肖像画(終)


俺には前世の記憶がある。
片腕も片目も失う戦いに見舞われたが命を取り留めて、宿敵であった鬼という生き物を滅した後はそれはもう平々凡々に暮らせたものだ。俺には三人の嫁がいたが全員子宝にも恵まれて子沢山の我が家にはいつも笑顔が溢れていた。お淑やかな娘からやんちゃ坊主まで。親馬鹿と言われても構わねぇが全員自慢の子供達で、嫁達はそんな子供達の良き母親だった。
戦いの最中散っていった仲間達の墓参りも欠かさず、生き残った仲間達と昔話を嗜んで。そんな平和な世界で俺はひ孫を腕に抱いた日を最後にその生涯を閉じた。嫁達三人は俺よりも長生きをして、全員に「天元様の嫁に選ばれて幸せでした」と眩しいくらいの笑顔で伝えてもらった。俺もだよ。俺も本当に幸せだった。生まれた時から俺には幸せなんて縁のない話だと思っていたんだ。そんな境遇から俺を逃がしてくれた女がいた。いつも楽しそうに笑っていて、いつも勘定に自分が入っていない俺の初恋の女。お前の命も心も全部抱えたまま、俺は生涯を終えたんだ。

俺は約束を守ったぞ。三人の嫁達も子供達も俺なりに幸せに導いたんだ。今生に悔いはない。だから凛。絶対に逃してやらないからな。何度生まれ変わってもお前を見つけ出す。俺の全てをお前に捧げると来世に誓おう。


***


前世の記憶が残っていてまず思ったことは「良かった」ということだ。絶対に忘れないと。そう心に誓ったとしても本当に生まれ変われるのかも、記憶を持ち越せるのかも勝ち目のない賭けのようなものだったのだから。神様ってもんがいるのなら初めて感謝をしたくなるぜ。あとは凛を探し出すだけだと意気込んだ俺は凛を見つけれないまま今年で二十一歳になった。俺だって馬鹿じゃねえ。凛が同じ時代に生まれ変われる可能性なんて無いに等しいことにも気付いていたんだ。それでも諦めれなくて、だけど上手くいかずに高校時代は荒れに荒れて喧嘩もよくしたなあ。番長とよく分からない呼び名も付いたがそんなことどうでも良かった。

結局凛を探し出せないまま俺は母校の美術教師をやっている。諦めたわけじゃねえよ。ただ、先立つものがないと行動にも出れないんだ。今世の俺は地位も金も全然持っていなくて、本当にただの「宇髄天元」だったから。前世で子沢山だった俺は生徒達にも愛着は湧くし、芸術は爆発だと派手にかませるのも悪くねえ。何年か金を貯めて凛を探しに行くまではこの生活を送ろうと心に決めた。


「宇髄先生は肖像画は描かないんですか?」

ある日、一人の女生徒にそう問いかけられた。俺は確かに肖像画をちゃんと描いたことがない。描きたい相手が目の前にいないから逃げていたのだ。もう声も思い出せない。だけど笑顔だけは。あいつの笑顔だけはいつだって鮮明に思い出せるんだ。

「…いっちょ描いてみるか」

女生徒は完成したら見せてください!と言っていたけれど結局その生徒が卒業するまでその絵が完成することはなかった。何かが違うと。描いては塗りつぶし、描いては破り捨て。どうしても納得が出来ずに月日だけが過ぎていく。思い出の中のあいつはこんなにも鮮明なのに、形にすることが出来ない。もしかしたら俺は、自分で思ってるよりもあいつのことを忘れてしまっているのかもしれない。

「……凛」

名前を呼んでも返事は返ってこない。結局俺は肖像画の表情だけを完成させることが出来ず、その絵を未完のまま布をかけて放置するしかなかった。そろそろ潮時だなと。金も大分貯まったし、今年で教員としての生活を終わりにして凛を探す旅に出ようと決めた。きっとこの時代に生まれてきてくれていると信じて。



桜が舞う季節になり、新入生が期待に胸を膨らませて門をくぐる。こいつらが俺の最後の生徒になるだろう。賑やかな風景を目に焼き付けていつものように美術室へと足を向けると布がかけてあったはずの未完の肖像画の布が取られていて、その前に佇む一人の女生徒がいた。

「───」

女生徒は俺に背中を向けている。顔なんて全く見えない。だけど何故か。どうしてだか確信があって俺は言葉を発することも出来ずにその後ろ姿を見つめ続けることしか出来なかった。
やがて、その女生徒は背中を向けたまま声を発した。


「あは、酷いなぁ。私の顔忘れちゃったんですか?」


もう声も思い出せなかった。それでも、一度聞けばまるで全てがあの時に戻ったかのように記憶が俺の頭を巡る。その軽薄な笑い方も。ちょっと高めのソプラノも。全部、ぜんぶ、俺の心に確かに残っていたものだ。

「…………凛、」

思っていたよりも随分掠れた声が出た。夢なんじゃないかと。俺は都合の良い夢を見ていて、瞬きをすれば目の前の光景は消えてしまうんじゃないかって。我ながら情けない想像ばかりしてしまう。そんな俺の想像を蹴散らすようにその女生徒は振り向いて俺の記憶にある笑顔と全く同じ笑顔を浮かべた。

「はい。お久し振りです。天元様」

その声に弾かれたように走り抜いて、その存在を確かめるように力強く抱き締めた。ぎゅう、と。もしかしたら痛いかもしれないほど俺は凛を抱き締めて、抱き締めて……凛の手が俺の背中を抱きしめ返してくれたのが嬉しくてもっと抱き締めると腕の中の凛が「ぐぇ」と声を上げた。

「い、痛いですよ!天元様」
「……うるせぇ、絶対に離さねーからな…」
「あは、強引ですね」

これが夢ならもう醒めなくて良い。俺はずっとずっと凛に会いたかった。それは今世だけじゃなくて、前世でもそうだった。俺の目の前で塵になった凛にもう一度会いたいと。叶いもしない願いをせめて来世に託して、必ずもう一度お前を見つけると自分に言い聞かせていたんだ。

「雛鶴とまきをと須磨を幸せにしてあげましたか?」

それは、前世でした約束の話。

「なめるなよ、俺にかかればそんなもん余裕だったからな」

あの時と同じような返事をすると凛は聞き覚えのある嬉しそうな声を上げる。思いきり抱き締めてるせいで表情は見えないけど、凛からは嬉しそうな雰囲気が漂っている。

「天元様は幸せでしたか?」

俺の幸せのために自分の全てを捧げてくれた女がいた。そいつは俺に命も心もくれると言ったのに唯一「自分」だけはくれなかった酷いやつだ。俺はそれが一番欲しかったというのに。だけど、その想いを胸に生きて俺は、

「幸せだったぜ。俺以上に幸せだった奴なんていないんじゃねーの」
「あは、満点の答えですね」
「ただ、お前だけがいなかった」

抱き締めていた凛から一度離れて両肩に手を置いて向き直る。俺の前世はそれはもう順風満帆で幸せなものだったさ。それに嘘偽りはない。だけど、隣にお前がいなかった。それだけが俺の心残りで。今世では絶対に逃がさないと。そして──

「凛。俺は約束を守ったぜ。今度はお前の番だ」

ずっとこの約束を果たしたかった。
必ずお前を見つけ出して、俺は。

「今生では俺の命も心も貰って幸せになってほしい。──俺の嫁になってくれ」

あの日。俺を幸せにするために俺の求婚を断った凛。結構ショックだったんだからな。あれが俺の初恋で、結局初恋相手のことを最期まで引きずる羽目になったんだ。その仕返しに今生では世界で一番幸せにしてやるって決めてるんだよ。ド派手にな。

「天元様…」
「凛…」
「あのですね、私。今十五歳なんです」

………
………………じゅうご?

「は!?お前何若返ってんだよ!」
「失礼な!今世ではまだピチピチの女子高生なんですよ!」
「いや、関係ねーな!俺も前世では十五で結婚したし」
「駄目ですよぉ、天元様が淫行教師で逮捕されたら笑えませんって」

だからですね、と凛はとても可愛らしく。それこそくの一ではなくただの十五歳の女子高生として俺に微笑んでいる。


「卒業したら、私のことをお嫁さんにしてくれますか?」


三年後、俺は初めての肖像画を完成させた。
作品名は「変わらぬ笑顔」








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