月が見てる
月が綺麗だ。今夜はきっと良い夜になるに違いない。そう自分に言い聞かせるのは何回目だろうか。
俺は今、人生で一番緊張していると言っても過言ではない。いやね?俺は確かにいつも恥を晒してる自覚もあるけどさぁ、やっぱり好きな相手に。しかもこんな大切なことを伝えようとしてるもんだから緊張しないわけがない。最終選別の時だってここまで緊張はしなかったぞ。いや、あれはあれで怖すぎて緊張感どころではなかったのだけど。
俺は手にした一つの包みを優しく握ってふぅ、と溜息をつく。どんな反応するかな。驚くかな、とか。喜んでくれるかな、とか。…もし受け入れてもらえなかったらどうしよう、とか。色々な思いが巡る中、待ち人である恋人の凛の音が近付いてくるのが分かる。世界で一番大好きな人の大好きな音。いつもなら少しでも聴こえたら飛んでいくように凛の元へと走っていくんだけど今日はそうはいかない。俺は凛が俺の姿を見つける前にもう一度ふぅーーー、と大きめの溜息をついた。
「善逸!」
俺のことを見つけた凛が嬉しそうな声で俺の名前を呼ぶ。それだけのことがこんなにも嬉しくて、そしてこれからもずっと続くようにと。俺は覚悟を決めて凛の方へと歩み寄る。
「ごめんね、待った?」
「俺も今来たとこ!ごめんね、夜遅くに呼び出しちゃって」
「ううん、私も善逸と少しでも一緒にいられるのが嬉しいから」
そう言って凛が可愛らしく微笑んでくれる。ああ、好きだなぁ。
「凛、あのさ」
「うん?」
「これ……受け取ってほしいんだ」
ちょっと声が上擦ってしまったが、もう後には引けない。俺が包みを差し出すと凛はなになに?と笑顔でそれを受け取って──包みから俺の選んだ簪を取り出してくれた。
「わぁ!綺麗な簪!善逸が選んでくれたの?」
「う、うん…凛のことを想って、選んだよ…!」
「嬉しいなぁ…ありがとう善逸!」
凛が弾けんばかりの嬉しそうな音を鳴らしてくれる。その様子はとても嬉しいのだけど…あれ?
「えと、凛?」
「うん?」
「その、えっと…意味、伝わってる…?」
「へ?意味って──「カアァ!任務!急務!直チニ西ノ町へムカエ!」
凛の鎹鴉が絶妙に空気を読まずに俺達の間に割り込んでくる。え、凛の鎹鴉…!これがわざとじゃないとか嘘でしょ!?
「急務!急務!」
「あいたた!分かったから!ごめん善逸、戻ったらすぐに善逸のところに向かうね!」
鎹鴉に突かれながら凛が申し訳なさそうに俺に言葉を投げる。いや、しょうがないよ。任務だし、急務って言われてるしさ?それに凛にそんな寂しそうな音をさせられたら何も言えなくなるわけ。
「…凛、気をつけてね!」
俺の言葉に凛は少しだけ名残惜しそうにした後、俺の大好きな笑顔で「すぐに帰るからね!」と言ってくれた。それだけで今日は良いじゃないか。その、目的のものも、渡せたし…
「……はぁーーー…」
やっぱり察してもらうよりも直接言葉にしたほうが良かったかもしれない。だけど俺だってさぁ、一世一代の告白は少しくらい格好つけたかったわけ!だけど伝わらなかったら意味もなくて…
緊張しすぎてどっと押し寄せた疲れの中、空を見上げるとやっぱり月は変わらず俺を綺麗に照らしていた。
***
「凛ちゃん助かったわぁ!今回は鬼の数が多くて…駆け付けてくれてありがとう!」
「いえ!甘露寺さんがいてくれたから滞りなく済みました。こちらこそありがとうございます!」
私が現場へ駆けつけると多くの鬼から人を守りながら戦っている恋柱、甘露寺さんの姿が目に入った。私が人を守る役を買って出ると甘露寺さんは自由に戦えるようになりあっという間に鬼を倒してしまったのだ。
「じゃあ私はこれで…あっ」
その場を後にしようとした時、私はあることを思い出した。善逸から貰った簪のことだ。とても綺麗で…しかもかなり高価そうな簪を私に渡した善逸の様子はいつもと少し違って、…意味?そういえば善逸は意味が伝わっているかと私に聞いていた。なんだろう。この簪に何か意味があるのだろうか。
「凛ちゃん?」
「あの、甘露寺さん。鬼殺には全く関係のないことなんですけど…聞いても良いですか?」
「もちろん!何でも聞いてちょうだい!」
甘露寺さんは嫌な顔一つせずに優しく頼もしい返事をくれる。その言葉に甘えて懐から善逸に貰った簪を取り出すと甘露寺さんはわぁ!と声をあげた。
「綺麗な簪!」
「えっと…これなんですけど」
「思い出すわ…私のお父さんもお母さんに夫婦になってくださいって綺麗な簪を渡したのよ」
「へ?」
素敵よねー!と甘露寺さんは楽しそうに声を上げる。いや、確かに甘露寺さんのご両親の話は素敵だと思うけれど、ちょっと待って?
「え、簪ってその、夫婦になってほしい人に渡すんですか…?」
「必ずしもそうとは限らないけど…この簪は本当に素敵で、それこそ大切に想ってる人にしかこんな高価なものは送らないと思うわ!…贈り主は善逸君?」
甘露寺さんの言葉に頷くと、甘露寺さんはきゃー!と楽しそうに笑ってくれる。
「善逸君、きっと凛ちゃんに夫婦になってほしくてこれを渡したのね…でも凛ちゃんは気付かなかったと…」
「ま、まずいです、よね…?」
「ううん、そんなことないわ!知らなかったのは仕方がないし…だけどちゃんと返事はしてあげてね!」
甘露寺蜜璃は凛ちゃんと善逸君の恋を応援してるわよー!と弾けんばかりの笑顔で甘露寺さんは言ってくれた。
***
俺は決めたんだ。確かに簪を渡して夫婦になってくれと語らずに伝えようなんて格好良いことを考えてみた。だけど、俺らしく凛に想いを伝えるのならやっぱり直接言葉にしようと。凛が任務から帰ってきて、一息ついたら今度こそ想いを告げるんだ。
ふと、空を見上げると今日は月が隠れてしまっている。なんだよ、縁起悪いな。だけどあんなに月が綺麗な夜でも失敗したんだ。もうお月様なんて信じてやらないぞ。
「あっ…」
音が聞こえる。俺の大好きな音が。しかも近付いてくる速さがいつもよりも速い。きっと走ってくれているんだ。凛は任務が終わったら俺の元へ来ると言ってくれた。ということは走っているのは俺に早く会いたいから…だと思うとより一層勇気が出る!頑張れ善逸!決めろ俺…!
「凛!」
門の外で凛の姿が見えるのを待っていると、音の通り走ってくる凛の姿が見えて名前を呼ぶ。凛の走る速さは緩まない。あれ、このままだと──
「善逸!」
「わ、わっ!」
凛はその勢いのまま俺に抱きついてくる。その勢いに尻餅をついてしまうけど凛はお構いなしにぎゅう、と俺を抱きしめる。え、なになに?
「え、どしたの凛?」
俺の呼びかけに凛の体が離れる。真っ直ぐと俺の目を見つめて凛は口を開いた。
「善逸、私と夫婦になってください!」
その言葉に、目を見開くと凛の髪に俺の送った簪の姿が見える。ああ、そうか。凛、任務先で俺のあげた簪の意味を知ったんだ。そっか、そっかぁ…
「……さっ、」
「善逸?」
「先に言われちゃったよおおおぉ!俺が言おうと思ってたのにいぃ!!」
俺の叫びに凛が満面の笑みで笑ってくれる。例え簪に想いを込めようと言葉で直接伝えようと凛に伝えたいことは同じなんだ。俺は凛に夫婦になってほしくて、凛も同じ気持ちを抱いてくれてる。それが嬉しくて凛と笑い合っていると雲に隠れた月が姿を現した。何だってんだ今更。…まあ、こんな深夜に俺達の想いがしっかりと通じ合ったのを盗み見したのはお前だけなんだからな。どうせならもっと明るく照らしてくれよな。
月明かりの下、簪を身に付けた凛はあまりにも綺麗で。俺はこの日、一番好きな人とめでたく夫婦になったのでした。
お題「彼女に勇気を出して簪を贈る」「その場では意味を理解してもらえない」「後日返事を貰える」