時計を何度見ても約束の時間からは既に30分以上が経過していた。そういえば俺は凛さんの連絡先を知らない。なにか、何か彼女の身に起こったのだろうか。それとももしかして、……いや、彼女は故意に約束を破る人ではない。何より楽しみにしてると、そう言って輝くような笑顔を向けてくれたのを俺は覚えている。
「……炭治郎君、」
弱々しく、けれど間違いなく聞き覚えのある声で名前を呼ばれ振り返るとそこには凛さんの姿があり安堵する。良かった、と思うのと同時にその異常に気付き思わず眉を顰めてしまう。
「凛さん……?」
「あれ、遅れちゃいました…?ごめんなさい、待たせてしまいましたね…」
そんなことを、凛さんは口にする。待ったとか待たせたとか。そんなことどうでも良くなるくらい──凛さんの顔色は蒼白で。
「凛さん、具合が悪いんですか…!?」
「え?大丈夫ですよ…?」
そんな、匂いなんて嗅がなくてもどこからどう見てもすぐバレる嘘を凛さんが口にする。よく見れば異常なほど発汗しているし、熱があるのかもしれない。
「凛さん、一先ず座りましょう。体調が悪いのなら今日はこのまま帰ったほうが…」
「え…わたし、今日を凄く楽しみにしてたのに…」
よほど具合が悪いのか、いつもは敬語で喋っている凛さんの口調が崩れている。それがあまりにも弱々しくて……その、こんなに弱ってる凛さんに向けて抱く感情じゃないのは分かっているのだがあまりにも可愛らしくて。凛さんが望むことなら何でも叶えてあげたくなってしまう。が、それは体調が万全なことが前提だ。俺は凛さんを近くのベンチに座らせてその横に並ぶように腰を下ろした。
「そんなの、今日じゃなくてもいつでも連れていきます。それよりも凛さんが心配なんです。具合が悪いんでしょう?」
「…………」
凛さんは観念したかのようにこくり、とゆっくり頷く。いつもの笑顔はなく、ただただ苦しそうに顔を歪めている凛さんが心配で堪らない。
「病院に行きますか?俺、連れて行きます」
「いえ…自分で治したほうが、早いので…」
治す、と凛さんは口にした。それは初めて会った時に俺の傷を直してくれたようにということだろうか。やっぱりあれは凛さんの力だったんだな。そして治すということは──
「……怪我をしてるんですね?」
「…………」
「凛さん、俺は貴女が鬼狩りをしてることを知ってます。だから、俺には隠さないでください」
俺の言葉に凛さんが伏せていた顔を上げる。その目には少しだけ涙が滲んでいて、苦しい匂いをさせて。やがて観念したのか凛さんは症状を教えてくれ、それは信じられない内容だった。昨夜、油断をして鬼に脇腹を抉られてしまったと。見た目だけは治せたものの中身?は何も治っておらず今も激痛が襲っているのだと。
「なっ──んで、そんな状態で来たんですか…!?」
「だ、だって……」
しゅん、と。怒られた子供のように凛さんがまた目を伏せてしまう。…違う。なんで、じゃない。俺は知ってるんだ。この人はこういう人だって。自分ではなくどうしてか「他人」を優先してしまう人なんだ…
「ごめんなさい、俺のためですよね…?」
今日、俺と約束さえしていなければ凛さんは療養に専念出来ていただろう。無理をさせたのは間違いなく俺との約束で、それを責めるのはお門違いだ。そんな俺の言葉に凛さんは首を横に振る。
「…いいえ、違います。わたしが、炭治郎君に会いたかったんです」
「え?」
「だからこれは、私が自分のために勝手にやったこと、なんです」
結局迷惑をかけてしまってごめんなさい、と凛さんは申し訳なさそうに謝ってくれるが俺は凛さんの言葉が正直嬉しくて堪らなかった。凛さんはああ言ってくれたけどこの人は俺を待ちぼうけさせたまま無視出来るような人じゃない。だから「俺のために」ここまで来てくれてのも間違いなく理由の一つではあるだろう。だけど。凛さんが会いたかったから。確かにそう言ってくれた。俺に会いたいと思って、痛い体を引きずってここまで来てくれたというのなら──なんて、健気な。
「凛さん、ありがとうございます。でも今日は帰りましょう。家まで送ります」
「………」
凛さんは俺のことを悲しそうな表情で見つめる。なんていうか、弱っている凛さんはいつも以上に素直だ。それこそいつもなら二つ返事で承諾しそうなことでも今日はなかなか折れてくれない。もしかして、これが本当の凛さんなんだろうか…?でもですね。
「そんな顔しても駄目ですよ。傷が治ったらゲームセンターでもどこへでも連れて行くって約束しますから、今日は帰って休みましょう」
「…残念です」
「ああもう!そんな泣き出しそうな顔しないでください…!えっと、歩けますか…?場所さえ教えてくれたらタクシーでも拾って」
「…その、乗り物は」
路面の悪い道などの衝撃に耐えられる気がしないと凛さんが申し訳なさそうに言う。そこまで痛むというのにこの人は…!だけど歩くのも辛そうだ、というかこんな状態の凛さんを歩かせたくない。
「炭治郎君、その良ければなんですけど……肩を、貸してもらえませんか?」
「え?ど、どうぞ」
凛さんの申し出をすぐに承認すれば凛さんは迷うことなく俺の肩にもたれかかってくる。良い匂い、だな。なんて呑気なことを考える場合じゃないだろう炭治郎…!
「……炭治郎君といると、楽しいです」
凛さんが独り言のように呟く。意識も朦朧としているのか呼吸も少し荒い。出来ればこのまま眠らせてしまったほうがいいだろう。だけどそんなことを言われて無視を出来るはずもなく。俺はいつもより声量を落として凛さんの言葉に返事をした。
「俺も楽しいです」
「優しくて、真っ直ぐで…どうして私なんかを慕ってくれているんだろうって…不思議で仕方がなくて…」
凛さんの声はどんどん静かになっていく。どうして、なんだろうな。凛さんには聞きたいことがあった。もう二度と会えないかもしれないと思った凛さんに入学式で再会出来て、絶対に鬼のことを聞きたいと思っていたんだ。
でも俺はそれ以上に。あの夜の凛さんの姿が忘れられなかった。強く美しく、夜を駆ける少女。その姿があまりにも神秘的で、目を奪われた。
「凛さん、俺は……」
と言葉を続けようとしたところで凛さんの寝息が聞こえていることに気付いた。良かった、眠れたみたいだ。昨夜傷を負ったということはもしかしたらほとんど眠ることも出来てなかったのかもしれない。
鬼を狩るために夜を駆ける凛さん。それを知っているのに何もせずに放置している俺。
何か手伝えることはないのだろうか、と凛さんに言われたように特別な力がないか色々試してみたが、色々試したところで特別な力とは何のことなのか皆目検討がつかず徒労に終わった。呼吸だって勿論使えない。精々肺活量が鍛えられるくらいだ。
「はぁ…不甲斐ないよなぁ……」
こんなに苦しい思いをしている人が近くにいるというのに何も出来ないというのは歯痒かった。せめて何か、何か一つでも彼女の助けになれればと思うのだけど…
「あれ?凛ちゃん?」
凛さんを呼ぶ声に反応すればそこには
「あ、あの時の。うわぁ久しぶりだねぇ。元気にしてた?」
以前凛さんと一緒に行動していた長身の男が俺達の目の前に立っていた。
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