私は沢山の人のことを忘れてしまったらしい。
だって、思い出せる人がいないのだから。
そんな私に冷たくするでもなく、愛想を尽かすわけでもなくこの部屋には私のことを心配してくれている人が訪れてくれる。
特に炭治郎と善逸と伊之助はほぼ毎日顔を出してくれていて、本当に有り難い。
だけど──

「俺は凛の恋人同士だったんだ。愛してるよ、凛」
「え!?」
「いやお前!本当のことだけど言っちゃうわけ!?」

突然炭治郎がそんな爆弾発言をしたのだった。


「凛、今日も皆の名前を照らし合わせてるのか?」

私の恋人だと名乗った炭治郎はこうやって毎日私の部屋に訪れてはぴったりとくっつくほど近い距離で座って私を愛おしげに見つめてくる。
こ、恋人同士だとは言われたけど私には全く記憶はない。だけど、善逸も伊之助も…念のためしのぶさんにも聞いてみたけれど皆本当のことだよ。と教えてくれたのだ。

「うっ…た、炭治郎…」
「なんだ?」
「ち、近い…!」

覗き込んでくる顔も、触れ合ってる肩も。何もかもが心臓に悪い。
炭治郎は私との恋人同士?の時間を覚えてるかもしれないけど、私は何も覚えてない。
だというのに炭治郎が側にいるだけでこんなにもドキドキしてしまうのは彼が恋人だったことを心が覚えてるからなのだろうか?…何にしても、刺激が強すぎる!

「ふふ」
「な、な、なに」
「可愛いなぁ、凛は」

凛。
私は本当に炭治郎の好きな凛なのだろうか。
だって私に斎藤凛の記憶はない。
姿形は同じだとしても、全く記憶のない私は炭治郎の好きな斎藤凛と同一人物だと言えるのか…?

「凛は凛だよ」
「え?」
「凛は何も変わってない。俺の大好きなままの凛だ」
「え、私声に出してた…?」
「ふふ、長い付き合いだからな。大体凛が悩んでることは分かるよ」

そう言って頬に手を添えられる。
え、え!?
そういうのって恋人同士がするもんじゃ…!?あ、でも炭治郎と私は恋人同士、なのか…!?
どうしたらいいか分からず顔がどんどん熱くなっていく。炭治郎の顔が近付いてきてパニックになる私に──炭治郎はふはっ、と吹き出した。

「ごめんごめん、意地悪しすぎたな」
「は、え?」
「凛が怖がってるうちは何もしないよ」 

よしよし、と炭治郎が頬に添えていた手をそのまま頭へと移動させて優しく撫でてくれる。
……気を遣わせてしまった。

「こ、怖くないよ…?」
「え?」
「でも、その…こ、心の準備が…!」

恥ずかしさのあまり、目に涙が滲んでしまう。
そんな私をやっぱり炭治郎はよしよしと、落ち着かせるように撫でてくれる。

「じゃあ、凛の心に俺の声がちゃんと届くようになったら伝えたい言葉があるんだが」
「へ?」
「心の準備が出来たら、な?」

そう言って炭治郎は不意打ちで私の額にちゅ、とキスをした。
たったそれだけだというのに、私からしたら信じられない出来事で目を見開いて炭治郎のことを見ると炭治郎はとても楽しげに笑うのだった。



「凛の反応が初々しくて…長男じゃなければ耐えられなかった…!」
「あーお前ら前世の記憶もあって、今世では初々しさとかなかったからな。むしろ生々しかったわ」

炭治郎が必死に耐えていたことを、私は気付きもしなかった。



***



「あれ」

それは偶然だった。
その日、私はたまたま窓の外を見た。理由なんてなく、本当にただなんとなく。
するとこの建物から走って出て行く人達の姿がある。こんな夜遅くにどこに行くんだろう?
そう疑問に思っていると、頭痛がした。

「うっ……!」

何か、忘れてることを思い出そうとする時私は酷い頭痛に襲われる。
私は…私も夜、どこかに出かけていた?
思い出せない。だけど、夜の風景にはとても見覚えがある。夜、私は……何を…?

「……少し、だけ」

そんなに遠くまで行かなければ大丈夫だろう。
私は物音を立てないようにこっそりと夜の町へと繰り出すことを決めた。


歩いていると何人かの人とすれ違ったけれど人通りは少なく夏だというのに妙な肌寒さを感じる。
か、帰ったほうがいいかな。
だけどどこか懐かしさも感じる夜の町の誘惑に勝てず私はふらふらと夜の町を彷徨っていた。

しん、と。
昼間は賑わっているであろう公園へと足が向く。
ここは、酷く懐かしい。私はここで、きっと何か大切なことをした。…何も思い出せない。どうすれば思い出せるのだろうか。

「ヒヒヒヒ、美味そうだなぁ」

突然そんな声が聞こえて振り返ると、お化けのようなよく分からない物体が私を見て舌舐めずりをしている。
な、何あれ!?……知ってる…?いや、でも…!
逃げなければ、と体が警鐘を鳴らしている。私はすぐに走り出そうとするとその物体は私の退路へと回り込み襲いかかってくる。

「ひっ…!」

怖い!
そう思うのと同時に、私の前に誰かが現れた。

「ヒノカミ神楽─」

その人は刀を持っていて、お面をつけていて…

「円舞!」

あっという間にその物体を斬ってしまった。
その光景が、ひどく懐かしい。

「凛!ど、どうしてこんなところにいるんだ…!?」

その物体を斬った人はすぐに私に駆け寄ってきて心配そうに声をかけてくれる。
この声は、炭治郎だ!
炭治郎が助けてくれたんだ…

「こ、怖かった…」
「間に合って良かった…肝が冷えたよ」

一緒に帰ろう。と炭治郎が手を差し伸べてくれる。
少しだけ躊躇した後、私が炭治郎の手を握ると炭治郎も私の手を優しく握り返してくれる。
ああ、懐かしい。何がどう懐かしいのか分からないけど、炭治郎と関わると全てが懐かしく感じる。さっきの物体も、この公園も、何もかもが懐かしい。そして…

(…嫉妬しちゃうな)

炭治郎に愛されていた自分に。
記憶を無くしたとしても、私は竈門炭治郎という男を好きになってしまうんだろう。
だって、この状況がそれを物語っているから。



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