斎藤先輩はよく寂しそうな匂いをさせている。記憶が戻ってなかった俺は凛に対してそんな印象を持っていた。
今ならよく分かる。愛する人に忘れられるというのは想像以上に堪えるものだと。

「かまど…炭治郎さん?」
「ああ、俺は竈門炭治郎。さんなんていらないから呼び捨ててくれ、凛」

俺のことを忘れてしまった凛はノートに俺の名前を書いてくれた。それは、忘れられた証。

「…俺の字は少し難しくてな。ペンを借りてもいいか?」
「え?あ、はい…」

俺と「初対面」の凛は少し緊張する匂いをさせていて、…寂しいと言ったら嘘になるが今はしょうがないことだ。俺は凛からペンを受け取ると「竈門炭治郎」とノートに名前を書いた。

「本当…難しい字なんですね」
「特に竈が難しくて、学生の時は先生も必要な時以外はひらがなで俺の苗字を書くことが多かったんだ」

そう言って笑うと凛もつられて笑ってくれる。可愛らしい、大好きな笑顔だ。

「じゃあ、ちゃんと書けるように練習しますね」
「ああ。楽しみにしてる!あ、それと。敬語じゃなくて大丈夫だよ」
「えっと、…分かった!ありがとう」


そう言って俺は凛を残して部屋を後にした。しのぶさん達に報告するためだ。
報告をすると誰もが顔を曇らせた。これで凛が覚えている人は一人もいなくなったのだから。

「鬼の捜索は続けます。ただ、凛さん以外にはどの鬼が彼女に血鬼術をかけたのか分かりません。そして凛さんもそれを忘れてしまっています」
「手当たり次第、斬るしかねェだろ」
「そうですね。今はもうその方法に頼るしかないと思います」

あの日から俺は勿論、実弥さんも伊之助も善逸もいつもよりも長い時間走り回って鬼を斬っていた。一日でも早く凛を元に戻してあげたかったからだ。
だけど結局凛に血鬼術をかけた鬼には巡り会えなかったらしく、凛は自分に関わった全ての人を忘れてしまった。…不甲斐ない。


「ね、炭治郎。ちょっといい?」

報告が終わった後、善逸が俺に話をかけてきた。
その表情はいつも通り柔らかいものだけど、匂いは真剣そのもので。善逸が何か真面目な話をしようとしてるのが分かった。

「なんだ、善逸?」
「あのさぁ。凛って今俺たちの事も鬼狩りのことも忘れてるじゃんね」
「…ああ、そうだな」
「で。凛は不死川さんや炭治郎と違って稀血じゃない。…俺の言いたいこと分かる?」

善逸が何が言いたいのかはすぐに分かった。
それは、俺も少しだけ悩んだことだから。

「このまま何も思い出さなければ、凛はもう夜の町を駆けることも刀を握ることもなくなるだろうな」
「うん。普通の女の子としての今世を歩めるわけよ」
「俺も確かに凛には夜の町を駆けてほしくないし、刀だって本当は握らせたくない」

前世であんなにも過酷な思いをした凛。
今世では女の子として人並みの幸せを夢みてもいいのではないのだろうか。
──それはかつて、記憶を無くしていた俺に対して凛が抱いていた感情そのもので。

「だけど俺は凛の記憶を取り戻すよ」

覚えていない、っていうのは想像するよりもずっと辛いことなんだ。
俺も思い出すまでは凛達と過ごすと楽しいのに何故か寂しく感じたし、記憶を取り戻せて間違いなく「良かった」と思っているから。

「それに俺は約束したから」
「約束?」

鼻が効くようになった時。
確かに俺は凛に誓った。

「うん。ずっと隣にいるって。もう離す気はない」

そう言うと善逸はぶはっ、と吹き出して楽しそうに笑い声をあげた。

「確かに。凛にとっての幸せは炭治郎といることだもんな」
「ああ、俺もそう思う」
「うっわ!?そんな台詞言ってみたいわ!」


そして今日も俺達は夜を駆ける。
人々を守るため。そして、大切な人の記憶を取り戻すために。


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