幕間肆 弐


炭治郎が二十五歳で、あと十年で死んでしまう。私にそう伝えた時の炭治郎は辛そうに顔を歪めていて。だから私は憐れむことはせずに寄り添うことにした。一日一日を大切にしようと。
私はちゃんと笑えていた?心の底から自分の気持ちを騙そうと試みたのは初めてだった。だって炭治郎は鼻が効くから。だから幸せな未来を想像しながら、炭治郎の言葉を思い出さなように振る舞っていたのだ。

『好きだよ』

炭治郎は本当に真っ直ぐで、彼が自分の想いを自覚してからはきっと私のことを本気で好いてくれているんだろうなとは気付いていた。そしてそれを嬉しく思う自分にも。だから炭治郎の口から直接想いを伝えてもらえて本当に嬉しくて──本当に哀しかった。

「うっ……」

嫌だ、死なないで。
信じたくない。どうして、炭治郎が。まだたった十五歳の少年が、突然余命を伝えられて。それでも妹を人間に戻すために炭治郎はこれからも命を削り続けなければいけない。彼が一体何をしたというのだろう。本当は炭治郎の嘘なんじゃないかなって。…そんなありもしないことすら考えてしまう。炭治郎と出会って、彼が嘘をついたところを見たことがない。正直で真面目で……そんな炭治郎があんな思い詰めた顔で告げた言葉が嘘ではないことくらい分かりきっているのに。

「凛さん?」

声をかけられハッとする。滲んでいた涙をすぐに拭って振り返るとそこにはしのぶさんが立っていた。

「あら…傷が痛みますか?」

私が泣いていたことに気付いたしのぶさんが優しく声をかけてくれる。儚く綺麗に笑うしのぶさんに少しだけ気持ちが落ち着いていく。

「いえ、大丈夫です…」
「…何かあったんですか?凛さんは、一人で抱え込む癖がありますからね」

しのぶさんが手招きをして私を呼んでくれる。その優しい仕草に逆らう理由はなく、ついて行くとそこに座っていてください。と縁側へと座らされる。今日は天気も良くて、ぽかぽかと暖かい。ああ…こんなにも良い天気なことにすら気付けないほど気が動転していたんだ……

「お待たせしました。これを」
「ありがとうございます。これは…?」
「薬湯です。どちらかといえば、少し心を楽にするものですけどね」

しのぶさんが優しく微笑んでくれる。しのぶさんは隊士を治療する傍らで、彼らの精神状況もよく見てきたのだろう。だからこそ、私が気落ちしていることもすぐに気付いて心を砕いてくれて…。その気遣いが嬉しくて薬湯を一気に飲み干す。すると──

「あ、苦ぁ!?」
「ふふっ。良薬は口に苦しですよ」

いや、これは今まで飲んできたどの薬湯よりも苦いんですけど…!?
涙目になっているとしのぶさんがあらあら、と笑いながら水を差し出してくれるのでそれもすぐに飲み干してしまった。まだ残る苦さに涙を浮かべていると、しのぶさんはやっぱり優しく笑って私を見つめる。

「凛さんには感謝しています」
「え?」
「アオイもカナヲも。凛さん達と話すようになってから以前よりもよく笑うようになりました。私はあの子達の手を取るだけで、心には寄り添ってあげられませんでしたから」

しのぶさんが優しい声で言う。いつものように綺麗で儚い笑顔のまま、ありがとうと。そんなしのぶさんの言葉に私は──

「え、本気で言っているんですか?」

と。目の前にいるのは柱の一人であるしのぶさんだというのに本心が口から出てしまった。

「アオイもカナヲもきよちゃんもすみちゃんもなほちゃんも。しのぶさんのことが大好きで、尊敬しています。手を取るだけ、なんて言わないでください。しのぶさんが手を取ってくれたからこそ、今の皆がいるんですよ」

皆、事あるごとにしのぶ様は凄い。しのぶ様にも笑ってほしいと。しのぶさんのことを語る時はいつも愛情に溢れた表情をしていた。それは姉を慕う妹達の姿のようで、蝶屋敷の人達は間違いなくしのぶさんを姉のように慕っている。

「私から見たら充分しのぶさんは皆の心に寄り添っているように見えます。でも、しのぶさんが皆の心にまだ寄り添えきれてないって思っているならまだまだ時間はありますし、しのぶさんが満足いくまでゆっくり皆の心に寄り添ってあげてください!」

そう。炭治郎と違って、きっとしのぶさんには時間がある。

「いえ、私にはもう時間はありません」

そんな私の考えをしのぶさんは一刀両断した。過ったのは炭治郎から聞いた寿命の話。そんなまさか、しのぶさんまで…?

「炭治郎君から聞きましたか?」

核心を突くしのぶさんの言葉に一瞬だけ動きが止まってしまう。しのぶさんなら今の私の動きだけで全てを悟っただろう。だけど私は

「何をですか?」

炭治郎に誰にも言わないと約束したのだ。絶対に口は割らない。そんな私の見え見えの嘘をしのぶさんは見破れないはずもなく、それでも問い詰めることなく言葉を続けてくれる。

「私には痣は発現していません」
「えっ…」
「それでも、私はある鬼との戦いで必ず命を落とします。──そのために私は生きてきました」

復讐だ。しのぶさんは「ある鬼」に復讐することを選んだんだ。この屋敷で、自分を姉のように慕う皆と生きる道ではなく、しのぶさんはその鬼に一矢報いる道を選んだのだ。でもそれは、あまりにも…

「…しのぶさんが亡くなったら皆が悲しみます」
「多分、そうでしょうね」
「しのぶさんなら、この先素敵な未来を掴めると思います。だから…」
「凛さん」

真っ直ぐと。しのぶさんが真剣な顔で私を見据える。さっきまでの優しい微笑みもなく、怖いとすら思わせるその表情はまるでしのぶさんが初めて見せた本当の顔のようで…

「私は、姉のようにはなれなかった」
「お姉さんが…いたんですか?」
「ええ。優しくて強くて、大好きな姉でした。鬼と仲良くしたいと本気で言っていて、屋敷の子達のこともいつも気にかけていて。そんな姉を忘れてほしくなくて、模倣をしていましたが性根だけはどうしても…私は何もかも未熟でした」

これが、本当のしのぶさんなんだ。
いつもにこにこと笑っていた優しいしのぶさん。それが全て嘘だったとは思えない。それでも、きっとしのぶさんは演じていたんだ。「大好きだった姉」を。一体いつから?お姉さんが亡くなってからずっと?それなら、本当の胡蝶しのぶは今までどこにいたの?

「最後まで姉を演じられていれば、こんな選択はしなかったかもしれません。だけど、無理でした。私は結局、我儘な妹から抜け出せませんでした」

アオイやカナヲ、それにきよちゃん達三人の姿が思い浮かぶ。きっと蝶屋敷の皆のことを思うのなら無理矢理にでもしのぶさんを止めて、それこそこの先鬼への討伐へと向かわせないようにするのが一番の方法だ。「ある鬼」に出会ってしまったらしのぶさんは死を選んでしまうから。だけど……

「私は、しのぶさんに生きていてほしかったです」
「ごめんなさい」
「いいえ違うんです、謝らないでください。私、しのぶさんからこんなことを聞かされたのに少しだけ、嬉しいんです」

私の言葉にしのぶさんが驚いた顔をする。自分が屋敷の皆を残して死ぬと。普通に考えれば無責任なことを言っているのはしのぶさんも分かっていて、非難されるのもきっと覚悟の上だったのだろう。だからこそ、私の言葉の意味が分からないと私の真意を探るように目を逸らさないでいる。

「嬉しい?凛さんは変わっていますね。私を身勝手だと責めないんですか?」
「責めません」
「それは、どうして?」
「だって、やっと。私は胡蝶しのぶさんに会えました。ずっと我慢をして、本当の自分を殺していたしのぶさんに。そんなしのぶさんが見せた初めての我儘を、私は責めることも止めることも出来ません」

死なないでください。生きてくださいと。それこそ美琴と一緒に死のうと思っていた私を呼び止めてくれた炭治郎のように言えたらどれだけ良かっただろう。
だけど、私には言えない。それはまた本当の胡蝶しのぶに「死ね」と言うようなものだから。しのぶさんの選択で沢山悲しむ人も涙を流す人もいると思う。それでも、私は「胡蝶しのぶ」の思いを尊重したい……

「凛さん」

しのぶさんに名前を呼ばれる。
しのぶさんは、本当に可愛らしく。それこそ年相応の笑顔を浮かべてくれた。

「ありがとう」



炭治郎の痣の話に、しのぶさんの覚悟。
残された時の中で二人はどのように生きるかを見据えて、この先を生きていくんだ。私はもし、二人のように余命が分かってしまったらどうやって生きるのだろう。……ううん、私の生き方はあの日からもう決まっている。

「幸せに生きるって、約束したから」

この先に待つ避けようのない現実に悲観をするくらいなら、その時まで一日一日を大切に精一杯生きよう。胸を張って美琴に会いにいくために。

二人にもせめて。
最期の時まで笑っていてほしいと願うことしか出来なかった。


残された時間




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