような生活をしながら夜はその身を削りながら鬼狩りをしている。童磨さんは言った。「死んでたらどうしようかな」と。それほどの傷を負っても凛さんは鬼狩りを続けなければならないというのか。

「あの…なんで童磨さんや凛さんは鬼狩りをしているんですか?」

凛さんは「私達はそういう存在」だと言っていた。そういう存在って結局のところどういう意味なのか俺には分からなかった。選ばれた人ということなのか、特別な力を生まれもった者ということなのか。どれだけ考えても分からなかった答えを童磨さんは

「ん?俺達贖罪者は鬼狩りをしないと殺されちゃうからだよ?」

あっさりと信じられない言葉を口にした。


***


アタシには前世の記憶があった。人間の時の記憶から鬼として人を殺しまくっていた記憶まで何もかも。覚えていても胸糞悪い記憶ばかりの中、お兄ちゃんのことを忘れなかったことだけはホントに嬉しくて。お兄ちゃんは生まれ変わってもお兄ちゃんのままでいてくれて前世のことも全部覚えていたからアタシ達は無敵だった。

だけど境遇は昔とは全然違った。
ここは花街でもなければアタシ達は両親に望まれて生まれた命だった。前世では手に入れたことのなかった親からの愛情、歩いているだけで罵られることのない日常、当然のように用意される衣食住。ハッキリ言って私もお兄ちゃんも戸惑ったわ。それこそ前世の記憶が邪魔をしてね。それでも人ってものは段々と順応していくもので、私もお兄ちゃんもこの恵まれた生活に慣れていった。父も母もアタシ達の親とは思えないほど穏やかな人達で、アタシが癇癪を起こしかけてもまあまあ、なんて言って宥めてしまう。お兄ちゃんも昔のまま優しい。この世界で普通に生きてみたいと、十歳になる頃には現状をほぼ飲み込めていた。


「ムザン派生の鬼。上弦の陸。堕姫と妓夫太郎だな?」


お兄ちゃんと帰り道を歩いていると突然そう声をかけられた。それはアタシとお兄ちゃんの前世の、そして鬼の時の名前だ。声を発したのは一番前にいる小さな……フードを深く被っているうえに声も中性的で性別が分からない。そしてそいつの後ろには同じようにフードを被った連中が二人立っている。

「あぁ?なんだあぁお前」
「貴様達には贖罪の義務がある。贖罪者として鬼狩りを務めるか今ここで死ぬか、好きな方を選べ」
「……はぁ?」

何を訳の分からないことを。
死ぬ?なに、それって

「アンタがアタシ達を殺すってワケ?」

そいつは全く動じない。アタシとお兄ちゃんは思ったわ。馬鹿ね、コイツらって。
アタシとお兄ちゃんには特別な力があった。それこそ血鬼術の名残りだろう。お兄ちゃんは血液を膨大に増やし操ることが出来る。アタシは布なら何でも操ることが出来た。コイツらが何なのか知らないけれど、アタシ達を殺すつもりならこっちだって殺してもいいわよね?

「はっ、アンタが死になさいよ!」

そう言ってアタシは持っていたストールを武器へと変えてフード野郎へと放つ。避けられるはずないわ、ただの人間に!

「血鬼術を確認」

そんな声が聞こえたと思ったらストールはフード野郎に届く前にぼろぼろに焼け焦げてその姿を消した。は?と惚けてるアタシを背に隠すようにお兄ちゃんが前に出るが、お兄ちゃんも目の前にいる連中が異常なことを理解したらしい。お兄ちゃんはアタシよりも理性的だった。コイツらは殺せない。だけどアタシだけは逃がそうとしているのが分かる。そんなの──

「イヤよ!アタシも一緒に闘う!」
「ふざけんなぁ、足手纏いだ」
「イヤ!!アタシ絶対に逃げないから!」

もう二度と離れたくない。お兄ちゃんがいない世界に意味などないのだから。

「鬼を狩るんです」

フード野郎の後ろに立っている一人が声を上げる。高い声で女のものだと分かる。フード野郎もその声を止めることなくアタシ達を見据えたままだ。

「今の時代にも鬼はいます。私達は前世に人を殺しすぎました。その贖いをしなければなりません。贖罪者となり、人間の世界を守る。それが私達に赦された生き方です」

淡々と。感情の感じない声で女が言い切る。鬼?こんな平和ボケした時代にもまだ鬼がいるって言うの?ていうか──

「は!?前世!?なんで前世の──」
「梅ぇ、条件を飲むぞぉ」
「え、お兄ちゃん…!?」

お兄ちゃんの言葉に言葉を止めてしまう。なんで?前世なんてそれこそ生まれ変わる前のことでしょ?どうしてそんなことを償わなければいけないの?

「贖罪者として人間のために尽くすことを誓うんだな?」

フード野郎がお兄ちゃんに問う。

「鬼を殺しまくればいいんだろぉ?人間を殺したことは咎めるくせによぉ」
「おかしなことを言う。鬼と人を同じ勘定に入れているのか?あれは害虫のようなものだ。全て殺せ」

そう言ってフード野郎は踵を返す。フード野郎に続いて後ろにいたもう一人のフードもその後に続く。さっき口を開いたフードの女だけを残して。

「凛」

後ろを向いたままフード野郎の声が響く。

「この地域の責任者はお前だ。何かあった場合の全責任、処分はお前に降ることを忘れるな」
「はい、心得てます」

そしてフード野郎ともう一人はそのまま姿を消してしまった。残ったのはフードを被ったままの女とアタシとお兄ちゃん。
意味が分からない。はぁ?贖罪の義務?人間の世界を守る?頭おかしいんじゃないの?

「納得いかないって顔ですね、お二人とも」

そう言ってフードを取った女は、アタシと同じくらいの歳の女で

「私は凛。前世の名ですが今はこちらに統一しています。よろしくお願いしますね、堕姫。妓夫太郎」

そう言ってアタシ達に手を差し伸べた。
それが凛とアタシの最悪の出会い。



[ 11/25 ]



×
- ナノ -