託した約束


凛が笑っている。昔と何も変わらない俺の好きな笑顔で、だけど目には上弦の陸を刻んで。敵意も殺意もない。凛はここで俺に斬られることを望んでいるんだ。凛はきっと、そのために鬼となり上弦の鬼まで登り詰めたのだろう。いや、違う。鬼になる前から凛は俺のことばかりを考えて優先して。俺に悟られないよう裏で手を回しては俺が生きやすいように導いてくれていたのだ。

「天元様。上弦の鬼の頚です。これを斬れば、天元様は地位も、お金も、何も困らなくなるんです。やっと人並みの幸せを手に入れることが出来るんですよ」

良かった、と。凛は嘘偽りのない笑顔を浮かべる。良かった?何が良かったと言うのか。どうしてお前はいつも──

「……なんでなんだよ」
「天元様?」
「どうして、そうまでして俺の幸せを願うお前が、いつも俺の隣にいないんだ!」

凛が導く道はいつだって俺にとって未来があり、凛にとっては未来がない。凛は俺の幸せに自分がいらないと勘違いしている。俺はただ、お前と笑い合えていればそれで良かったんだ。嫁達は勿論大切だ。でも、凛に嫁になってほしいと伝えたあの時。凛が嫁になってくれないなら嫁なんていらないと本気で考えたくらい俺にとって凛はかけがえのない存在だった。

「私はもう、十分頂きましたから」
「何を……っ」
「何もなかったんです。楽しいとか、愛しいとか。そんなこと感じたことがありませんでした。──天元様に出会うまでは」

凛は懐かしむように目を細める。そんなの俺だって同じだった。救護係として凛が来て俺の世界は変わった。最初は絶対に殺してやると、憎悪の対象でしかなかった凛。日に日に凛に会うことが一番の楽しみになるなんて思ってもなかったんだ。

「優しい天元様。そんな天元様にどうしても幸せになってほしかった」
「…俺だって同じだ凛。凛に幸せになってほしかった。俺は、凛を幸せにしたかった……!」

堪えることの出来ない涙が凛にぼたぼたと落ちる。そんな俺の頬を宥めるように凛の手が優しく触れて、ますます涙が溢れてしまう。どうしてこんなことになってしまったのだろう。あの日、無理矢理凛の手を引っ張って里を抜ければ良かったのだろうか。それとも、父に頼んで凛を嫁にしてしまえば良かったのだろうか。だが、そこに凛の意思はない。凛の意思を無視することは凛の想いを踏み躙ることになる……


『ごめんなさい天元様。私、幸せにしたい人がいるんです』


その時、凛に言われた言葉を思い出した。
凛は幸せにしたい人がいると言って俺の気持ちを断った。全く誰か分からないその相手に嫉妬もしたし落胆もした。忘れられるはずのない、凛の拒絶の言葉。

「……凛、覚えてるか?」
「何をですか?」
「凛は幸せにしたい人がいるって、俺を振った。…今でもそいつのことが好きなのか?」

俺の言葉に凛は少しだけ沈黙した後、寂しそうな笑顔を浮かべた。

「はい、好きです」

あの時と何一つ違わない返事。違ったのは、凛の気持ちが痛いほど俺に届いていること。

「…そいつもお前のことが本気で好きだったんだぜ」


***


そんなこと、とっくの昔に知っていた。
だってあの時の天元様は間違いなく本気で私を嫁にしたいと言ってくれていたから。私も天元様が好きだった。だからこそ、天元様の想いは受け取れなかった。一つは天元様にとって一番の存在になれば父様の策が成ってしまうから。
もう一つは本当の感情が何か分からない私より、ちゃんと人間らしい人に天元様を託したかったから。結局は見せかけの感情を振りかざす私よりも、あの子達のほうが天元様の心を溶かしてくれる。同じ傷を舐め合うよりも、痛みを包み込んでくれる優しさに触れて欲しかった。優しさは決して、弱さではないと身をもって知ることが出来るから。

でも、こんな風に泣かせたくなかったな。私は天元様と親しくなりすぎた。最後に辛い想いをするのは天元様だと分かっていたはずなのに、夢のような日々は居心地が良くてつい甘えてしまった。ごめんなさい、天元様。

「天元様」

未だに止まることのない涙を拭っても、じわりと次の涙が溢れてくる。まるで子供みたいに泣いている天元様は本当に忍らしくなくて、とても人間らしい。その事実が嬉しくて仕方がない。

「私の命も心も、全て天元様にあげます。だから、私のことは諦めてください」

たったそれだけのことで天元様は未来を掴める。鬼となり上弦に登り詰めるまでに私は沢山の鬼殺隊士を殺した。一人でも多く殺せば天元様が地位をどんどん確立出来ると信じていたから。血に塗れた私が天元様の側にいることは許されない。私は今日、ここで死んで天元様を柱にするためだけに鬼の手を取ったのだ。

天元様はどうしても頷いてくれない。その優しさが好きでした。

「天元様」
「凛……」
「最期は、愛した人の手で終わらせてくれませんか?」

私の言葉に天元様の目が見開かれる。伝えるつもりはなかった。だけど、天元様は優しい人だから。きっと私の意を汲んでくれる。それは宇髄天元という優しい人と長年過ごしてきた私にとって確信が持てることだった。

「やっぱりお前、俺のこと好きだったんじゃねえか…」
「あは、そうですよ」
「……見る目、ありすぎだろ」
「はい。私もそう思います」

あの日。差し伸べられた手を握らなかった時と同じような会話を交わす。もしあの時、自分の気持ちに素直に天元様の手を取っていたら私は私を許せなかっただろう。だけど、最期くらいは許してほしい。私は間違いなく宇髄天元が好きだった。好きだからこそ、幸せになってほしくて。気持ちに応えられないのなら私の全てを捧げてでも幸せにしようとあの時誓ったんだ。

我ながら、上出来でしょう?

「凛、一つだけ約束をしてほしい」

天元様が覚悟を決めた瞳をしている。やっぱり優しく強い人だ。自分のためには私を斬れないけど、私のためなら斬ることを選んでくれた天元様。涙もすっかり止まっていて、その瞳に迷いはもうなかった。

「今生で、俺はお前の全てを貰う。命も心も全部、俺のものだ。お前の全てを胸に俺は幸せになることを約束する」

あまりにも嬉しすぎる言葉に今度は私の目に涙が浮かぶ。天元様に幸せになってほしかった。そのためだけに今日まで生きてきて、天元様はそれを受け入れてくれた。思い残すことはもうない。

「その代わり、生まれ変わったら俺の全てを貰ってくれ」
「え?」
「生まれ変わったら俺は絶対に凛を探して見つけ出す。その時は凛が俺の全てを貰って幸せになる番だ。来世では俺の全てを凛に捧げると誓う。だから、凛」

天元様の真剣な瞳が私を捕らえる。

「来世では俺の命も心も貰って幸せになると約束してくれるか?」

何を無茶苦茶な。生まれ変わりなんて天元様は信じているのだろうか。それに、もし万が一生まれ変わったとしても今のことを…前世のことを覚えているなんてあるはずがない。なのに天元様は本当に真剣で。冗談でも嘘でもなく、本当に次は私を幸せにしたいと思ってくれているのが伝わってくる。それなら私も、ちゃんと返事をしなければ。

「そうですね…今生で天元様もお嫁さん達も全員幸せに出来たらいいですよ」
「なめんなよ?俺にかかればそんなもん余裕だからな」
「あは、じゃあその言葉が嘘かどうか。…生まれ変わったらちゃんと嘘偽りなく報告してくださいね」

雲を掴むような、それこそ御伽噺のような口約束を私と天元様は互いに笑いながら口にする。まるで昔に戻ったような暖かい時間を噛み締めて、天元様は刀を握り直してくれる。──手の震えはもう止まっていた。

「……またな、凛」
「はい。お元気で、天元様」

最期に私が目にしたのは私を愛おしげに見つめる大好きだった天元様の笑顔だった。






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